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□Ring
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――休みを貰ったんだ。久し振りに旧男子寮行ってみないか?


今からちょうど五年前の事。
任務を終えて二人で帰宅した深夜だった。
旧男子寮の事は気になっていた。先日取り壊しが決まったと聞いていたから、無くなる前に行っておきたいと以前から二人で話していた。翌日はたまたま雪男も久々の休みが取れていて、せっかくだからと二つ返事で了解をした。
久々に訪れた寮は勿論今は誰も住んでいなくて、ライフラインが用意されているような状態ではなかった。鍵は掛っておらず、もしかしたら野良犬や野良猫なんかの住処と化しているかもと思ったがそういった気配は無い。浴場や食堂を流すように見て一層古さの増した施設に二人は苦笑いを溢しながら階段を上がった。
目指すのは勿論六〇二号室。
意外に朽ちる事無くほぼあの時のままの姿を保つ扉に手を掛けた。ギィと鳴る錆び付いた古い蝶番の音を聞き、開けた先には備え付けの机とベッド。木製の窓から眩しいくらいの日が差し込んでいる。


「ただいま」


思わず出た雪男のその言葉が学生の頃を思い出させた。


「おかえり」


燐の迎える言葉がいつかの振り向いたまだ少し幼い笑顔を思い出させる。


「ここが始まりだったんだな」
「うん」


ひょいと机に飛び乗って見下ろす外の景色には三年間の思い出が詰まっていた。激動の時間を過ごした事実がここにある。燐にとっても、雪男にとっても。
雪男は燐の横に並んで腰を下ろした。手を置いた場所に燐が書いたであろう落書きが残っている。幼稚な言葉の羅列に雪男はふふっと笑った。


「なにこれ、あの頃気付かなかった」
「うぁ、きったねぇ字だな」
「今も大して変わらないよ?」
「一言多い」


書いてあるのは憎まれ口ばかり。おそらく喧嘩になった時、口で言い負かされることが多かった燐は発散の為にこんなことをしていたのだろう。
ほくろメガネ、真面目メガネ、ケチメガネ、鬼畜メガネ、ガリ勉メガネ、睡眠時間四時間メガネ、おさかなメガネ、メガネメガネ等々。最後のは全くよくわからないがおバカなりの可愛い反抗というものだろう。


「これだけ書いてあるのに僕の事ばっかり。そんなに好きだった?僕の事」
「これは!好きとか、そういうのとは…」
「僕は好きだったよ」


雪男はすぐ隣にある燐の手に自分の掌を重ねた。いつもよりも体温が高い。


「どうしようもないくらい」


射るような碧い瞳。迷いなど持ち合わせていない瞳。
自分の決意を押し通すとしたら、この瞳はどう変わってしまうのか。一人にしてしまったら、生きる意味を無くしてしまうのではないか。
燐はいつもそれを考えていた。難しいことは相変わらず苦手だ。だから繋ぎとめるものを与え、縛るものを贈ろう。誰でもわかる「約束の証」を。
重ねられた掌を取って、無造作にポケットに突っ込んだ手から光るものがゆっくりと雪男の指に填められる。
鈍い光を放つアンティークのリング。
幾重の年月を過ごしても変わらぬように、そう考えて燐が選んだものだった。


「お、おおおおおおおおれおれおれ」
「……落ち着けよ」
「おぅ……お、お…俺と、」
「うん」
「け、けっ…結婚してくれ」
「本気…?」
「冗談でこんな事言えねーよ!金あんまりねーから…いきなり結婚指輪なんだけど」


ほら、と出された掌には同じ色をしたリングがもう一つあった。飾り気のない小さな輪は鈍色に光っている。


「いきなり結婚指輪って…僕はまだ答えてない」
「え……え!嫌だとか言わねーだろ?」
「どうしようかな」
「まじかよ…俺の三か月分…」


緊張しまくって答えを聞くより先に指輪を填めて、それ以前に婚約指輪を通り越して結婚指輪だし、雪男の答えは一つだと疑わない。それに給料三か月分は婚約指輪の事じゃないのか。頭には一つの事しか無くて突っ走った様子が目に浮かんだ。


