※親子パロ







俺とヘッポコ丸が家族になったのは、十四年前。俺が二十歳になって少ししてからだったと記憶してる。




大学から帰ってきて、最初に視界に入ったのは電話の前で固まる母さんの姿。青ざめた顔で受話器を握り締めて、ハラハラと涙を流して立ち尽くしていた。当然、俺は「どうしたんだ」って母さんに詰め寄った。母さんは泣きはらした顔で、受話器を一層強く握り締めて、掠れた声で、残酷な事実を告げた。







姉さんと義兄さんが、事故で死んだと――そう言ってきた。







大好きだった姉さんと義兄さん。その二人が事故で死んでしまったという母さんの言葉なんて、到底信じられなかった。でも、疑心を抱いたまま向かった病院の、医師が案内してくれたのは紛れもなく霊安室で…そこに冷たく横たわる姉さんと義兄さんを見て。






そして…その傍らで、ずっと「パパ」「ママ」と呼び続ける幼子――二人の息子で、二歳になったばかりのヘッポコ丸を見てしまうと…それは否定しようもない、出来るわけもない現実なんだと、受け入れるしかなくて。







溢れてくる滂沱の涙。響く父さんと母さんの泣き声。そしてそんな場にそぐわない、あまりに無邪気で幼い呼び声。まだ[死]なんか到底理解出来る年齢じゃないのは百も承知だ。それが、今の状況にはひどく辛かった。人の死に慣れざるを得ない医師や看護士ですら、ひたすらに「パパ」「ママ」と呼び続けるヘッポコ丸の姿に、涙を堪えきれない様子だった。




「ヘッポコ丸…」




涙を拭いながら、ヘッポコ丸に近付く。




「あ、はてんこー」




声に反応して振り返ったヘッポコ丸は、いつもと変わらない笑顔で俺を見上げてきた。その幼い瞳に映る俺の顔は、ひどく情けない顔をしていた。


それを見たくなくて…何よりヘッポコ丸に見られたくなくて、俺はその小さな体を強く強く、抱き締めた。




「はてんこー、泣いちゃめー」
「ごめんっ、ごめんな…ヘッポコ丸…ごめん…」
「はてんこー?」




ヘッポコ丸は分かってない。自分の両親が死んだということも、俺や、ほかの人が泣いてる理由も、何も分からない。分かるはずがない。何も分からないから、コイツは泣けない。嘆けない。両親を失ったという事実を、悲しむことなんて出来ないんだ。



そう思うと余計に涙が溢れてきて、噛み殺せなかった嗚咽が洩れてくる。ヘッポコ丸を掻き抱いて、年甲斐も無く泣いた。泣けないヘッポコ丸の代わりに、姉さんと義兄さんの死を悲しんだ。家族を失ったことも分からないヘッポコ丸の代わりに、二人の死を嘆いた。





「はてんこ、だいじょーぶ?」




触れてくる小さな手の平は暖かい。亡くなった姉さんや義兄さんの冷え切ったそれじゃない、確かな体温。




「なぁ、ヘッポコ丸」





この暖かさを離したくなかった。…いや、手離してしまえば、この暖かさが失われてしまうと思ったんだ。親を失った寂しさと悲しさを理解出来る年齢になった時、きっとコイツは家族に焦がれ、もう笑顔を浮かべてくれなくなるんじゃないかと…俺はそう、危惧したんだ。






大好きな姉さんと義兄さんの忘れ形見であるヘッポコ丸。コイツを不幸になんてしたくなかった。俺の知らない場所で不幸になってしまうぐらいなら――




「俺と、家族になろう」






――俺が、コイツを幸せにしてやる。















若輩である俺がヘッポコ丸を引き取り育てることに、反対が無かった訳じゃない。寧ろ、反対意見が大半を占めていた。でも、俺は頑として譲らなかった。俺がヘッポコ丸を育てる、家族の暖かさを教えてやる、そう言って大人達を一蹴して退けた。俺のあまりの頑固さに、回りの大人達は暫くすると折れて、晴れて俺とヘッポコ丸は親子になった。




