ギガ様の気紛れは今に始まったことじゃない。ここ、サイバー都市は、ギガ様のその日の気分に左右されるひどく脆い都市だ。ギガ様の発する一言一言が絶対の権力を有し、その発言によって人一人の命でさえ、簡単に潰えてしまう。



サイバー都市の住民一人一人が、ギガ様の奴隷であり駒であり玩具である。この街で生まれ育った者ならば誰だって受け入れざるを得ないこの事実。あの方からの一言である者は職を失い、ある者は住処を失い、ある者は人権を失い、ある者は命を失う。奪われ、搾取されるばかりの哀れな住民達。それをさも他人事のように受け止め、ただ傍観するだけのぼくら電脳六闘騎士。この都市の中で特別な位置にいるぼくらにとっても、住民達は等しく奴隷であり駒であり玩具であるのだ。暇潰し程度の、脆い玩具。





反旗を翻し、ギガ様に直接刃向かうような勇敢な者は残念ながらこの都市には居ない。その代わりに現れるのは、この都市から脱出しようとする愚かな鼠共。四方を海に囲まれたこの都市から出られる筈もないのに、彼らは全てを投げ出し、逃亡しようともがく。しかしそれは絶対に叶うことはない。海辺では常にギガ様の部下達が見張っている。その部下達に捕まってしまえば、それでお終い。ジ・エンドだ。





捕まった逃亡者の辿る運命は決まっている。ぼくら電脳六闘騎士の前に晒され、見せしめとして大画面に映されて殺されるか、そのまま海に沈められるか、取られる処置は大凡この二つだ。逃げ出すことは、イコール自分の死に様を決定付けているということに他ならない。住民の誰もがそれを痛いほど理解している筈なのに、愚かにも「自分なら見つからずに逃げ切れる」と浅薄な自信を持って外を目指す者は微々たる数ながら存在する。本当に愚かとしか言いようがなくて、ぼくはいつもぼくの手によって抹殺される逃亡者(ぼくは彼らを<罪者>と呼んでる)を前に溜め息をついてしまう。



まぁこの死に様も、ギガ様の気紛れ発言によってはもっと残酷なモノに変貌したりするのだけど(前は生きたまま両足を切り離して失血死させたんだったかな?)。だから、晒し者になって死ぬか、海の藻屑となって消えるか、それともギガ様の気紛れによってより残虐な死に様を強要されるか、選択肢は実は三つあることになる。決定権は彼らには与えられないけど。全てはギガ様の御心のままに、だ。






だけれど、ギガ様の気紛れは何も<罪者>の処刑方法を決めるだけには止まらない。ぼくが本当に語りたい話は、ここから先のもの。前置きが長くなっちゃったけれど、どうか心して聞いてほしい。彼の発言の絶対的な力を。その全貌を――。








――――





助けてくれ、どうか命だけは――聞き飽きた、ありきたりな、命乞いの言葉。身勝手に、そして自分の意志でこの都市からの逃亡を謀ったくせに、あっさり捕まってその命を消される結末に至った瞬間に、手の平を返したようにみっともなく存命を乞う。耳に胼胝が出来るほどに突き抜けていったその喚き声を、ぼくはさながら殺戮の最中に流れるのBGMように受け入れていた。



だけど、こうして言っている内容を判別してあげてるだけ、ぼくは優しいんじゃないかと自負していたりする。だって『彼』は命乞いの内容を理解しようともせず、そもそも認識してやること自体無意味だと考えているのか…『彼』は、何にも耳を貸さない。そうして泣き喚き生に縋る<罪者>を自分の愉悦のためになぶり殺す。こんなことぼくが言えた義理じゃないが、そんなぼくから見ても『彼』の残酷さは常軌を逸脱し過ぎているような気がしてならない。