「っふふ」
「何だよ、おかしいところは一つもねーだろ」


ほら、やはり。
今度は雪男が、顔を赤くしながら抗議する燐の手を取ってするりと指輪を填めた。きょとんとそれを見ていた顔が雪男を見て一段と紅潮する。


「…どうしようかとか言いながら指輪填めるとか、どっちだよ」
「どっちだと思う?」
「こっちが聞いてんだ」
「そうだったね、じゃあ…僕と結婚してください」


窓の外で鳩が群れを成して羽ばたいて行った。遮る影が燐と雪男の顔に掛る数秒間、二人は穏やかに見つめ合った。
照れ笑いをする雪男を嬉しそうにはにかんだ燐が身を少し乗り出して丸ごとぎゅうぎゅうと抱き締める。力加減をもう少し考えて欲しいものだとも思ったが、雪男は近くで笑う燐の横顔を見て自分も笑みを貰った。鈍色に光るリングのある手がお互いの背中に優しく触れた。






* * *






西に夕日が沈みかけ、空が薄っすらと闇に侵食されてきた頃、雪男はいつもより早めに帰路に付いていた。途中のスーパーでたまにしか買わないビールと惣菜を買った。そんなに呑む方ではないし、すごく飲みたい気分でもない。それなのに店の名が印刷されたビニール袋の中には缶が二本と一人分には少しばかり多い惣菜のパックが入っている。ちょっと多かったけどまた明日食べればいいと一人だとまるで食生活の管理が出来ないのだ。誰かにそれを指摘されても「死ぬわけでは無い」と言うのが口癖のようになっていた。
最近ずっと遅くまでの任務が続いていたせいか歩いていても寝れそうだ。目を擦りながら鍵を開けていつものようにテーブルの上に鍵を置く。コートを乱雑に椅子に引っ掻けてキッチンに向かい給水レバーを引いた。流れ出す水に手を出して洗っているといつもは目に入る事の無い物が視界に飛び込んでくる。


「え……」


毎朝作っていくおにぎりを乗せていたはずの皿が水切り籠に置いてある。慌ててテーブルを見たが、今朝置いて行った場所にそれは無い。
雪男は水を出したまま兄の部屋に急いだ。ノックもせずに飛び込んだがその姿は無い。だったらこっちなのか。意を決してドアを開けるとベッドの布団が丸く山のようになっていた。
嬉しいような怖いような気持ちで近付くと寝返りを打ってこちらを向いたのはやはり燐だった。気持ちよさそうにイビキなんて掻いているから一発くらい殴ってやろうと思っていた事さえ萎んでしまった。


「兄さんのバカ」


眠る燐の掌を引き寄せて唇を当てた。
あたたかい。兄さんの匂いがする。
例えようのない安心感に襲われて涙が一筋頬を伝った。


「…黙って出て行って…心配掛けるなよ」
「…メモは残してっただろ」


閉じていた瞳が薄く開いて柔らかく笑った燐は雪男の手を握り返した。


「起きてたの?あんなの、ちょっとその辺に買い物行くだけなのかと思うじゃないか」
「マジか…俺文章力乏しいからなぁ」


いつものその調子がこんなに近くにある。乗り出せば息がかかるほどの距離だ。


「指輪持っててくれたのな。してねーから俺の事は諦めたのかと思ってた」
「何で知って……」
「俺はホモじゃねーよ?おまえだったらOKなだけだ」
「………あぁっ!」
「おまえは確かにMかもな」
「うっ、うるさ」
「なぁ、雪男」


燐は握っていた手を引いて倒れ込む雪男を力いっぱい抱きしめた。結婚を決めたあの時のように。


「もう離れないからな」
「うん」
「ずっとずっと、生まれ変わっても離れないからな」


燐は一旦身体を離し、雪男のネックレスに掛った指輪を外して指に填めてからそこにそっとキスをした。それを見た雪男もまた燐の左手を取って薬指に嵌る指輪にキスを落とす。


「約束だよ」


二人は鈍色の指輪に誓う。そして五年ぶりの誓いのキスを交わした。






END
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