大学と、バイトと、育児と。併行するのはそれなりに大変だったけど、俺はなんとかその苦労を乗り越え、ヘッポコ丸に父親らしいことをしてやれた。ヘッポコ丸も俺を父親と認識してくれているようで、「父さん」って呼んでくれる。ちょっとくすぐったく思ったけど…俺は幸せだった。ヘッポコ丸も幸せだと思ってくれていると嬉しいんだが…あいにく、本人に直接聞いてみたことは無い。聞いてみて否定されることは無いだろうけど、答えてくれなかったりしてもそれはそれで凹む。だから敢えて聞かなかった。聞かないまま、俺とヘッポコ丸の暖かいニセモノ家族は継続していって。





――そして、俺達が家族になってから何度目かの冬。




少なくとも、俺が信じていた幸せに、亀裂が入る。







「どうして黙ってたの?」




そう言うヘッポコ丸の瞳は今にも泣き出しそうに揺れていて、涙の膜が張られた真紅はとても綺麗だと思った。




「なんのことだ?」




分かりきっているくせに、俺は敢えて問う。それがヘッポコ丸の心を傷付けるだけなのは明白なのに…臆病な俺は、無意味な時間稼ぎに勤しむのだ。




俺の言葉を聞いて、とうとうヘッポコ丸の瞳から雫が零れた。はぐらかされたことに対する悲しみか、はたまた怒りか。綺麗な瞳から流れる雫は、その真紅に負けず劣らず綺麗だった。





「とぼけんなよ! 俺と、父さんが、本当は血が繋がってないことだよ!」
「………」





やっぱり…か。とうとう、バレた。いや、今まで隠し通せただけ偉業だろう。この年になるまで、ヘッポコ丸から血の繋がりについて追及されたことは無かったし、俺も自分からそれを明かそうとはしなかったから。母親の所在については再三聞かれたけど、ヘッポコ丸は俺との血の繋がりを少しも疑っちゃいないみてぇだったし。





一体どうして今、この事実が明るみに出たのだろうか。…いや。情報源なんか、分かり切ってる。





「婆ちゃんがなんか言ってきたのか?」





俺の母だ。ヘッポコ丸からすれば祖母にあたる。あの人しか考えられない。あの人が口を割らない限り、ヘッポコ丸に知られることなんて有り得ない(ちなみに父さんは去年他界した)。



俺の問い掛けに、ヘッポコ丸は袖で涙をゴシゴシと拭ってから、教えてくれた。





「もう、俺も高校生なんだから…母さんのこと、ちゃんと知りたかったんだ。でも、父さんには聞き辛いから…お婆ちゃんなら、教えてくれるかもしれないって思って…」
「なるほどな」






確かに、ヘッポコ丸が母さんを頼るのは当然だ。今までヘッポコ丸にコイツの母親についての質問を再三されてきたが、俺はいつもはぐらかしてばかりだった。いずれは話さなければならないと分かっていたが、ずっと俺は先延ばしにしてきた。そうして先延ばしを続けて、いつしかヘッポコ丸から母親について聞かれることは無くなったから、そのまま放っておいたんだ。




幾度もはぐらかされたんだから、俺に聞き辛いって思うのは仕方無い。その結果、コイツは母さんに事実を聞きに行ったんだ。母さんにはキツく口止めしてたが、きっとヘッポコ丸に押し負けたんだろう。で、洗いざらいヘッポコ丸に喋っちまった…ってとこか。








バレてしまったのなら、もう隠しておく必要は無いか…不毛な家族ごっこは、これで、終わってしまうんだ――






「確かに、俺はお前の本当の父親じゃない。お前は俺の姉さんと義兄さんの息子だ。お前が二歳の時、二人は事故で死んだ。で、俺はお前を引き取って、育てることに決めた。…ずっと本当のことを黙ってたのは、悪かったと思ってる。けど、まだお前は子供だから。余計なこと言って、不安にさせたくなかったんだ」





弁明を並べ立てる間、ヘッポコ丸の瞳を直視することが出来ずに不自然に彷徨う視線。きっと今ヘッポコ丸は、ひどく傷付いた瞳をしているに違いない。長年信じてきた関係を、無情にも全てひっくり返されてしまっているんだ。傷付かない方が、おかしいだろう。





