勝呂はある日、志摩の極度な虫嫌いを本格的に治してやろうと思いました。





「まずはこの中に手ぇ入れるとこから始めよか」
「坊は俺を殺す気でっか!? 無理に決まっとりますやん!!」





虫かごいっぱいに入れられた蜘蛛の子を見て、志摩は半泣きになりながら勝呂から距離を取った。勝呂の提案は志摩の極度な虫嫌いがこれから実践任務に携わる時に枷になってしまうと危惧したからなのだが、志摩からしたら有り難迷惑以外の何者でもなかった。




「坊の鬼! そんなんただのイジメやんかあああ!」と離れた距離を保ちながらキャンキャン吠える志摩に苛立ちを覚えたが、やっぱり無理があったか…とその苛立ちを発散させるように勝呂は小さく溜め息を吐いた。





「せやけどなぁ志摩。この間の実戦訓練で虫豸に襲われて身に染みたやろうが。この先、あんな蛾の虫豸だけじゃ済まんのじゃ。もしかしたらゴキブリの虫豸とか出るかもしれんぞ」
「やからってそんな荒療治に踏み出さんでええですやん!! それに俺は別にこのままでええもん!!」





無理に虫と和解する必要なんてないだのなんだの必死で弁解しているが、ただの言い訳にしか聞こえず聞き苦しいことこの上ない。勝呂はちょっと苛々してきていた。いっそのことこの蜘蛛の子を志摩にぶちまけてやろうかとも思っていた。きっと志摩は絶叫して逃げ惑うだろう。その光景が易々と目に浮かぶ。




しかし勝呂がやりたいのはあくまで矯正だ。わざわざジョギングしながら蜘蛛の子を集めたのは志摩のためなのだ。克服は出来ずとも、恐怖心を緩和させるぐらいは出来なければ割に合わない。






志摩を陥れたいわけじゃない。ただ、弱点を少なくしてやりたいだけ。勝呂はその一心で、蜘蛛の子を集めてきたのである。





「えぇから、ちょっとは努力してみぃや。ほら、ちょっと手ぇ突っ込むだけやんか」
「それがイヤや言うてますねん! 俺の虫嫌い治そう思てくれてはるんは有り難いけど、もうちょっとマシな方法思い付かんかったんどすか!?」
「虫に慣れてまえば、イケるか思て」
「やったらもうちょいソフトな虫にしてください! 蜘蛛はハードル高過ぎんねん!」
「そ、そうかいな…」





チラリと虫かごに入った蜘蛛の子を見やる。虫は案外平気な勝呂から見ても、狭いかごの中をうごうご蠢くそれはあまり気分の良いものではない。虫嫌いの志摩からすれば尚更不気味な代物だろう。…しかし自分で言うのもなんだが、よくもまぁこれだけの蜘蛛を集めたものだ。勝呂は自分の気合いに感嘆した。





「青虫の方が良かったかいなぁ」
「なんで敢えての幼虫リスペクトなん!? もうちょい可愛らしいのおりますやん! 蝶とか!」
「あぁ、成る程」





全然気付きませんでしたとでも言い出しそうなほどの納得顔で勝呂が呟く。それを聞いて志摩はガックリと肩を落とした。







――ホンマこの人、バカやないけどたまにバカやなぁ…。









じゃあ逃がそう、ということで虫かごを逆さにしてばっさばっさと蜘蛛の子を地に落とす勝呂に、志摩はしばらく近付かなかった。無論、蜘蛛の子がうようよと徘徊している場所に足を運ぶ勇気が微塵も沸いてこないからだ。完全に蜘蛛の子が見えなくなるまで、側にあった大きめの岩にしがみついたまま動かないと固く決心していた。女々しいと言われようがなんだろうが構わなかった。嫌いなものは嫌いなのだ。志摩はそう開き直った。







ようやく全ての蜘蛛の子を逃がし終えた勝呂。しかしそれでも志摩は勝呂に近付いていこうとはしなかった。「まだそこら中に蜘蛛がいるかもしれない」という疑心暗鬼に捕らわれてしまっているからだ。岩にしがみつき、尋常じゃない目つきで地を睨んでいる。








――どんだけ虫嫌いやねん…。







勝呂は嘆息し、虫かごをそこらに放り投げて志摩の側に歩み寄った。そして同じ目線になるようにその場にしゃがみ込んだ。





「全く…お前はホンマ、虫嫌いやのぉ」
「なはは、面目ないっすわ」
「笑い事ちゃうやろうが。そんなんでこの先どないすんねん。最悪死ぬで」
「そ、そんな大袈裟なぁ…いくらなんでも死ぬやなんて」
「俺は大真面目じゃ」





