「好きだ」
「は…?」





正十字学園・男子寮。の、奥村ツインズの部屋。





お互い与えられた課題を黙々と片付けていたそんな時、突然燐が口にした「好きだ」の三文字。あまりに突拍子な、しかも脈絡の無い発言に、雪男はスラスラと動かしていたペンを止めて燐を凝視した。



燐は無表情だった。笑うでも怒るでも泣くでもなく、ただ無表情で、また「好きだ」と呟いた。






「好き。好き。大好き」
「どうしたの? 兄さん」
「なんか、言いたくなった」






好き、とまた一つ言葉が重ねられた。











二人が兄弟の枠を超えた愛情で接し始めたのはこの学園に入学して少ししてからだ。告白は雪男の方からだった。亡くなった獅郎の代わりに兄を護りたくて、何より兄を独占したくて、世界でたった一人の身内となった兄に離れていってほしくなくて、長年溜めて溜めて隠し通していた想いが爆発してしまったのがそのキッカケだった。




意外にも燐は雪男の想いを拒絶することも戸惑うことも無くあっさり受け入れて、雪男が囁くのと同等の重さで愛を紡いだ。惜しげもなくその身体を雪男に差し出し、雪男を受け入れ、雪男を愛した。二人の、さながら蜜月のような日々は、は恐ろしい程に濃厚で順調だった。






だから、こうして愛の言葉を紡がれるのは雪男も嬉しい。しかし気分がノらないとなかなか自分からは言ってくれない燐が、なんの脈絡も無く「好きだ」というのはなかなかに珍しかった。







どうやら燐の方の課題はとりあえず片付いたらしく、机に広げられているノートは文字で埋め尽くされていた。その答案が合っているかどうかはともかく、自力で最後まで課題に取り組んでくれたことが純粋に雪男は嬉しかった。




しかしそれも珍しい、と雪男は思った。普段の燐だったら二十分も集中していられないというのに…なにか悪い物でも食べたのだろうか。そしてこの突然の愛情表現は、長く集中していたことによって出た反動なのだろうか。と、嬉しい反面、雪男は少々心配だった。






しかしそんな雪男の心配なんて知りもしない燐は、また「好き」と呟いた。






「オレ、雪男が本当に好きなんだ。弟としてじゃなくて、一人の人間として、雪男が好きだ」
「…ありがとう。僕も、兄さんが一番大好きだよ」
「でもさ――オレは、悪魔だろ?」





『悪魔』――呟かれた言葉に、雪男はキュッと眉間に皺を寄せた。







奥村燐。雪男の双子の兄。――サタンの、落胤。






「オレは、お前とは根本的に違う。化け物だ」
「兄さん…」
「なのに、お前が大事で、愛しくて、離したくないって思っちまって…」





語尾がだんだん小さくなっていき、それに呼応して燐の顔も俯いていく。髪留めが未だ外されていないため、俯いてもその表情は雪男に丸見えだった。さっきまでの無表情ではない、しかし普段の燐らしくない、しおらしい表情。不安に呑まれ、罪悪感に塗れ、不確定な未来に恐怖を抱いている。






「こんなの、間違いなんじゃないかって、思っちまってさ…」





今、雪男の側に…隣に居られて、愛し愛されて、幸せを噛みしめられるからこその葛藤。不安。疑念。






「オレは、お前の側に居ても、大丈夫なのかな…」
「…バカだなぁ兄さんは」





雪男が立ち上がったことにより、椅子がギッ…と音を立てた。たった二歩足を踏み出すだけで、二人の距離は零になる。二人の間を隔てる障害など、何一つとして無い。





雪男の、燐より幾分大きな手の平が燐の頬を包んだ。そっと顔を上げさせて、自分と目線を合わさせる。燐の瞳は、今にも零れ落ちてしまいそうなぐらい、涙を溜め込んでいた。





「兄さんはそんなこと考えなくて良いんだよ。兄さんはサタンの子だけれど、そんなの僕だって一緒なんだよ? 僕だって、サタンの子だ」
「ゆき、お…」
「青い炎を継いだか、継いでいないか…僕達にはそれぐらいしか違いは無い。それを気に病むなんて兄さんらしくない。兄さんは兄さんらしく、振る舞えば良いんだよ」






