memorial

□Lost Sheep
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あぁ、つまらない

ここはあまりに退屈すぎる

久し振りに狩りに出掛けるのもいいだろう

さて、どこに行こうか






凭れた背中に当たる木の枝の切り口が結構な痛みを与えてくる。体を動かせばいい話だがあちこちが痛くて重くて自分ではどうしようもない。こんな森の奥になど誰かが通り掛かることも無いだろう。僅かな望みすら見込めない状況に深い溜め息が漏れた。


「おい、おまえ」


そのはっきりした声にびくりと肩を上げて怖々と視線を上げると、もう暗くなってしまった辺りの色に混じった黄色とも黄緑色とも言えぬ宝石のような二つの塊がこちらをじっと見つめるように反射する。


「早く帰った方がいいぞ。もうすぐあいつが来る」


少々急かすような言い方だ。
宙に浮くそれはとても不気味で、だが目が離せない。危害を加えるような気は無いせいか嫌な空気は感じられなかった。


「俺が怖いか?」


怖い訳では無い。
得体の知れぬこれが何なのか、驚きと混乱が燐の動きを止めているだけなのだ。
声の主はすうっと笑うように目を細めて此方の心を察したかのように徐々にその姿を現した。
角が生えた艶のある毛並みが美しい黒猫だった。
木の枝の上に座って変わらずこちらを眺めている。


「猫...だったのか」

「さぁ、どうだろう」


確かに普通の猫じゃない。消えたり出来るのだから猫でさえないのかもしれない。それとさっきの言葉にあった『あいつ』というのは誰なのだろう。そして姿を見せてからずっとぴくりぴくりと動きを止めない耳も気になっていた。


「あと二分、だから俺は消える」

「ちょ、ちょっと待て!あいつって誰だ?ヤバイ奴なのか?」


立ち上がった黒猫は燐を見下ろして口の端がさけているんじゃないかと思えるほどに口角を上げて不気味に笑う。次第に身体の輪郭も消えて顔だけが宙に浮かび、まるで生首のようだ。


「さあ、どうだろうね」


首だけになった黒猫の顔が上下逆になりゆらゆらと揺れている。


「何のためにおまえは俺に忠告するんだ?」

「この森が好きだからな」


そう告げる猫の首はくるりと一回転し、色は薄れてやがて視界から消えてしまった。
変わった生き物だ。あんなやつに出会えるなんて、人生まだまだ知らないことが沢山あるものだ。
それにしても、あいつが言っていたあと二分はもう過ぎてしまうのではなかろうか。既に闇に紛れつつある回りの景色に目を凝らし、重い腰を何とか上げて溜め息を吐きながら土や枯葉の着いた服を払う。


「こんなところで何をされているんです?」


またも突然に現れた影。まだシルエットしかわからぬそれはさくさくと枯れ葉を踏みしめる音をさせながらこちらへ向かってくる。燐は神経を尖らせてその方向を見た。


「あぁ、迷子ですか?」


姿を確認できたのは本当に目前に迫ってから。黒いマントを羽織った上流階級のいいとこの青年、といったところだろうか。歳は燐と同じくらい、端正な顔立ちに眼鏡の奥の翡翠色の瞳がやけに美しい。


「あんたが『あいつ』か」

「あいつ?」

「......いや、こっちの話」


検討違いかと思うほどに警戒を抱くような輩には程遠い。あの猫が言っていた『あいつ』とは別物だと思った。


「こんな闇中、この森を抜けるのは困難ですよ?野犬もいますしね」

「野犬くらい何てことねぇよ」

「噛みつかれたら離してもらえませんよ、肉の塊になりたいのなら何も言いませんが」


グロテスクなことをさらりと言ってのける瞳に感情は見て取れない。瞬きすらしない眼差しは強く冷たかった。そんな感情の欠片も無い雰囲気を持っているのに、するりと髪に手が延びて絡まっていた落葉をスッと取ってくれる。


「一晩うちに招待しますよ。一緒に行きましょう」


覗き込む見つめる瞳、翡翠色の芯の色は燃えるような赤色で引き込まれてしまいそうだ。燐は無意識に頷いて、微笑む彼の口元から溢れた白い牙にぶるりと身を震わせた。

あぁ、やはりこいつは『あいつ』だ。
連れ帰って俺を喰うつもりだろう。いや、撫でられる首には白く長い指が絡み付いて今にもその牙で皮膚を貫かれそうだ。下唇をちらりと赤い舌が舐めた。その行為が逃げられぬことを確定させるようだ。見惚れるような表情で燐の首元に近付いてくる口元からチラリと覗いた牙に身を強張らせると一点に刺されたような痛みが走る。


「......っ」


ツプリと皮が破られる音がして脇からたらりと生暖かい液体が漏れ伝う。
あまりの心地悪さと妖艶な雰囲気に本能だろうか、血液が沸騰するような感覚が沸き上がってくる。もう我慢が出来ないと言わんばかりに燐は声を僅かに漏らしてククッと笑った。


「...俺の血は旨いか?」

「......?」

「満足するまで好きにしろよ」


首に噛みついたままの青年は肩を揺らして目を見開いた。恐る恐る見上げられた瞳には冷たく見下ろしながらも不気味に笑う青い瞳。思わず口を離したが咄嗟に捕まれた両手首がギリギリと音を立てるほどの力に顔が歪んだ。


「もういいのか?そんじゃ今度は俺の番」


青年、いや、吸血鬼の口端から漏れた血液を燐はぺろりと舐め上げて楽しそうに笑う。


「やっと見つけた、俺のおもちゃ」


二人の足元にはフワリと青い炎が円を描き、徐々に内部には複雑な紋様が浮かび上がる。


「おまえは俺と虚無界行き、な」


徐々に震え出す青年の身体を愛しいものを扱うように優しく腕の中へ納めて右手で指をぱちんと鳴らした。巻き起こる旋風に青い火柱が高く細く伸び、二人の姿は一瞬でそこから消えた。






ただのおもちゃよりもずっといい
俺を楽しませ、俺に尽くせ
そうしたらおまえにいいものをやろう
退屈しない時と、ありったけの俺の血を






end

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