――ギガ様が植え付けた記憶によって崩壊した『彼』の人格は、人間としての面影を欠片程度にしか繋ぎ止めていないのだと、この光景を見る度に痛感する。







「うるさい雑音ばっか出してんじゃねぇよ」





もう何発目になるのか分からない拳を顔面にヒットさせながら、『彼』は小さく呟いた。既に息絶えている<罪者>であるにも関わらず、『彼』は執拗に拳を奮う。『彼』の拳が<罪者>の骨を砕く音ばかりが場を支配する。砕かずとも、拳骨と頭蓋骨がゴッ、ガツッ、と嫌な音を立てていて、常人ならこの音にすら耐えられないんじゃないだろうか。『彼』の言動が示す[雑音]が、骨が砕かれる音のことなのか、骨と骨がぶつかる音のことなのか、もう聞こえない<罪者>の悲鳴や命乞いの余韻のことなのか、残念ながらぼくには判別しかねた。




『彼』の拳はすでに血で真っ赤に汚れていて、振り上げる度に血の雫が当たりに散る。散った雫で髪や頬を汚しながら、『彼』はそれを気にする素振りすら見せずに拳を振り続ける。何度も何度も殴りつけて、何度も何度も血を散らせて。その度『彼』は――恍惚な笑みを、浮かべる。





「ヘッポコ丸くん」




しかし、そろそろそんな光景に飽きてきてしまったぼくは、少し張った声で『彼』の名を呼んだ。それだけで、今まで一度だって止まらなかった『彼』の拳はピタリと止まり、キョトンとした顔でぼくを見上げた。先程まで浮かべていた恍惚の笑みは、あっさりと奥に引っ込んでしまった。





「もういいよ。そろそろ捨てようか、ソレ」




ぼくが<罪者>を顎で示しつつ提案して立ち上がると、ヘッポコ丸くんは年相応の笑顔を浮かべて「はい」と答えて立ち上がった。先程までの笑みとは違う笑み。それが『彼』の、僅かに残った人間らしさだ。



しかし、ぶらりと垂らされた拳からポタポタと滴る血の雫が、それすらも霞ませているように、ぼくは思えた。













『彼』――ヘッポコ丸くんは、マルハーゲ帝国に仇なすボーボボ一味の一人だったらしい。…最初に龍牙にそう説明されたのだが、サイバー都市の外の事情なんて全く興味の無いぼくとしてはどうだって良いことだった。ボーボボ一味という存在も、龍牙に説明されて初めて知った程だ。しばしばこの都市から遠征することが多い龍牙だからこそ、マルハーゲ帝国の現状をよく把握出来ていただけの話だ。



ボーボボ一味の一人でありながら真拳狩りの対象者であったため、ヘッポコ丸くんはサイバー都市に連れ去られてきたわけだが、ギガ様はいつものように『彼』をオブジェにするのではなく、何故か自分の部下にすることにしたらしかった。どういった企みがあってそんな判断を下したのか、ぼくら電脳六闘騎士には一切明かされなかった。しかし、明かされずともぼくらは――ぼくは、ギガ様の命令に従うだけだ。






ギガ様からぼくに下された命令は――ぼくの真拳の最大奥義『記憶破壊陣』で、『彼』の記憶を全て消し去ってしまうというものだった。そして記憶を消去した後、ギガ様が都合良く作り上げた記憶を植え付け部下にする、というのが要であった。床に這い蹲らされた状態でそれを聞いていた『彼』は「ふざけるな」と吠えたけれど、ギガ様はただ笑ってそれをいなした。






そして『彼』の耳元で、こう囁いた――――「お前はとっくに、俺のモノなんじゃん」と。







いっそ清々しささえ覚えるギガ様の残酷さに、ぼくを含めた電脳六闘騎士全員は初めて会った時から深く魅了され、彼に絶対の忠誠を既に誓っている。彼の下に跪き、彼を敬い、彼の操り人形に成り果てることを志願し、強く切望した。ギガ様の手足となり、駒となり…あの方のためなら、自らの命を捨てることすら厭わない。ぼくら六人は、それほどギガ様に[惚れ込んでいる]と言っても良い。







