『殺し屋』なんて真っ当とは言えない職についているのだから、そのうち訳の分からない厄介事に巻き込まれ、そして命を落とすのだと思っていた。決して少なくない数の人間を殺してきたのだから、それが報いなのだろうと常日頃から考えていたことだった。
人を殺すことは、いつまで経っても好きにはなれなかった。だけど嫌いではなかった。なんとも曖昧な境界線。しかし『好き』『嫌い』どちらかを選ばなければならないのなら、俺は迷いなく前者を選ぶだろう。根拠は特に無い。だけど、鬱憤を晴らすための道具としてしか人間を見れなくなりつつある俺は、利己のために人を殺したことも数知れず。妙にイライラした時は仕事に関係無い人間も殺したし、それこそ一般人を殺したことだってあった。好きにはなれないけど、『好き』寄りの感情は抱いていた。殺した数なんて、両手でも到底足りない数に達している。きっとこれからも増えるだろう。増えるしかないだろう。
血を見るのは慣れた。血の臭いは慣れた。死体を見るのは慣れた。死体の処理は慣れた。数多の人間を殺すことにだって――慣れていた。
だけど、数多の人間を――自分が所属していた組の同志達が皆殺しにされ、慣れ親しんだ一室が血以外の色を探すことが難しい程に血化粧を施されていたというこの光景は、そんな経験を全てあっさりと覆しやがった。
「は……?」
頭が回らない。事態を飲み込めない。え、ちょっと待てよ。なんでみんな倒れてるの? タチの悪い冗談なの? ハハハ勘弁してよ笑えないよ。だけど、みんな色んな所に銃創がある。一発だけじゃない、みんな何発もの穴を開けられてる。血だらけだ。血生臭い。血の臭いしかしない。辺り一面血の海だ。どうして? それに沈んでいるのがどうしてみんななの? もう元の床の色すら分からない。ねぇ教えてよ。死んでる? みんな死んでるの? みんなあんなに強かったのに。殺したって死なないような人ばっかりだったのに。なんでこんなあっさり殺されちゃってるの? 殺しのプロが揃いも揃って、なんて有り様だよ。ていうか、俺を残して全滅ってどういうことだよ。俺にだけ仕事押し付けてさ、悠々と宴会を催してたんじゃなかったの? みんなが好きだったお酒。そのお酒の匂いは、血の臭いに掻き消されて全然分からないよ。一体どれだけの銃弾を浴びせられた? 一体どれだけの血を流した? どうやったらここまで部屋が血濡れになるんだよ。尋常じゃない。狂ってる。俺だってこんな地獄絵図を作り上げたことはなかった。ううん、誰もやらなかったことだろう。しかしこの異形な状況は作られた。犯人によって。俺の仲間を、使って。理不尽に、使われて――
「――許さない」
許さない。許さない。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない――!!!!
沸き上がる憤怒。抑えられない復讐心。自然と拳を握っていた。目線は相変わらず死の池に沈む仲間に向けられたままだ。涙は出ない。そんなもの、この世界に足を踏み入れた時に捨て去った。
復讐してやる。どんなに時間が掛かっても、絶対に見付け出してやる。そして同じ目に遭わせてやる。同じ痛みを、苦しみを、味わわせてやる。みんなのカタキだ。俺の家族を奪ったんだ。根絶しやがったんだ。許せるはずがない。復讐してやる。必ず――!
「お、帰って来たんだ」
「っ!!?」
突如背後から聞こえた第三者の声。俺だけしか居ないはずの室内に響いた、紛れもない人の声。直ぐ様銃を抜いて振り向いたが――その直後に響いた、銃声。
そして、駆け巡る激痛。
「…がっ、ああああっ―――!」
不意打ちで足を撃ち抜かれ、あまりの激痛に立っていられなくなった俺は無様に床に転がった。未だ乾いていない血が俺の顔を、服を、濡らしていく。一気に血の臭いに包まれ、いくら慣れているからと言ってもこの血の濃度は尋常じゃなくて、一気に吐き気が込み上げてくる。
撃ち抜かれた足の傷口を強く押さえる。ドクドクと傷口が疼いているのが手の平に伝わる。弾は貫通しているようだが、もうこの足は使い物にならない。もう俺は、ここから逃げられない。
痛みに悶えながらも、俺を撃ち抜いた犯人を睨み付ける。クソッ、油断した。油断していた。まさかまだ犯人が残っているなんて、微塵も思っていなかった!
