トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜

□第二十一章 『魔を司る者』
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夕月は紅楼閣の自室にて、煙管で煙草を吸いながら開け放たれた障子の外を見下ろす。

不夜城と呼ばれているだけあり、吉原は夜でもそこかしこに灯りがついており、煌々と辺りを照らしている。

そこに月明かりや星の光が加われば、夢のように華やかな世界を作り上げる。

「――そろそろ潮時じゃないのかい? 夕月」

部屋の中へと視線を戻せば、柱に寄りかかって立ち、夕月と同じように煙管で煙をくゆらせている、月夜の姿があった。

もし誰かに見られても違和感がないよう、彼女に遊女と同じ格好をさせたのだが、これでもかと言うほど様になっている。

月夜が花魁だと口にしても、誰も疑いはしないだろう。

彼女は指で煙管をいじりつつ、言葉を継ぐ。

「あんた、ここに来て大分経つだろう? 全然見目が変わんなきゃ、人間共に怪しまれちまう。迷界に戻ってくるなり、根城を変えるなりした方がいいんじゃないのかい?」

月夜のもっともな言葉に、夕月は思案に暮れる。

確かに彼女の言う通り、そろそろここを離れるべき時期に差し掛かってきた。

魔羅と人間とでは、歳の取り方がかなり違う。

ここに来たばかりの頃と少しも変わらない夕月を、気味悪く思っている者も少なくないに違いない。

だが、誰一人としてそのことに触れようとはしない。

きっと、本能的に知っていいことではないと判断したのだろう。

しかし、今ここで違う場所へ移動するのは、どうにも気が引ける。

黙り込む夕月に、月夜はもう一度言葉を投げかける。

「心残りでもあるのかい?」

彼女に優しく問いかけられ、夕月は溜息を吐きながら口を開く。

「……十六夜を、お万から解放してやりてぇんだよ」

「お万を十六夜から解放するんじゃなくて、十六夜をお万から?」

夕月の言葉に、月夜は目を丸くする。

夕月は小さく頷き、続きを口にする。

「十六夜はお万に惚れて、ずっと傍にいっけど……あいつ、全然幸せそうじゃねぇんだ。むしろ苦しそうで……。実らねぇ恋に固執したままじゃ、さすがに可哀想だろ。だから目を覚まさせる意味でも、あいつを迷界に連れ戻してやりてぇんだよ」

「でも、それは十六夜の望むとこじゃないだろう? 無理強いはどうかと思うけどね」

「荒療治が必要な時だってあるだろ。それに……お万にこれ以上魔羅と関わらせたくねぇんだ。あいつは、人間として生きるって決めた。なら、あんまり深く関わるべきじゃねぇだろ」

「なら、十六夜をさっさとお万のとこから引き剥がして、迷界に帰ればいい話じゃないのかい?」

「そうなんだけどよ……なーんか、胸騒ぎがすんだよなあ……。これから、お万に何か嫌なことが降りかかりそうな気がすんだよ……」

「あんた、随分とあの嬢ちゃんにいれ込んでるみたいだねぇ。惚れちまったのかい?」

ころころと笑う彼女に、これ見よがしに溜息を吐く。

「ばーか。んなわけねぇだろ? もしあいつが欲しいなら、とっくに手を出してるっつうの」

「そりゃそうだ。でも、それだけ大切にしてやりたい女だって、考えられなくもないだろう?」

月夜の言葉を受けて考えてはみたものの、やはり恋心とは何か違う気がする。

「んー……どっちかっつうと、妹分みたいに思ってんのかもな。気が強くて腕が立って男前に見えるのに、どっか脆くて泣くもんかって虚勢張ってる、放っとけねぇ妹分。……まあ、最初は血にしか興味なかったんだけどよ」

「ああ、確かにあの嬢ちゃんならあんたの妹に見えなくもないかもねぇ。あんた、意外と面倒見いいし」

「……そうか?」

そういえば以前、お万にお人好しだと評された。

その時は冗談めかして頷いたが、個人的には別に人が好いわけではないと思う。

首を傾げる夕月に、月夜はほんの少しだけ目を細める。

「で? 嬢ちゃんのことが心配で、まだ人間界に残ってたいのは分かったけど、十六夜を嬢ちゃんの元に置いておく必要はないんだろう? だったら、十六夜を引き取るだけでもしておいたらどうだい? あんただけがここに残ればいい話だろう?」

「ああ、一応そうしてぇとは思ってる。上手くいけばいいんだけどよ」

「それにしても意外だねぇ。あんたは十六夜を馬鹿にして、相手にもしてないと思ってたんだけど、結構気にかけてたんだねぇ」

「……魔羅としての生き方に抗ってるってのは、くだらねぇとは思うけど……あいつの能力の高さは尊敬に値するよ。俺たちが特殊っつっても、運命の動きが分かるなんざ、並大抵のことじゃねぇからな」

「なるほど……あんたの考えも、今後どうしたいのかも分かったよ。いいよ、好きにやってみな」

「悪ぃな、心配かけちまって」

夕月が謝罪した途端、彼女は盛大に吹き出した。

「……何だよ」

「いや、あんたにも殊勝になる時があるんだなと思ってね。いいよ、謝んなくて。あたしが勝手に心配して、勝手に様子を見にきただけだからね。それじゃあ、あたしはそろそろお暇(いとま)するかね」

月夜は薄く笑うと、空気に溶け込むようにして姿を消した。

彼女が迷界に帰還したのを確認し、夕月は煙草の吸い殻を灰吹きへと落とす。

「……潮時、か」

誰にともなく呟き、夕月は再度煙草を吸い始めた。
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