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□腰パンは罪
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もう慣れてしまった、というのは確かにあると思う。だが慣れてしまってはいても気にならない訳では無い。

今日もまた、シャツの裾から白い肌は惜しげも無く晒されていた。
見えすぎているようでそうでもないような微妙な露出だ。
いくらこの部屋に自分しかいないからと言ってこれでは目のやり場に困るし、頻繁に視線が行ってしまうのは致し方ないと思うのだ。


「…兄さん」
「んー」


僕は兄さんのベッドの前で溜息を吐きながら腕を組んだ。
全然僕の気持ちなんてわかっていないだろ、チラ見せがどれだの破壊力を持っているかなんてわかっちゃいないだろ。
僕の兄さんは完全なる小悪魔だ。


「シャツちゃんと着なよ、それにお尻半分出てる…」


兄さんが人より体温が高い事も知っているし、尻尾がいいように収まらなくて痛いという理由も散々聞いてきた。だけどこの状態は僕にとって色々と不都合だった。



「風呂上りでまだ熱っちーんだよ」
「風呂上りってもう三十分も前だろ?」


好きな漫画を読んで上機嫌に揺れていた尻尾が、僕と話し出した途端に急に機嫌を損ねたように動きは鈍くなりぼさっと毛が逆立っていく。


「おまえだって熱いだろ?最近あったけーし」


確かに僕も今さっき風呂から出てこの部屋に帰って来たばかりで身体はまだ火照っている。だがしかしだ、兄さんに至ってはもう火照りも冷めていていい頃だろう。


「風邪引くよ、それに…」
「んぁ?」


うつ伏せに寝そべっていた身体がこちらを向いて少し不機嫌そうに上目遣いの瞳が僕の目を見つめた。何とか腰に引っ掛かっている様子の柄物のトランクスからは大事な部分が見えそうで見えない。


「……何だよ、見えてねーって」


眼鏡の掛っていない視界で無意識に目を細めて一点を見つめていたらしい。恥ずかしげに顔を背けた兄さんの唇は尖っているようだ。
自分が思わず取ってしまった行動にハッとしたが、敢えてそれを表には出さずに肩に掛けていたタオルで濡れたままだった髪を拭った。


「もし誰かが来てもそのまま出たりしないでよ」
「もう八時だろ?誰も来ねーよ」
「わからないだろ?理事長だったらいつも突然だし、確率は低いけど緊急要請があるかもしれないし、急用で誰か訪ねてくるかもしれないし」
「ねーよ」


これだから堅物眼鏡はやんなっちまうなー。
聞こえないようにぼそぼそと小さく呟いたようだがしっかり僕の耳には届いている。
ベッドの脇に腰掛けて頭からタオルを被ったままちらりと兄さんに視線を向けた。


「まだ理由はあるよ?」


背中側にいる兄さんの方に身体を捩って両腕を伸ばし、身体を挟み込むように手を付いた。古いベッドは少し体重を掛けるだけでギッと軋んだ音を立てる。
突然の行動に大きな瞳が目一杯開いたあと、くるりと顔が横を向いた。どうやらやっと察してくれたらしい。


「わかるだろ?」
「……」


自分の腕の中に納まるほどに近くにいるのにその表情が良くわからないのは惜しいと思う。部屋に戻った時にすぐに眼鏡を掛けておけば良かった。どんな顔をしているのかはっきりはわからないけれど、横を向いてしまったばかりに無防備に晒された首はいつもの白さよりも格段に赤みを帯びていた。いくら兄さんでもその言葉の意味を理解できないはずも無い。


「変な目で見るな」
「見るなって言う方が無理だよ」


僕の左手はそれ自体が意志を持つように兄さんの肩に触れる。びくりと肩が揺れて兄さんに視線を戻すと少しだけ期待するような、それでいて困ったような顔で見つめられていた。
そんな表情を引き出せたならこのまま事に及んでしまっても兄さんは一切文句も言わないだろう。逆に腰パンの罠にまんまとはまってしまったのは僕の方かもしれない。
そんな事を頭の片隅で考えながら薄い布の上を僕の掌はゆっくりと滑り降りていく。まだ少し鍛え足りない胸に触れて腹の上を通り晒された臍に中指を沈ませてもう少し下の方へ。少し身体が強張って自分の肩の横にある僕の腕に兄さんは額を摺り寄せた。

その時だ。

僕には全く聞こえなかったのだが悪魔の聴覚というのは優れていて寮の玄関扉が開く音に兄さんの瞼が大きく開いた。


「…誰か来た」


その言葉のすぐ後に階下から何か声がする。
呼ばれているようだが僕には何を言っているのかまでは聞き取れない。だが兄さんはその声に突き動かされるように身体をすぐに起こしてそのまま部屋を出ようとドアノブに手を掛けた。