同じ父と母の間に生まれ落ちながら、忌まわしき力は全て兄である燐が受け継いだ。未熟児として生まれた雪男には、悪魔としての力は何一つとして遺伝されなかった。





幼い頃に、兄の境遇の全てを知った。これからの運命も、与えられた枷も、定められた生き方も…なにもかもが、燐と雪男は、違っていた。






それを知って、雪男は燐を「不憫」だと思うのではなく、「護りたい」と思った。今は弱虫で泣き虫な自分だけど、いつか必ず辛い目に遭う兄を支えてあげたいと、心からそう思ったのだ。力を蓄え、兄を忌まわしき呪縛から護り通すのだと決意したのだ。その決意は固く、数年後雪男は祓魔師となった。






――全ては、大切な兄を、護るため。








「何があったって、僕が兄さんを護るから。だから、不安になんてならなくて良い。余計なことは考えなくて良い。ただ真っ直ぐ――僕を、愛して」
「っ…!」





涙のダムは、決壊した。クシャリと顔を歪め、燐は泣いた。声は上げず、小さく嗚咽を漏らして、燐はボロボロと涙を零した。雪男から掛けられた温かな言葉を噛み締めて、また「好きだ」と言った。「愛してる」と言った。涙に濡れて掠れた声はひどく聞き取りにくかったけれど、雪男はやすやすとその言葉を聞き取り、嗚咽を上げる唇をそっと優しく塞いだ。





燐の背中を優しく撫でながら、雪男の舌が縦横無尽に口内を動き回る。それに辿々しく応えながら、燐も雪男の背に腕を回した。





「は……ん、ちゅ…」
「ん…兄さん…」
「ふ、ぁ……ゆ、雪男…」
「兄さん、」





唇を離して、そのまま燐を強く抱き締めた雪男。未だ涙が止まっていないので、その涙が雪男の服を濡らしてしまっているが、雪男はそんなこと気にも止めていなかった。












――今はただ、疑心の渦に呑まれてしまいそうな燐を、すくい上げてやりたい一心だった。










「僕は絶対に兄さんを離さない。世界中の人間が兄さんの敵になったとしても、僕は兄さんの側に居るから。絶対に、離してなんかあげないから」
「っ…うん……離すな…絶対、離すんじゃねぇぞ…!」





強く強く回された腕に、雪男はどうしようもない程の愛しさを覚えた。いつの間にか自分より小さくなってしまった兄が、心から自分を必要としてくれている。その事実が、堪らなく嬉しかった。






自分よりも小さな背。細い腰。狭い肩。この身体に、燐は全てを背負っている。この身体に秘められた絶大な力は、いつの日か燐自身をも滅ぼしてしまうかもしれない。その不安は雪男だけではなく、きっと当事者である燐も抱いているものだろう。




そしてその不安を、きっと燐は四六時中感じていたことだろう。その不安が心の許容量を越えたことにより、気持ちを暴露してしまったのではないだろうか。「好き」の言葉も、不安に駆られた故に発された言葉。抱く気持ちに偽りなど無い。だからこそ、愛していいのか――躊躇いが生まれた。







その不安を、雪男は全て受け止めて、払拭した。「絶対に離さない」と言ってくれた。燐はそれが嬉しかった。涙が出るくらい、嬉しかった。そして――雪男を愛することへの恐怖も、無くなった。





「好き…好きだ雪男。愛してる。本当に、お前が…」
「分かってるよ兄さん。僕も、兄さんを愛してる」







だから、もう泣かないで。






雪男はそう言って、燐の瞼に優しいキスをした。
























――――
君を愛する意味は変わらない
Alice Nine./無限の花

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