「あーわりぃ。つい撃っちまった。大丈夫か?」
「っこ、の…! 全部、お前の仕業か……破天荒っ!!」
犯人――破天荒は未だ硝煙が上がる銃口を俺に向けたまま、ニヤニヤと笑っていた。
破天荒は、俺の組『K.E』と協定を結んだ『HGK』という組に所属している殺し屋だ。俺は何度かコイツとペアを組み、仕事をしたことがある。しかし、ただそれだけのことだった。プライベートで会ったことなんて無い。どころか、仕事以外では会うことは無かった。それほど希薄で、浅い関係だった。
『K.E』と『HGK』の関係は案外良好だった。お互いがお互いを利用し、お互いがお互いを助け合い、お互いがお互いを鼓舞していた。ボス同士面識が前々からあったようだし、他にも何人か顔見知りが居たようだ。確か破天荒も、うちの組の誰かと顔見知りだったか。はて、それは誰だっただろうか…?
その破天荒の体は全身血に濡れていて、それが全て返り血なのは見て分かった。尋常じゃない量の返り血。コイツが、みんなを殺した犯人であることは間違いない。みんなを虐殺し、そして不在だった俺を待ち伏せていたのだ。
「あーあ、失敗した。お前を傷物にするつもりなんざ無かったのによ」
「ふっざけたことを……何が、目的なんだ破天荒!! 一体どうして、こんなことを…っ!」
「目的? あぁ、目的なぁ」
相変わらずニヤニヤした笑みを貼り付かせ、破天荒がこちらへ近付いてくる。硝煙はいつの間にか、空気に霧散して消えていた。
破天荒が足を一歩踏み出す度、足元で血飛沫が散った。
破天荒が足を一歩踏み出す度、血の臭いが濃くなっていった。
破天荒が足を一歩踏み出す度、俺の動きは奪われていった。
ピシャリ…と眼前で血飛沫が散る。それは俺の顔に容赦なく張り付いた。また血の臭いが強くなった。既に俺の服も血を吸い付くしていたから、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。だが、それに更に拍車を掛けているのは、間違いなくこの男の、身体中に散りばめられた返り血のせいだ。――俺の仲間を殺した、象徴。
破天荒はその場に跪き、銃身で俺の顎を持ち上げた。まだ微かに熱を帯びているその銃身。これがみんなの命を奪ったのかと思うと、憎くて仕方無かった。
「別に殺すつもりは無かったんだぜ? これは本当だ。今日は取引をしに来たのさ。おたくのボスにな」
「ボス……ボーボボさんに?」
「あぁ。つっても仕事の話じゃない。人事の話だ。簡単な話だったのによ、妙な脅しかけてくっからよぉ」
「っだから、みんなを殺したのか…!?」
「殺らなきゃ殺られる。そういう状況だったなら、殺るだろ」
なんでもないように言ってのける破天荒。その顔が憎々しくて喉笛を噛み千切ってやりたくなったけれど、如何せん今の自分は機動力に欠けてしまっている。仮に噛み付けたとしても、千切る前に脳天を撃ち抜かれるだろう。…否、そもそも噛み付くことすら叶わないだろう。破天荒は自分より強い。共に仕事をしたからこそ、その強さは実感している。
歯痒くて仕方無い。目の前に憎き犯人が、みんなのカタキが居るのに、何も出来ないなんて…!!