「ちょっと、駄目だって!僕が行くから」
「早く行かないと悪いだろ、宅急便みたいだしすぐ戻るって」
「そうじゃない!その格好が駄目なん……おい、人の話を聞け!」


引き留める手を摺り抜けて兄さんはそのままの姿で部屋の扉を開けた。いくらなんでもそれはまずい。荷物を持ってきた人が男性であってもそれはまずい。普段は怪力だとか治癒能力意外にあまり悪魔を感じさせないくせにそういう方面には威力を発揮するものだから余計にまずいのだ。
僕は兄さんの後を追い、何とか捕まえようとテンポ良くそして素早く階段を下りて行く尻尾に手を伸ばす。掴もうとするが左右に揺れているし、まるでそこに目があるかのように僕の手を摺り抜けていく。その上なかなか追いつけない。元来足の速い兄さんを摑まえるとなるとそれはかなり難しい。この調子だと六階から一階までなんてあっという間に辿り着いてしまう。腰パンから魅惑的な腰骨や半分尻を晒す兄を公衆に大公開なんて絶対にしたくないのに。


「兄さん、止まれ!」
「俺のが早い!」
「じゃあせめてこれ着て!」


僕はかなり必死だった。来ていたパーカーを脱いで少し下にいる兄さんにそれを投げたのだ。ただその色々晒した姿を人に見せるのだけは阻止したい一心で。


「着てる間に荷物受け取れんだろ!いらね!」


だが返ってきたのは僕の気持ちなど少しもわかっていない言葉だった。
一度は兄さんの手に落ちたはずの僕の服は放り投げられて再び僕目掛けて宙を舞う。


「……言うこと聞けよ」
「……?」


僕の中の何かが切れた様な鈍い音を立てた。譫言の様な小さな呟きに兄さんが首を傾げるように見上げてきて、いちいち仕草が可愛くていちいち心臓がどくんと音を立てる。
だが絆されている場合じゃない。
視界の端に入った現在の階数表示は三階でもう時間が無かった。そうか、それなら強硬手段に出るしかない。
僕は階段の手摺を乗り越えて兄さん目掛けて飛び降りた。


「え、…ぐおっ!」


見事に背中を仕留められて兄さんは向かいの壁にドスッとへばり付いた。かなり痛そうだけど構っている暇は無い。
ここは二階と一階の途中で、手摺から下を覗くと激しい物音に固まって立ち尽くす若い女性が視界に入った。珍しくも今日は女性の配送担当だったらしい。


「騒がしくて済みません、あぁ、印鑑部屋に置きっぱなしで…」
「サ、サインでも大丈夫です…」


サインをしている間、妙にその女性は見上げたり視線を逸らしたりを繰り返していた。激しいやり取りで髪もぐちゃぐちゃだったからだろうか。慌ててまだ濡れている髪を掻き上げて借りたペンを返すと女性は赤い顔で一礼し、そそくさと扉を閉めていった。


「おまえ!兄を足蹴にするとは何事だ!」
「兄さんが僕の言う事に耳を貸さないのが悪いんだろ」


振り向けば相当不満そうにその釣り目は更に釣り上がっていた。機嫌を損ねたのは痛いが他人に見られるよりははるかにいい。


「やっぱりだった、だから嫌だったんだ!」
「…ん?」


兄さんは小さな子供の様にぷうと頬を膨らませてまだ不満を口にする。いつも過ぎた事は気にしないくせに部屋に帰ろうと階段を随分登って行ったあとでも今回は機嫌を損ねたままだ。


「だから、何が嫌だったの?」
「雪男のバカ、眼鏡曇れ、割れろ!そんでもって禿げろ!俺はもう寝る!」


小学生の捨て台詞か、それが精一杯の反撃か。幼稚すぎて笑えてくるがここで笑ってしまっては更に状況は悪化しそうだ。


「眼鏡今はしてないし、まだ十五だから禿げないし」
「うっせー!ついてくんな!」


そんなこと言われても同じ部屋なんだから仕方が無いじゃないか。というかどうして兄さんが怒っているのかわからない。


「そんなに受取のサインしたかったの?」
「ちげーよ、小学生か」
「だったら何?」
「おまえ…本当にわかってねーの?」


そう言う兄さんの歩みは止まり、ギッと睨まれてからびしっと指差されたのは僕の頭のてっぺんから足先まで。何のことだと首を傾げると顔を赤くした兄さんはもごもごと言いづらそうに口を動かした。


「濡れた髪掻き上げるとか眼鏡無い状態で至近距離で笑ってやるとか風呂上りでいい匂いするとか何よりおまえの方が腰パンじゃねーか!」
「え」
「この天然たらし眼鏡!」


睨んではいるけれど泣きそうにも見える顔で兄さんは部屋へと走って行った。

そういえば、今日は金曜だった。
今夜は兄さんの身包み剥いでやろう。




end

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