ギガ様の言葉に誘われるがまま、ぼくの最大奥義は発動した。そこで初めて『彼』は狼狽の色を見せたが、抗う術を持たぬが故に、ぼくの奥義は簡単に『彼』の全てを奪った。そうして真っ白になった『彼』の脳に、ギガ様は宣言通り捏造した記憶を植え付けた。それにより、ヘッポコ丸くんは呆気なくギガ様の配下としてかしずいた。今は電脳六闘騎士の見習いという形でぼくに預けられている。


ギガ様の思惑が、電脳六闘騎士の総長であるぼくにすら明かされないのは少し寂しいのだけれど…それは口に出さない。ぼくが意見しなくたって、全てはギガ様が完璧に仕上げてくれるだろう。





「真拳が使えないなら、なにか武具を持てば良いのに」





血で汚れた顔や手を拭ってやりながら、ぼくはそう言った。大人しくされるがままになっているヘッポコ丸くんは「んー」とぼくの提案に首を傾げている。




「俺は別に困らないんですけど。やっぱり武器を持った方がいいんですか?」
「いや、ちょっと言ってみただけだよ。君が必要としないなら、それでいいさ」




あらかたの血は拭き取れたので、ぼくは錆色に汚れた手拭いをその辺に放り投げた。結構な量の血を拭いたからそれは異様に錆臭いのだけれど、ぼくもヘッポコ丸くんも須く錆臭いから、今更臭いの元が増えたって何も変わらない。ということで、放置。



拭き取れなかった血の雫が所々付いている髪を、お疲れ様、という労いの意味を込めて撫でてやると、『彼』は嬉しそうにふにゃりと笑った。





「ありがとうございます、詩人さん」




ヘッポコ丸くんがぼくのことを[様]ではなく[さん]付けで呼ぶのは、単純にぼくが[様]付けで呼ばれるのが嫌いだからだ。最初に[様]付けで呼ばれた時にそう訂正を入れると、『彼』は特に謙遜する素振りも見せずすぐに「詩人さん」とぼくを呼称した。意外に順応性が高いらしい。




「俺、あと何人殺せばギガ様の役に立てるのかなぁ」




グッ、パッ、と両手を握ったり開いたりしながら、ヘッポコ丸くんはポツリと小さく疑問を零した。そういえば、あれからギガ様からなんのコンタクトも無い。『彼』が疑念を抱くのは、仕方無いかもしれない。




「さぁね。ギガ様が認めてくれるぐらい殺したら、かな」





我ながらなんの答えにもなっていないと思うが、ヘッポコ丸くんは別段気にした風でもなくコクリと頷いた。





「じゃあ、もっと殺さなきゃダメですね!」




満面の笑みで物騒な言葉を吐き出すヘッポコ丸くんを見ていて――ぼくは不意に、初めて『彼』と対峙した時のことを思い出した。



龍牙の牢獄真拳によって拘束された『彼』を、龍牙と、そしてギガ様がここに連れて来た。乱暴に床に這い蹲らされ、自分にこれから降りかかる事実を知り…それでも『彼』は、何も諦めていなかった。久しく見ていなかった、好戦的で真っ直ぐな瞳をしていた。絶望なんて微塵も抱いていなくて、全く希望を捨てちゃいなかった。あの鋭い真紅の瞳が、ぼくは忘れられない。




あの時の『彼』と今の『彼』は、残念ながらどうしても重ならない。当然なんだけど。今の『彼』を形成しているのは、ギガ様が植え付けた偽物の記憶だ。本来の『彼』の姿なんて、ぼくの最大奥義が破られない限りもう見られないだろう。


本来の『彼』の姿を奪ったのはぼくの真拳だ。だからそれを残念に思うのは、些かお門違いだ。だけれどどうしても、惜しく思えてしまう。せっかく見つけた、ぼくを満足させてくれそうな相手。どうせなら、『彼』とは一戦交えてみたかった。それがもう一生出来なくなったのだと思うと、柄にもなく悲しくなったり。『彼』はそんなぼくの心中など知らず、ぼくの手の感触に気持ちよさそうに破顔している。







ボーボボ一味がこの都市に潜入しているらしいというのは、先程<罪者>を回収しに来た部下が教えてくれた情報だ。どんな方法でこの都市に潜り込めたのか知らないが、生半可な実力者ではないだろう。いずれはこの書極処刑場にやってくるかもしれない。



その時、こんなに変わってしまったヘッポコ丸くんを見て――ボーボボ一味の面々は、『彼』のかつての仲間達は、一体どんな反応を見せるだろうか。






驚愕?



