「約束してへっくん。もう私を庇って、ケガしないって」





そう切り出したのは、ヘッポコ丸がビュティを庇って負傷した時だった。これが一体何度目になるのか…なんて、もう誰にも分からない。誰も正確な数なんて記憶出来ない程、ヘッポコ丸はよくケガをした。一度の戦闘で、幾つもの生傷を拵えて、危なっかしくその命を繋ぎ止めていた。






その傷の殆どの理由が、ビュティを敵の攻撃から庇った時だ。パーティの中で唯一戦闘能力を持たないビュティは、格好の的となる。敵はボーボボやソフトン、破天荒などの主力メンバーを真っ先に潰そうと躍起になるが、それは悉く返り討ちに遭う。追い詰められた敵は、必ずと言って良い程その武器をビュティに向ける。ボーボボも、ソフトンも、他の仲間達も、それを全力で阻止する為にさらに攻撃の質を上げ、それはそのまま撃退に繋がっていく。ビュティの存在は、守るべき尊いものであるのと同時に仲間達の力の源にもなっているのである。



それでも、それが間に合わない時だってあり、結果ビュティの身が一番の危機に晒されることが少なからずある。それを防ぐのが、比較的ビュティの近い場所で戦闘に及んでいるヘッポコ丸だ。ビュティの身を案じて、あまり遠くに戦闘の足を出せないようなのである。しかしその守り方はあまりに無謀で、あまりに危ういもの。自分の身をビュティの前にさらけ出し、ビュティが受けるはずだった攻撃をその身で受け止めるのだ。それが拳であろうと、刀であろうと、銃であろうと、鈍器であろうと、そのやり方は変わらない。そしてその結果、ヘッポコ丸は傷を拵える。時に些細な、時に重大な傷を。







今回のそれは、『重大』に分類されるものだった。








いつも悲しげに眉を下げて「ごめんね」「大丈夫?」と声を掛けながら治療をするビュティだったけど、この日はそうじゃなかった。治療の間終始無言で、手を休めずに治療を終えたかと思えば、謝罪よりも先に、ヘッポコ丸に約束を迫った。もう自分を庇うなと。庇ったとしても、ケガをするなと。






突きつけられた要求に、ヘッポコ丸は静かに眉を寄せた。片目には大きめのガーゼが貼られており、彼の鋭い真紅を隠していた。今日ビュティを庇った際に負った『重大』に分類されるケガだった。




今回も例に倣い、追い詰められた敵が定めた標的はビュティであった。血と泥で汚れた刀を操る刀剣遣いであった敵は、その見事な足捌きでボーボボ達の包囲網をかいくぐり、予めビュティが避難していた岩場へ疾走した。共に隠れていた田楽マンが第一撃の軌道を逸らしたが、すぐに峰打ちで戦闘不能にされてしまった。逃げるビュティを追い掛け、そのまま容赦ない一閃を浴びせようとした、まさにその刹那――ヘッポコ丸がその身を、二人の間に滑り込ませたのである。突然のヘッポコ丸の介入に手元が狂ったのか刀の軌道は逸れ、それはヘッポコ丸の瞼を裂いただけに留まった。その後追い付いたボーボボが繰り出した鼻毛真拳が炸裂し、この日の戦闘は終結した。





瞼を裂かれただけに留まったけれど、もし敵の手元が狂わなければ、この程度の傷では済まなかっただろう。最悪失明、ということも有り得た。ビュティを守り通す姿勢は見事だが、もっと自分の身を大切にしろ――ボーボボもソフトンも、口を揃えて言っていた。本当はもっと説教をしてお灸を据えたいであろう彼らは、その前に治療を優先した。瞼とはいえ、眼球の近くというのは浅い傷でも派手に出血する箇所だ。話は治療の後だ、と二人はヘッポコ丸をビュティに委ねたのだった。





しかしその二人の前に、ビュティからのこの要求である。ヘッポコ丸はまさかビュティにまで咎められるとは思っていなかったようで、その顔は驚きに満ちていながら、どこか傷付いた風でもある。守護した者から、守護した事実を咎められる。戦士として、それは存在意義の否定に等しいものだった。





「私、へっくんが私のせいでケガするの、もう見たくないの。だから約束して。その体を張ってまで、私を庇わないって」
「でも…」




ヘッポコ丸は反論しようと口を開けたが、しかし言い返す言葉が見つからず、結局何も言わずに口を閉ざすしかなかった。下手な言い分は、受け取り方によってはただの言い訳になる。ヘッポコ丸が模索したのは『言い分』であり『言い訳』ではない。その言葉が、咄嗟には思い付かなかったのである。






