thanks

□不機嫌なシッポ
1ページ/2ページ



時折文字の羅列から視線を外し、よく働きよく動く背中を見ていると自分の手元でカランとグラスの氷が音を立てた。部屋から持ってきた読みかけの小説本の頁はあまり進んでいない。自分でも自然と久しぶりに会ったその人が気になってばかりだと自覚はしているがあまりに気持ちがそわそわしていてそれに気付かれぬように口元を覆った。


「折角入れたのに飲まねえのかよ」


半分首を此方に向けた燐はすぐに視線を手元に戻してフライパンを火にかけた。
言われた言葉にグラスに目を落とすと外側に汗をかいて氷が半分ほど溶けてしまったアイスコーヒーは上部に水の層が出来ている。折角リクエストして入れてもらったというのに。


「あ、ごめん」


置いてあったスプーンを持ってきてくるくるとグラスの中身をかき混ぜ口を付けるとコーヒーの香りが一杯に広がった。やはり燐の入れてくれたコーヒーは美味しい。ただちょっとだけ薄かった、自分が悪いのだけど。
そんなことを思ってまたチラリと視線を上げるとこちらを気にしていたのか慌てて前に向き直す姿が目に入った。


「美味しいよ、薄まっちゃったけど」

「入れ直すか?」

「ううん、いいよ」

「......ふぅん」


何故か少し歯切れが悪い。何か言いたいことがありそうだ。それに自分以上にちらちらとこちら側を気にするのは同じような気持ちでいてくれるからなのだろうか。


夏休みに入ってすぐ長期任務に駆り出されたのは一週間前。
「夏休みくらいゆっくりしろ」と言う燐に対して「仕事なんだからそんなこと出来るわけないだろ」と言う雪男。どちらが折れる事も無く言い合いは和解には至らず半分喧嘩別れのような形で雪男は任務に出掛けた。
任務の間もお互いに連絡を取り合わなかった。
全くお互いの声を聞かずに過ごすのはたとえ一週間であっても身体の一部が欠損してしまったように物足りなく気持ちが不自由でとても胸が軋んだ。

任務を全て終えて寮に辿り着いた朝方、雪男が帰ってきた気配に気付いた燐は寝床からむくりと身体を起こし不機嫌そうに「お帰り、飯作ってくる」とだけ言って部屋を出ていった。
まだ怒っているのだろうか。
だが「飯作ってくる」と告げてくれたと言うことは自分の分も作ってくれて一緒に食べてもいいということだろうか。
それから慌ただしくシャワーを浴びて食堂へ急ぎ、燐の姿を一番近くで見ることが出来る席を選んで椅子を引いた。
まだ出来ないからと飲み物のリクエストを聞かれたのが10分程前だ。


「出来たぞ」


順に出される数々の品は朝ごはんにしては豪勢で量が多かった。ほかほかと湯気の上がる料理はどれも本当に美味しそうだ。昨晩食事にありつけなかった雪男にとってすぐにでも箸を握りたいところだが残念ながらその前にすべき事がある。


「あのさ、兄さん...」


席に着こうとしていた燐の尻尾がビンッと真っ直ぐに伸びた。じっと見つめて、見つめ返されて、テーブルに触れていた開いた掌がぐっと拳に変わる。


「......ん?」

「悪かったよ」

「......じゃあ夏休みは仕事すんな」


目を逸らしながら椅子を引いて静かに座る。やはりまだ少し怒っているようだったが、そういう訳にはいかないだろう。極端すぎる要求は最初に言っていた「ゆっくりしろ」とは雪男の中では決してイコールではないから困ってしまう。納得してもらえるように事を荒立てぬように言葉を選んでいく。


「......それは無理。だから仕事の量を減らしてもらうよ」

「んじゃちょっとはゆっくり出来んのか?」

「ちょっとはね」

「いつ?」

「え?」

「だから、いつゆっくり出来んだ?」


明るくなった表情と目を輝かせて身を乗りだす様を見てやっとわかった。
あぁ、なるほど。
折角の夏休みだし、海にでも行きたかったのだろうか。


「出掛けたいならみんなを誘ってみたら?課題こなせるなら文句はないし、僕は休みまだハッキリしないから...」


そこまで言うと少し明るくなってきつつあった燐の表情が一変し、不機嫌に尻尾がべしんっと床を叩いた。口がへの字に曲がり伏せてしまった青い瞳はもう雪男を見てはいなかった。


「......飯冷めちまうから食うぞ」


落胆したような低い声が針のようにチクチクと心に触れる。
それから二人で食べた美味しいはずの手料理の味はよくわからなかった。






*
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