「…罵りたきゃ罵ればいい。俺はずっとお前を騙して、父親面してたんだ。お前には俺を責める権利がある」
「っ…そんなの、言えるわけないじゃんかっ…!!!」





張り上げられた怒声と、胸にぶつかる衝撃。背に強く回されたのは、紛れもなくヘッポコ丸の腕だ。まだまだ細っこい、成長期特有の腕。



俺に抱き付き、ヘッポコ丸は俺の胸で嗚咽を洩らして泣いている。零れた涙がパタパタと俺の服を冷たく濡らす。義兄さんそっくりの銀髪が、しゃくり上げる度に胸元でゆらっと揺れる。





「血が繋がってないなんて、関係無い! 俺の父さんは、父さんだけなんだ……でも、俺のせいで…父さんの人生が、めちゃくちゃになってっ…」
「別に、めちゃくちゃになんかなってねぇよ。特にやりたいことも夢もあった訳じゃねぇんだからよ」





抱き締めることを躊躇い、その銀髪を撫でるだけに止まる俺の手の平。本当は強く抱き締めてやりたい。その震える背を撫でて、溢れる涙を拭ってやりたい。





ただ…もうニセモノの家族関係に亀裂が生じた今、そうしてやるのはただ残酷であるように思えて、仕方無いんだ…。




「っでも、父さん、まだ二十歳だったって…まだ色々、やれる年だったじゃないか…それを、俺みたいなガキ育てるために、棒に振って…」
「だーかーら、別に良いんだって。寧ろ、お前を育てんのが、ずっと俺の生き甲斐だったんだから」
「……でも」




ようやく上げられた顔は、涙で濡れそぼっていた。普段の紅とは違う痛々しい赤色に、心がズキリと痛む。




「俺が、父さんの……破天荒の人生を、壊したんだよ…」
「っ…だから、そんなことねぇって」
「あるんだよっ!」




俺の体を突き飛ばし、ヘッポコ丸は有らん限りの声で叫んだ。その声量に思わず体が竦む。聞いたことの無い叫び声だった。





「俺さえいなきゃ、破天荒にはもっと違う生き方があった! 俺がいるから、破天荒は結婚することすら出来ない! 俺がっ…俺が邪魔だからっ…!!」
「っそんなことねぇって何度言やあ分かんだクソガキ!」






勝手にマイナスな方向にばかり思考を働かせるヘッポコ丸を、今度は躊躇なく抱き締めた。強く、強く、その体が折れてしまうんじゃねぇかってくらい、強く抱き締めた。




俺の怒声に、そして突如与えられた抱擁に、ヘッポコ丸の体がビクリと強張る。しがみつくように俺の服を掴んだ手が、少し震えてるように思えた。





「お前が邪魔だとか、んなこと一回も思ったことねぇ。お前は俺にとって大事な息子で、宝なんだよ」
「はてん、こう…」
「もう父さんって呼んでくれなくたって良い。でも…俺は、お前とは家族でいたい。たとえ血が繋がってなくたって…ニセモノであっても…俺は、お前を手放したくない」
「…う……」
「それじゃあ、駄目か? もうお前は、俺と家族で有り続けるのは嫌か?」
「っ…やじゃないっ…! 俺もっ…俺だって、破天荒と家族で、いたいよぉ…っ!!」







しゃくりあげながらも直情に思いをぶつけてくれたヘッポコ丸。家族でいたいと、コイツは確かにそう言ってくれた。





その言葉で、俺はようやく、ヘッポコ丸とホントウの家族になれたように思えた。血なんか繋がっていなくても、もっと違うもので繋がれたように感じた。それはただの思い込みかもしれない。俺が都合良くそう解釈しちまってるだけなのかもしれない。








けど…今は、この都合の良い解釈のままでいようと思う。強く俺の体にしがみついてくるヘッポコ丸を、今はまだ手放したくないから。俺のエゴでも良い、この家族関係を持続させていたい。ヘッポコ丸が自らの意思で、俺の側から居なくなってしまう日まで。








その日が来るまで――家族ごっこは、まだ、続けていく。





















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