トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜
□第二十一章 『魔を司る者』
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「た……忠長、様……」
私は喉の奥から声を振り絞り、家光様の肩を強い力で掴んだ人物の名を呼んだ。
家光様は首を捻って背後にいる忠長様のことを振り返り、先程と変わらない低い声で言い放った。
「……邪魔だ、忠長」
「うわ、猛獣みたいな目だねぇ。そんなんじゃ、お万に怯えられても仕方ないんじゃないの?」
「お前には関係ない」
「って、言われてもなー。俺、この後お万と遊ぶ予定あるし、自分の部屋の近くで騒ぎを起こされると嫌なんだけど?」
「……お万と遊ぶ?」
家光様は忠長様の言葉を反芻すると、緩慢とした動作でこちらへ振り返る。
その凍てつくような視線に、心臓が握り潰された錯覚を引き起こす。
「お万。どうして俺とは一緒にいてくれないのに、忠長とは一緒にいるんだ?」
以前と似たような内容の問いかけをされ、私は言葉に詰まる。
今の家光様に何と言おうとも、信じてもらえないのではないだろうか。
何を口にしても、ただの言い訳としか解釈されないのではないのか。
そう思うと、何一つとして言葉が浮かばない。
口を噤んで沈黙を貫く私の首筋に、いきなり家光様が歯を立てた。
「い……っ!?」
「家光!!」
忠長様が怒声と共に私たちの間に割って入ろうとするが、家光様は少しも離れようとはしない。
それどころか、絶妙な力加減で歯を立てていたところに濡れた舌を這わせ始めた。
家光様に首筋を吸われ、抵抗しようにも背筋を這い上る妙な感覚の所為で、身体にあまり力が入らない。
何故、こんな時に限って魔羅の力が引き出せないのだろう。
今こそ発揮されてもいいのではないか。
思い通りにいかない自分の身体に歯痒さを覚え、じわりと涙が滲み出てきた直後。
「――いい加減にしろ!!」
忠長様の叫び声が空気を震わせ、私に覆い被さる形になっていた家光様を引き剥がし、思い切り突き飛ばした。
家光様の身体が反対側の壁に勢いよく叩きつけられ、彼はくぐもった声を上げる。
そして、ずるずると床の上へ崩れ落ちていく。
忠長様はそんな家光様を冷ややかに一瞥し、涙を流す私の手を掴んで歩き出す。
「……惚れた女を怯えさせた挙句、こんな風に泣かせるなんて……男として最低だよ、家光」
忠長様の声には、隠し切れない怒気が込められている。
私のために怒ってくれているらしい彼に、戸惑いを隠せない。
私は忠長様に手を引かれ、その場から立ち去った。