未だ岩に張り付いていた手をギュッと握られ、志摩は何も言えなくなった。言葉通り、勝呂の表情は真剣そのものだった。茶化してるわけでも、冗談で言っているわけでもない。勝呂は本気で、志摩を心配しているのである。





「虫豸に…そうやなくても昆虫に襲われたら、お前すぐパニックになるやろ。それは敵に弱点晒すんと同義じゃ。その弱点を見逃してくれる敵ばっかや、ないんやぞ」
「坊…」
「そんなんで、お前が死ぬとか…俺は、考えとぉない」





一瞬、志摩は勝呂が泣いているのだと思った。それほどに勝呂の声色が、悲痛に塗れていたからだ。



だが、残念ながら勝呂は泣いてはいなかった。寸分変わらぬ真剣な眼差しで、志摩を見つめていた。






勝呂がこんなことで涙を晒す筈がないと、志摩は重々承知している。痛いほどに諾っている。だけど今は逆に、勝呂が涙を流していないことが不思議だった。










――あんなにも、声は震えていたのに。







――こんなにも、手は震えているのに。







「――坊は」





傍目には分からない、僅かな震えを発する手をもう片方の手で優しく包む。





「俺が死んでもぉたら、悲しんでくれはりますか?」
「………」
「坊は、俺が死んでもぉたら、泣いてくれはりますか?」
「……んな、当たり前なこと、聞きなや」
「なはは、すんまへん。愚問やった」





「志摩が死ぬなんて考えたくない」――先程勝呂はハッキリとそう言った。それをわざわざ追求する必要なんて本当は無かった。それでも志摩は、確信を得たかった。








――勝呂が、どれだけ自分を必要としてくれているかを。








――自分の問いに答えてもらうことで、より強硬にしたかったのだ。










「俺は…お前が死んだら、生きてかれへんねんぞ」
「心配せんでも、俺は坊より先には死にまへんよ」
「そんなん分からんやんけ、こんビビりが」
「なんや冷たいどすな〜。もうちょい可愛らしいこと言えまへんのん?」
「うっさいわい」





照れ隠しなのだろうか、ぷいっと顔を背けてしまった勝呂の頬に、志摩は小さなキスを送った。それだけで顔を赤く染め、狼狽える初々しい反応を見せてくれた勝呂を見て、志摩は満足そうに笑った。





「お、おまっ…何しとんねんっ!」
「ここで手ぇ出さへんだけ有り難い思てくださいよ」





自他共に認めるエロ魔神。それが志摩だ。付き合い始めた当初は所構わず発情していた彼だが、最近ではようやく身の程を弁え始めたようである。まぁ勝呂からしたらこれが当然の行いというもので、別に威張ることではない。寧ろこれからも自制しろと言いたい。




高校に入ったら真面目になると息巻いていた志摩だったが、勝呂が隣に居て発情しないわけがないと開き直って早々に『真面目』はその姿を消した。こうして外でキスまでに止めたのは、だから成長したのだと豪語しても間違いでは無いのである。他人からしたらそれは些細な変化だと捉えるかもしれないが。






「けど…坊が俺のこと、本気で心配してくれてはるんは、よぉ分かりましたわ」





今度は唇にキスを送りながら、志摩は言う。勝呂はそれを甘受し、志摩の言葉に耳を傾ける。





「坊が俺が死んだら悲しい言うんやったら」





コツリ、と額がぶつかる小さな音。お互いの視界一杯に、お互いの顔。





「俺は、もっと強ぉなりますわ」
「…やったらまず虫嫌いを治せ」
「それとこれとは話が別どすわ」
「その方が俺は安心なんやけどなぁ」
「なーに言うてますのん。坊は俺のおかんでっか?」
「はぁ? 何言うとんねん」





次に唇を寄せたのは勝呂の方からだった。普段堅気を決め込んでなかなか自分からそういうことをしてくれない勝呂が、自ら志摩にキスをしたのだ。それに志摩は呆気にとられ、柄にもなく顔を真っ赤に染めて勝呂の顔を凝視した。




それを見て、勝呂は小さく吹き出した。そして、耳元でこう、囁いた。






「お前は、俺のたった一人の恋人やないか」




















本当に怖いもの
君が、いなくなること
(分かったら早ぉミミズ捕まえてきぃ)
(坊はホンマに俺が好きなんどすか!?)








職場の先輩に良いように洗脳された結果である← チクショー先輩ありがとう!(おい) しかし二人が偽物くさいわーorz










栞葉 朱那

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