自分の体を危険に晒してまで守るのは間違っている――そんなことはヘッポコ丸だって深く理解している。憧れの対象であるボーボボもソフトンも、好ましく思っていないが実力だけは認めている破天荒も、そんな危険な守り方なんてしていない。あくまでも自分の実力を行使して、彼女を守り通している。時には無茶をするけれど、ヘッポコ丸のような『重大』な傷を負ったことは一度も無い。



彼等のように、スマートな守り方に徹したいという思いはある。しかし今のヘッポコ丸にはそれだけの実力は無い。だからいつもその身を敵の眼前に晒し、ビュティを襲う刃を自らで受ける。自らの力にまだまだ自信が持てないからこそ、ヘッポコ丸はそうしてビュティを守るのが一番の良案だと信じている。彼女を守れる程の力を身に付けるまでは、これが最適なのだと――心の奥底ではそんなこと微塵も思っていないくせに、その疑心に蓋をして、ヘッポコ丸はその身を呈してビュティを庇う。そしてその代償で、『些細』且つ『重大』な傷を負う。それを彼女は、芳しく思っていない。だから哀願する。しかしそれを、ヘッポコ丸は苦々しく突っぱねるのだ。




分かってる。これはただのエゴイズムだと。本来なら、こうして自らの身を犠牲にするような守り方しか出来ないのなら、いっそ見放してしまえばいいのだと。ビュティも、暗にそう言っているのである。ヘッポコ丸が自分を庇ってケガをするぐらいなら、自分一人が傷付く方が何倍もマシだ…と。






ビュティは、ヘッポコ丸の性格を熟知している。彼が誰よりも心優しいことも、必死で自分を護ろうとしてくれていることも、よく分かっている。だからいつもヘッポコ丸はビュティを庇うのだし、それで傷を増やしていくのであって…。



彼が自分の信念の下、戦いに望んでいるのだって知っている。今の自分の発言が、哀願が、そんな彼を傷付けてしまっていることぐらい、ビュティも分かってる。それでも……たとえ彼の心が傷付いても、嫌われてしまおうとも、庇われてケガを負わせるよりも遥かにマシだ。





「お願いへっくん。私の言うこと、分かるでしょ?」
「…うん」
「じゃあ、約束してくれる? もう私を庇ったりしないって」
「……悪いけど」





ヘッポコ丸は弱々しく頭(かぶり)を振る。それは、拒絶の表れ。




「約束したって、俺はすぐ約束破るよ。今まで通りビュティを護って、きっと今まで通りケガをすると思う」
「っだから…!」
「それが、今の俺が出来る唯一のことだから」





柔らかな笑みを浮かべて断言するヘッポコ丸を見て、ビュティはもう、何も言えなかった。悟ってしまったのだ。ヘッポコ丸の意志は、決して揺るがないと。何人も、彼の思いを、決意を、動かすことは叶わないと。自分の身を厭わずに誰かを守るのが、ヘッポコ丸のただ一つの正義。未熟な彼にとって、それが絶対の手段なのだ、と。








本心ではない守り方。






本心ではない守られ方。











多感な少年少女に、この事実はあまりに残酷で、互いの心に暗く濃密な闇を落とす。だけど、改善案を見いだせない二人は、幼いが故に、この現状を甘受すること以外には何も、出来ないのである。歯噛みして、足踏みして、しかしそのままで、進むしかないのだ。





「…ごめん。ビュティを困らせたいわけじゃないんだけど…」
「ううん。私だって分かってるよ。へっくんは、ただ私を必死に守ろうとしてくれてるだけなんだよね。へっくんがケガするのは、結局は私のせいだもん」
「ほら、やっぱり俺、ビュティを困らせてる」





俯くビュティを見て、ヘッポコ丸は失笑する。ヘッポコ丸の守り方がビュティにとって重荷になっているのは明白だ。今のビュティの言葉が、なによりの証拠である。しかしそれを知ったって、ヘッポコ丸の意見は微塵も変わらないらしい。





「それが分かってるなら、約束してよ、へっくん」
「んー…それはちょっと…」
「だよね」





今度はビュティが失笑する番であった。ビュティが困り果てているのを理解しているくせに、やはり自分の意志は曲げない。この強靭な精神のあり方は、やはり戦士だからだろうか。





「じゃあ、私から一方的に約束を結ばせてもらおっかな」
「え?」





押しても引いてもダメなら、もう強行手段に出るしかない。ビュティはヘッポコ丸の左手を取り、その小指に自らの小指を絡ませた。突然のビュティの行動にヘッポコ丸は驚愕し、動揺のあまりその手を払えずにわたわたと不可思議な動きで離れようとする。しかし――