「ボスを撃ち殺したら、その銃声聞き付けて部下達がやって来てよ。ボスの死体見た瞬間、全員目の色変えやがった。そして一斉に向けられた銃口。ほら、俺はまさに命の危険に晒されちまったわけだ」
何が「ほら」だ。ふざけてんのかこの男は。
「だが生憎俺は自分の命を諦める気は更々無くてな。危害を与えられる前に、その権利を奪ってやったのさ」
こんな風に、と紡がれたのと同時に響く二発目の銃声。一体いつの間に取り出したのか、俺の顎を持ち上げているのとはまた違う銃が、既に穴だらけになっている仲間の体を貫いた。
「貴様っ…!」
「おいおい、そんな怖い顔すんなって。お前、自分の置かれてる状況分かってんのか?」
カチリ、と撃鉄が起こされる音。それは正しく俺の顎を支えてる銃身から響いたモノ。
それを聞いた瞬間、思い描かれる死の映像。このまま引金を引かれれば、俺の命は簡単に終焉を迎える。
「は、口封じに俺も殺そうってか…? 良いぜ、殺せよ。もう俺は、死んだって構わない」
「なーに早とちりしてんだ? 俺がお前を殺すと、そう思ってんのか?」
心外だ、と破天荒は嘯く。本当にそう思っているのかいないのか、その表情からは読み取れない。
「この銃はただの飾りだ。お前のボスに断られたんだ。だったら、お前から直接意見を聞こうと思ってな」
「意見…? ボスに通さなきゃならない話を、下っ端の俺に意見を求めてどうする?」
「いやいや、これはお前に関わる重要な話なのさ。無理矢理でも良かったんだが、それじゃあ同盟関係に支障が出るからな」
「? 一体、なんの…」
「簡単な話だ」
破天荒はグッと顔を近付け、吐息混じりに言った。
「お前、うちの組にこねぇか?」
と。破天荒はあっさりと、俺を勧誘した。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。『K.E』を辞めて、『HGK』に加わらないか、と、そう聞いてる」
「…ボーボボさんに持ち掛けた話っていうのは…」
「そう。お前の引き抜きの件さ」
断られた上に、粘ったら殺されそうになったから思わず殺しちまったけどな。なんでもないように破天荒はそう言った。
殺し屋であるが故に。
自分自身の命を守るため。
危機は潤滑に処理しなければ。
それは自身を滅ぼすことになる。
だから――殺した。
「…たった……たった、それだけの話で……?」
ボスは。みんなは。俺の家族は。
殺されたと、そう言うのか…?
「断られんのは目に見えてたけど、わざわざあんな脅迫をするとは思わなかった。お前のボスも何考えてたんだか」
自分の命を簡単に溝に捨てやがってよぉ。そう言ってケラケラ笑う破天荒に、怒りの沸点は頂点に達した。
顎を持ち上げていた銃を凪ぎ払い、怯んだその一瞬の隙をついて起き上がり、破天荒の体を床へと押し付ける。そして自身の銃を、破天荒の額へ押し付けた。
足の痛みなんてもう気にならなかった。…いや、そもそも痛みなんて、既に感じていなかった。怒りの感情が、痛覚を麻痺させてしまったのかもしれない。
マウントポジションを取られたというのに、破天荒は笑みを崩さない。寧ろ、先程よりも楽しそうに見える。忌々しい、その金の瞳が、ひどく憎たらしい。
「…死ぬ前に、言い残したいことはあるか?」
「あ? なんだよヘッポコ丸、俺のこと殺すつもりか?」
「あぁ殺してやるよ! 誰がお前らの仲間になんかなるもんか! これが俺の答え! その証明にお前を殺してやる! どうして俺を欲しがったのかなんて知らない、知りたくもない! だけど俺が、お前らを根絶やしにしてやるんだ!!」
「なーに勘違いしてんだか知らないが」
一切凄んだ様子も無く、破天荒は言う。
「お前を欲しがったのは、組じゃない。――この俺だ」
「……は、ぁ…?」
「俺の私益のために、お前が欲しかっただけさ」
