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□りんにゃんとゆきにゃん
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ぐがー。
ぐごごごー。
頭の上の方から音がする。
僕は上に下にと緩やかに動く暖かい所にいた。
眠い目を擦って目を開けると無精髭を生やした神父さんが気持ち良さそうにイビキをかいていた。まだぼんやりしている頭でしばらくその様子を眺めていると、時々ピタリとイビキが収まってまたぐーがーといっている。僕はハッと思い出した。もしかしたら昨日の夜テレビでやっていた病気ではないだろうか。
「にいさん」
僕は丸まっていた背中を伸ばして、寝ている神父さんを起こさないように小さく呼んだ。だけど手足を大きく投げ出して大の字で神父さんの頭に身体半分乗っかっている状態から兄さんはピクリとも動かない。
僕は溜め息を吐いて気持ちの良かった神父さんの胸の上から飛び降りた。
「にい!さん!てば!」
寝ている神父さんの横を回って兄さんの前に腰をおろし、大きな声を出せない代わりに勢いよく三度ばかり兄さんの顔の中心を踏みつけた。このまぁるい手のひらだとそれがせいいっぱい。
「うにゃ...ふぐっ...すきやき...」
だがむにゃむにゃと口を動かすだけで起きたのかまだ寝てるのかわからない。たぶんまだ起きてはいないだろう。
じゃあこれだったら起きるかも。
横に飛び出た黒い尻尾の上に飛び乗ってみよう。
「お!き!て!」
「にぎゃっっっ!」
幸せそうだった寝顔から大きく青い瞳が見開いてちょっとだけ何が起こったかわからないような顔。それに少し力を入れすぎちゃったせいか痛かったみたい。こんな時人間なら顔が真っ青だったりするのが普通なのかもしれないけど、兄さんの顔は黒い毛で覆われているから実際どうなのかはわからない。
「いっ......もがっ...」
僕は不満を訴えようとする兄さんの口を両手で塞いだ。神父さんが起きちゃ困るから力一杯押し付けたのだけどちょっと爪が刺さっちゃったみたい。
「おっきなこえださないで」
静かな声でそう伝えてキッと睨みを利かせると不機嫌につり上がっていた目が困ったようにシュンと下がっていく。
こくこくと頷くのを信用して手を退けたら兄さんはくろくまあるい手で口の辺りを撫で始めた。
「つめ、いてぇだろ」
「だってああしないととうさんおきちゃっただろ?」
「おまえのおこしかたがやさしくないからだ」
「だってちょっとやそっとじゃおきないんだもん」
僕たちはその場でにゃあにゃあと口論を始めた。自分たちでは気付かなかったけれど鳴き声が大きかったみたいで神父さんがもぞもぞと動き出す。
(しっ!しー!!!)
声を出さないようにそう言って、再び兄さんの口に手を押し付けた。今度は勢い余ってベッドの下まで二匹で落っこちてしまったけれど難なく着地した。だってそんなのは朝飯前だもん。
「もう、どうしたいんだよ」
俺はまだ寝ていたいのに!と兄さんはぷうっと頬を膨らます。黒い尾がたしんと床を叩いた。
僕はまだ本題を切り出していないことに気が付いて神父さんのいびきがよく聞こえるように首を傾けて耳をピンと立てた。
「ちょっと聞いてみて」
「ん?」
「神父さんのいびき」
「……うん?」
兄さんもまた僕にならって耳を傾けた。
ぐごー。
んごー。
そして少しの間。
「きのうのてれびでやってたのとおなじじゃないかな?」
「あぁ、びょうきのやつ?」
「うん…とうさんびょうきなのかな…」
そんなの嫌だ、そう思った途端に不安の分だけ涙が浮かんでくる。
そんな僕を見て兄さんは神父さんのいるベッドにぴょんと飛び乗った。
ぐがー。
んごー。
そしてまた少しの間。
どうしたら神父さんにこのことを伝えられるだろう。
猫の言葉じゃ神父さんには伝わらない。
そうだ、神父さんの好きな女の人いっぱいの本を咥えて病院まで誘導する?それとも地道に…いっぱい鳴いて伝わるまで頑張る?最終手段としてはあんまり気乗りしないけれどあのピエロみたいな人に頼むとか…。
「ゆきー!」
兄さんにしては音量を抑えた声に見上げると牙を見せた兄さんがにかっと笑っていた。
「こっちきて!」
「なぁに?」
「いいから」
楽観的な兄さんのことだ。鼻を摘めば治るとかそんなことだろうと思いながらも勢いをつけてベッドの上へと飛び乗った。
「びょうきじゃないんじゃねーの?」
「え?それどういう…」
「ほら」
兄さんは「見てて」と神父さんの目の前に座って隣の空いた場所を尻尾でぱふんと一度叩いた。その場所へ座るまでの間にも神父さんのいびきは休みなく続いている。
んがー。
ぐぉー。
気持ちよさそうに漏れるいびきを聞きながら神父さんの顔を見続けて数分後、またそれが止まった。だけどその光景は僕が思っていたのとは少しばかり違っていた。
「とうさん、わらってる…」
「すぅーって、いきしてんだろ?」
とても幸せそうな笑顔で静かに息をしていた。
「……かっわいーなー」
小さな小さな寝言が二匹の耳に届く。
美人の女の人の夢でもみているのだろうか。
「ったく……猫ってやつぁ……かわぃ…な…」
猫!?…てことは僕たちのこと?
兄さんの方を向けば兄さんも僕を見ていてその尻尾の毛が逆立っていた。耳の内側がいつもより赤いように見えて僕は思わずブッと噴出した。
「びょうきじゃなくてよかった」
「お、おぅ」
「ぼくたちしあわせだね」
「そうかっ!?おっ、おれはふつーだ!」
たしんたしんと忙しなく布団を叩く尻尾が兄さんの心情を露わにしていた。尻尾を見れば一目瞭然。
「くそ…おれまだねむい、だからねる」
「うん、ぼくももうちょっとねる」
恥ずかしがって目を逸らす兄さんにふふっと笑うと、今まで動かなかった身体が横を向き、大きな腕が僕たちをまとめて胸の中に閉じ込めた。
「随分早起きだなぁ…何の話してたんだ?」
「とうさんのいびきがびょうきなんじゃないかとおもって」
「ゆきはしんぱいしすぎなんだよ」
「だってとうさんがいなくなっちゃったらぼく…」
「だいじょぶ、とうさんさいきょーだからな」
「…うん」
「俺もおまえらの言葉がわかればなぁ」
寄せられた顔があったかくていい匂いがして、僕らも神父さんの顔にすり寄った。少し伸びた髭が痛かったけどとっても気持ちがいい。
「とうさん」
「とうさん」
伝わるはずのない言葉でもそう呼べば神父さんはいつも「何だ?」と笑顔で答えてくれる。
それだけで僕たちは幸せだ。
今日もまたそう呼んで頭を撫でてもらう。
「…もう少しだけ」
また訪れる微睡に意識を預ける間際、そんな優しい声が聞こえた。
兄さんと一緒にいる神父さんの腕の中はとてもとても暖かかった。
end