「逃げちゃダメ」





空いた手が、ヘッポコ丸の腰を抱いて距離が開くのを防いだ。絡まった小指にもギュッと力が込められ、もう二人の距離が開くことはない。慌てふためくヘッポコ丸とは裏腹に、ビュティの表情は真剣そのものだ。これでは慌てているヘッポコ丸の方が滑稽に映ってしまう。



ビュティの青い目が、ヘッポコ丸を見据えた。その眼差しにたじろぎ、そのまま見つめ返すしかないヘッポコ丸。





「へっくんが約束守ってくれる気無くても関係ない。勝手に約束させちゃうもん」
「え、ちょ、ビュ」
「ゆーびきーりげーんまん、うっそつーいたーらはーりせんぼんのーます! ゆーびきった!」




幼少期から耳馴染みな文言を唱えられ、そして一層強く指が絡んだかと思ったらそれはあっさりと放された。宣言通り、ビュティからの一方的な契りだった。突然のことに理解が追い付いていないらしいヘッポコ丸は、呆けた顔で自分の小指とビュティの顔を交互に見つめるばかりだ。





「忘れないで、へっくん。私が勝手にやったことだから、これを絶対守ってほしいなんて言わない。でも、私がへっくんにケガしてほしくないこと、庇われるばかりなのは嫌なことは、ちゃんと覚えててほしいの」
「……うん」
「頭の片隅でも良い、私の言葉を覚えてて」




再度、絡められた小指。伝わる微弱な温もりは、二人に安心感を与える。





「覚えててくれるなら、私はこれ以上何も言わない。いつも通りの、へっくんでいて?」
「…分かった。ビュティがそう、望むなら」




ヘッポコ丸は自ら小指に力を入れ、言葉の無い契りを交わした。ビュティが望む全ての願いを受け入れることなんて到底出来ないし、受け入れるつもりも無いけれど、ビュティの真摯な思いを無碍にすることも出来ない。こんな稚拙な約束でビュティが満足してくれるなら、甘んじて受け入れるべきであろう。






――でも、きっとこれからも、何も変わらないのだろう。





ヘッポコ丸はこれからも、己のケガも省みずビュティを庇うのだろうし。




ビュティはこれからも、己のためにケガをするヘッポコ丸を窘めるのだろう。






一方的に交わされた契りは、やはり一方的に交わされただけに留まり、守られることは無いだろう。ビュティの思いも、ヘッポコ丸の思いも、混ざることは決して無い。揺らぐことのない思想が、これからも二人を苦しめる。混沌の渦の中、互いの思いの押し付け合いを続けなければならない。





どちらかが折れるまで、この押し問答は続く。しかし二人は互いに確固とした信念があるから、どちらも簡単には折れない。日の目を見るより明らかなこの事実に、二人が気付いていないはずもない。…けれど、どうしたら現状を好転させることが出来るのか、解決策は今のところゼロだ。







――そして残念なことに、この一方的な契りが最後まで効力を成すことは、無かった。






小さな契りから僅か数週間後、彼はやはりビュティを庇い、ついにその命を落としてしまったのだ。








誰もが想定していた最悪のケース。訪れないことを強く願っていた現実が、無情にも牙を剥き、ビュティの心を深く惨く、削り落とした。






こうならないために、日夜色々な案を模索していたのに…結論に至るまで、ヘッポコ丸の無謀が止まることは無かった。――彼女に対する自己犠牲精神は、あんな小さく不明瞭な契りなどでは、到底押さえ込めなかったのだ。






「へっくんの、うそつきっ…!」




ヘッポコ丸の左手を握り締め、ビュティは号泣する。絶え間なく滴り落ちる涙が、既に冷たくなったヘッポコ丸の頬を濡らす。その死に顔に苦悶の色が浮かんでいないのが、せめてもの救いだ。…そんなことで、ビュティの嘆きが潰れることは無いのだけど。





「やくそく、したのに…!!」





今も鮮明に思い出せる、絡めた小指の温もり。交わした言葉。焦るヘッポコ丸の表情。苦笑した自分。繋がらなかった思考。一方的な契り。約束『した』とは到底言えない事実。








――それでも、可能な限りその言葉を守ろうとしてくれた、彼の優しさ。








もう――何もかも全て、水泡に帰してしまった。







「うわああああぁぁぁぁっ……!!!!」





響く慟哭は、果たして彼に届いているのだろうか…。



























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嘘のゆびきり
アンティック-珈琲店-/雨の繁華街

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