破天荒の言葉が耳をすり抜けていくようだった。脳が意味を理解してくれない。頭の中が真っ白になっていく。考え付いてはいけない場所に、思考回路が辿り着いてしまう。
俺を欲していたのは、破天荒ただ一人。組のくくりに関係無く、ただ俺を求めて『K.E』に来た。そして俺を『HGK』に寄越すようにとボスに交渉を持ち掛けた。しかしボスはそれを拒んだ。尚も引き下がる破天荒を銃で脅した。その行為を交渉決裂と見なし、自分が殺される前にボスを殺した。そして――みんなも殺された。たったそれだけの話。
そう――単純な話だった。
「…っ俺が手に入らないからと言って、みんなを殺す理由になんてならないっ!!」
「理由? ハハハ、お前本気で言ってんのか?」
突き付けていた銃を掴み、破天荒は俺を嘲るかのようにこう言った。
「お前だって理由なんか有っても無くても、人を殺すくせに」
「っ…!!」
破天荒の言う通りだった。人を殺すことに、理由をつける方が稀だ。理由なんて有ろうと無かろうと…俺達殺し屋は、簡単に人を殺すんだ。
そういう風に――俺達は生きてきたんだ。
動揺が走る。手が震え、照準が上手く定まらない。それは銃身を未だ掴んだままの破天荒にしっかりと伝わっていることだろう。それが分かっても尚、震えは治まることを知らなかった。
「――分かったか? 自分が抱く怒りが、どれほど勝手なモノなのか」
囁くように、破天荒の舌が巧みに俺を絡め取っていく。
「――今まで数多の人間を殺しておいて…その怨恨すらも断ち切ってきたくせに…自分がその状況下に置かれれば、復讐に燃える…それほど理不尽で身勝手なことがあるか?」
「あ…あ…」
「――悪いとは思ってるぜ? 俺だって、こんなことしたい訳じゃ無かったんだからよ。あくまでも穏便に、事を済ませたかったのさ。…けどな」
そうさせなかったのは、お前の組のトップだよ――
もう、銃を握ってなんていられなかった。最早添えるだけとなって指から力が抜け、それは破天荒の手中に収まった。ダラリと垂れた両腕にはほんの僅かな力も入らなかった。
足が痛みを思い出したかのように疼きだした。痛い。熱い。動かそうにも感覚が無い。血は未だ止まっていない。視界が揺れる。瞳に映るのは破天荒と、その体に纏わりついてる返り血…みんなの、命。
「………これが…」
これが、俺に下される報いか。
自分の居場所を奪われてしまったのに、復讐を怒張させて爆発させることが出来ない。元からそんな権利が存在していない。ただ事実を受け止め、昇華し…しかし忘却せず、その命を背負って生きろと。生きていかねばならないと。そういうことなのか。
「泣く必要なんざねぇぜ、ヘッポコ丸」
ゴトリ、と銃を投げ捨てて、項垂れる俺を、破天荒は痛いほどの力で抱き締める。そうされることで濃い血の臭いが鼻をついたけれど、もうその体を振りほどく余力など残っていなかった。
「だーいじょぶだーいじょぶ。お前が失ったモンは俺が補ってやっからよ。一人は嫌なんだろ? だったら好都合だ。『HGK』にくりゃあ良い。俺は元々お前を組に引き込むつもりだったんだ。なぁに心配すんな、おやびんだって分かってくれるさ」
ひどく身勝手に話を進めていく破天荒。茫然自失としている俺の体をひょいと抱き上げ、なんの返事もしていない俺を連れて血濡れ地獄と化した部屋を出た。抗う力なんて無かった。もう全てがどうでも良かった。理不尽に抱いてた怒りももう沸いてこない。
今、懐に隠しているナイフでコイツの首を抉れば、カタキを討つことは容易だ。しかし、その行為になんの意味もそうする資格も無いと分かった今では、そうすることすら億劫だった。
――あぁ、なんだかとても、眠い…。
血に濡れた胸元に頭を預け、目を閉じた。そういえばどうして破天荒が俺を欲していたのかを聞いていないことを思い出したが、そんなもの後で聞けば良いかと見切りをつけて、みんなの命の臭いを嗅ぎながら、俺の意識はブラックアウトしていった。
――――
裏を切り刻むその笑みで
シド/落園