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□見返りは貴方次第
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「っはー、チョー疲れた、肩痛ぇー」


どすんと腰掛けた椅子がギギッと悲鳴をあげ、背伸びをする背中により負荷の掛かった背凭れが先程よりも高い音で苦痛を訴える。
それを見た雪男は被害者は椅子だと言うのにとてもそれに同情した。
無表情でそんなことを考えているなど露知らず燐は背凭れをぐんぐん揺らして天井を仰ぐように腕と尻尾をだらんと垂らした。コーヒーマシンの脇に立つ雪男に「俺にも」といつものように声を掛ける視線はやはり天井に向けられたままだ。


「何言ってるのさ、たかが一日でしょ」


軽い溜め息をいつもぬように吐いて、使い捨てのカップに慣れた手付きで二人分を注いだ。片方にミルクと砂糖を多目に入れてくるくると掻き回すと柔らかな色合いに変化する。ミルクの香りがふわりと漂ってその香りは決して嫌いではないはずなのにこれじゃコーヒー本来の香りとか風味なんか分からないんだろうなと密かに思っていた。
横で珍しく溜め息を吐く燐に少し違和感を感じて、たしんたしんとやる気のないリズムを取る尻尾を後目に「はい」と手渡すと「サンキュ」と両手で受け取りじっとそれを眺めながら暫し固まる。家でも外でもそれは変わらない。


「熱くないと思うけど」

「おまえと『熱い』と俺の『熱い』は違うんだよ」


じとっとした瞳が少し見上げてきて、またすぐに手元のカップに視線は注がれる。慎重に身体を丸めて両手で壊れ物を扱うかのような姿が妙に可愛らしくて上がる口角を隠すように口元に手を持っていった。


「そういうところは慎重なくせに。任務でももうちょっと慎重さを出してほしいな」


いつものように一言的を得た言葉を投げ付けて次回に反映させてくれればいいなと密かに少しの期待を滲ませる。本気で罵声を浴びせることも、燐の反応を楽しんでいることも無いとは言わないけれど、大抵はそれに対して悔しさを感じて見返してやるくらいの気持ちが生まれればと雪男は常に思っている。


「おまえに言われたくねぇよ」


ふぅふぅとコーヒーを冷まそうと口を尖らせながら横目でちらりと見てカップを少しだけ傾けるが、燐にはまだ熱かったようで慌てて口を離すとペロリと舌が唇を舐める。
いつもなら確信を突かれて口籠るか訳のわからぬ声を発するかなのに今日は少し違った。


「相手の出方も見ないでいきなり飛び出してく人が何言ってるんだ」

「相手に考える隙を与えないようにしてんだろ、ちゃんと警戒はしてんだよ」

「一緒に行動するこっちの身にもなったら?」

「なっ!んだと!?」


ギッと見開かれた大きな青い瞳と、同時にドスッと机の上に置いたカップから勢い良く飛び出たコーヒー。
見事にたっぷり手に掛かり「ぅあ"ち"っっっ!!!」と擬音ばかりの声を上げた燐は涙目でふぅふぅと息を吹き掛けているばかりで、火傷したときの対処法などまるで頭にないようで。
あれだけ慎重に扱っていたのに感情に左右されて一つの事しか見えなくなるのは何とも燐らしい。呆れるのが半分、諦めが半分の気持ちをまたも溜め息に変えて雪男はその手をそっと掴んで備え付けの小さなシンクまで連れていった。


「大丈夫?」

「......」


蛇口から出る水が少しばかり赤くなった肌を濡らし、じゃあじゃあと流れていく音がやたらと五月蝿い。
ぐんと近くなった距離で見る燐の横顔は不満以外の言葉が見つからないほどの、そんな顔だった。


「ねぇ、聞いてる?」

「......おまえだって人の事言えねぇだろーが」

「なにが」

「こっちの身にもなれってんだよ」


ボソボソと呟くような声の最後の方は聞かせたくないと言わんばかりに思いきり小さい。


「報告書、書くの俺なのに」


文章の構成力に乏しく、漢字さえまともに書けないからって僕にあたらないでほしい。今回の任務の責任者は兄さんなんだから。


「世界遺産の洞窟だぞ!ぶっ潰しやがって」


あぁ......それ、ね......。
自分でも少しやり過ぎてしまった、という感覚は、無いことも無い。

世界遺産に指定されたその場所に、悪魔が住み付き障気に満ちてしまったそこを浄化するのが今回の任務だった。
行ってみれば調査報告よりも遥かに多い雑魚の数。これではキリがないと判断し聖水の入った爆弾を独断で設置したが、古い遺産はその衝撃に耐えきれずに一部崩壊した、というもの。


「仕方なかったろ?ああいった場合、最善の方法だった」

「そうかもしんねーけど、あそこは世界遺産なの!」


きっとヴァチカンに呼ばれるとでも考えているのだろう。げんなりして項垂れる傍らでじっと赤みの引いた燐の手を見つめる雪男はフッと笑った。

そんなこと言ってるけど、自覚はあったのかと問いたくなる。
僕が爆弾を仕掛けてあの場所を吹き飛ばさなければ、雑魚共に身体を雁字絡めにされた僕を見てきっと兄さんは辺りを全て焼き尽くしたんじゃないだろうか。
あの目には本気が滲んでいた。
そうなれば一部崩壊じゃ済まなかったでしょ?


「笑ってる場合かよ...」

「フフッ、報告書頑張ってね。じゃあお先に」

「ちょ、手伝ってくんねーの?」

「じゃあお願いのひとつくらい聞いてくれるんだ?」

「仕方ねぇな......お願い...かよ」


そうは言ったものの、何を言われるのかとその瞳はそわそわと落ち着かない。きゅっと握られたコートに更に力が入ってそんなにいつも無茶な事を要求してるのかと苦笑するしかない。


「それじゃあ...」


飲み終えたカップを置いてするりと腰に手を回すとその後ろでビンッと尻尾が真っ直ぐに伸びた。恥ずかし気だけど何かを期待するように変わった瞳の色に目を細めて、顔を寄せ耳に近づいて、わざとらしく息が掛かるように言ってみる。


「考えとく」

「......!!」


離れて笑顔を向ければ反論出来ぬ燐は顔を真っ赤にしてこの場から逃げ出したいとばかりに休憩室の出口に向かい後ずさっていく。扉に手を掛けて上げられた顔がまた一気に紅潮した。


「い......痛いのとか、嫌だかんな!!」

「え、痛......?」


からかうと面白いからと思って言ったのに、凄い答えが返ってきて雪男までもが頬を染めた。逆にそれは痛くしなかったらいいって事なのだろうか。


「ははははやく片付けて帰るぞ!」


早く片付けて帰りたいんだ...
わざとなんだか天然なんだか、そういう煽り方はどうやったら身に付くのだろうか。

じゃあ、帰ったらご希望通りのものをねだろうかな。






end

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