困惑?



悲嘆?



憤慨?







なんであれ、楽しみだ。








「さっき部下から聞いたんだけど…どうやら数刻前に、侵入者が現れたらしいんだ」
「侵入者?」
「そ。この都市に害悪を齎す、不吉な存在さ」
「害悪…」





その瞬間、ヘッポコ丸くんの顔から、笑顔が消えた。瞳の光も濁り、少年らしからぬ狂気的な表情へと一瞬で変貌した。



ゾクリ…と、ぼくの背筋に悪寒が走る。たかだか十五、六歳の少年が、どうしてこんなにも狂気に満ちた表情が出来るのだろう。ギガ様は、どれだけ破綻した記憶と人格を、『彼』に植え付けたのか。





「それは――」





やがてヘッポコ丸くんは、低い声で言った。





「ギガ様に仇なす者ですか――?」





疑問符を付けながらも、それは既に確信を抱いているような口振りだった。別段否定する必要も無いと判断し、ぼくは「そうだよ」と言った。





「ソイツらはこの都市に災厄を持ち込んだ。この都市の拮抗を崩しかねない、異分子だ」
「異分子………なら、」





更に笑みが深くなった『彼』。そして、続いた言葉は――





「――殺していいんですね」





既にそれは、問い掛け、ではなかった。とっくに決定している事柄を、わざわざ確認したかのような、あまりに白々しいモノだった。その口振りがぼくは変にツボに入っちゃって、少し吹き出してしまった。しかしそれに、ヘッポコ丸くんは特に気分を害してはいないようだった。







――君が殺そうと息巻いてる相手は、君のかつての仲間なんだよ。







そう言ってやったら、『彼』はどんな顔をするのかな…。






「殺していいよ」





笑いがある程度収まってから、ぼくは断言した。





「いずれ、侵入者はここにもやってくる。その時、ヘッポコ丸くんが殺してやりな」
「詩人さんはいいんですか?」
「ぼくは、可愛い部下がどれだけの実力を身に付けたのか、高みの見物とさせていただくことにするよ」





そう宣言すると、『彼』の表情から狂気が欠けた。狂気の欠けた笑みで「ありがとうございます」と言った。その笑顔はやはり、『彼』に唯一残った人間らしさのように思えた。





「それまで、<罪者>を処分して待っていようか」
「はい!」





ヘッポコ丸くんが喜々とした声音でそう返事をした丁度その時、部下が新たな<罪者>を連行してきた。それを見て、またヘッポコ丸くんの目が怪しく光った。ゆらりと立ち上がり、腰が抜けてしまっているらしい情けない<罪者>の元へと、ゆったりとした足取りで歩み寄っていく。





「侵入者も、<罪者>も、全部殺す。全部全部殺して、ギガ様の役に立てるようになる。ギガ様の、ギガ様のために――」





ブツブツと紡がれるは『彼』の隠しようの無い狂気の全貌。言動から鑑みれるギガ様への忠誠。作られた忠誠である筈なのに、それがあまりに自然に映ってしまって少しの違和感。途中から入り込んだ筈の『彼』が、この空気に馴染みすぎているように思える。……もしかしたら、今の『彼』こそが、本当の姿なのだろうか?





振り上げられた一発目の拳が<罪者>の鼻を砕いた音と、<罪者>が上げた絶叫が、ぼくの鼓膜を心地良く揺らした。それに耳を傾けながら、ぼくは未だ姿も知らないボーボボ一味が、こんなにも変わり果てた『彼』を見てどんな反応を示すのか…と、勝手に想像を膨らませていた。




























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寸劇の狂喜は美しい
the GazettE/A MOTH UNDER THE SKIN

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