memorial

□あなたのいない世界で
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あなたのいない世界で








 炎と炎の戦い。魔神の炎は物質界においても弱まることなく人工物、自然を焼く。
 それを食い止めるかのように、鎮静の炎が踊る。魔神の炎より淡い青。人を守ろうとする心が生んだ炎は、気高く美しく燃える。それは誰も傷つけない、唯一。
 燐の思いを宿した青い炎は煌めくが如く、舞う。まるで花びらの喝采のよう。

 けれど消耗は激しかった。抜いた倶利伽羅の刀身は刃こぼれし、限界を訴えている。
 それでも引けぬ戦い。一進一退の攻防戦は悪魔も、人間もかなりの戦力を欠き、今や残されているのはほんの一握りだ。

 そろそろ決着をつけなければ。
 燐は、そろりと後を振り返る。守りたい人たちがいた。存在し続けてほしい世界が広がっていた。
 こんな自分でも受け入れてくれた彼らに、感謝してもしきれない。たくさんの迷惑や苦汁を与えてしまったけれど、仲間だと言ってくれた。手を差し伸べて、待っていてくれた人たち。燐の大切な宝物。
 青い空に、綿菓子みたいな雲が浮かんで。仲間で囲う昼食は格別。だいたい志摩が燐の卵焼きを食べていく。そのあとの嬉しい表情が燐の心を躍らせる。勝呂が怒り、子猫丸が呆れて。しえみと出雲でキャラ弁の雑誌を広げている。雪男の弁当と燐の弁当の内容は同じ。それが嬉しくて。誇らしくて。そんな、日常を望むよ。

 魔神の落胤は自分ひとりで十分。
 今まで辛い思いさせてごめんな。早く気づいてやれなくて、本当にごめん。
 これからは、自分の好きなように生きろよ、雪男。



 凶悪なまでの魔神の蒼い炎は、すべてを焼きつくそうと牙を剥く。それに応える悪魔たちが祓魔師たちに襲いかかる。双方、満身創痍といえど、悪魔には回復能力が備わっており分がある。勝機が見出せない戦いだろうが、構わない。雪男は援護を任されたのだ。
 たったひとり、前線で魔神の蒼い炎と根比べをしている兄が戦い易いように。
 銃を構える。引き金をひく。慣れた動作なのに疲労からか、その判断は霞みがかる。額からの汗が頬を手繰り、顎から滴り落ちた。緊張や集中力は限界がある。それを越えた瞬間が一番、危うい。
 祓魔師のコートはもう、何の汚れが付着しているのかすら不明だ。重い。両手に持った銃も、だんだんと重たくなって。

 拮抗が破られる。
 燐の、美しい青い炎が一斉に燃え上がり視界を埋め尽くす。
 なんで。そんなにしたら。
 噴き上がる青い炎が彼の命に見えて。

 兄さん…?

 炎の中心。倶利伽羅を一文字に構え、燐はそっと振り返った。
「雪男! いままでずっと、ありがとな!」
 ふうわりと微笑んで。
 まるで、これが最期だと。

 弾ける。
 一瞬にして視界を奪われるくらいの炎が噴出し、一面を染め上げる。衝撃と爆発音が襲い、視覚と聴覚が奪われた。爆風に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるが、ふわりと吹いた風邪が身体を受け止めてくれた。
 それは奇跡なんかではなく、燐が起こしたもの。
 雪男は咄嗟に顔を上げる。
 きらきらとした青が、金や銀を伴って空から降り注ぐ。
 空は晴れ、青空が覗いた。
 周りはどよめき、次第にそれは歓喜となって祓魔師たちを包む。
「にいさん……?」
 犠牲は多く支払われた。人も悪魔もたくさん失われた。
 それでも荒野に残された彼らは、束の間の喜びに浸る。炎の残滓はやがて地を清め、新しい命を育むだろう。そう在れと、他でもない彼が望んだから。




   ◇◆◇




 目が覚める。大量の汗をかいていた。
 これは夢だ。雪男を苛む悪夢。あの魔神討伐の日から、毎晩夢に見る。
 結果的に人間は魔神に勝てたのか。それは『否』だ。平たく言えば、魔神の力を削ぎ落し物質界へ手を伸ばすルートを絶ったに過ぎない。人の心には必ず闇がある。否定できない事実は、これからも悪魔とは末永いお付き合いということ。

 燐の功績は称えられ、ヴァチカンからも高い評価を受けている。それもそうだ。命をかけたのだから。広大な世界から見れば、彼はちっぽけかも知れない。けれど魔神の落胤として生まれ、周りから疎んじられ続け、それでも誰も恨まずに自分を捧げたやさしい悪魔。
 あれから数ヶ月。ご飯ができたと呼ぶ声が今にも聞こえそう。そんな自分に嘲笑し、雪男は布団から出る。
 朝の光は変わらず大地に降り注ぎ、一日のはじめを彩る。鳥たちの楽しそうな囀り。
 変わらない。彼がいないのに。

 机の上の小瓶へと手を伸ばす。そこには、青い花びらがひとひら。
 厚めのそれは先端が最も青く、花芯へいくにつれ、淡くなっている。上質な天鵞絨を連想させる、青いバラ。
 たった一枚の花びらだけを戦場へ残し、燐は跡形もなく消え去った。雪男の激怒など知らぬ顔で。ただただ綺麗に笑う燐に、苦痛や躊躇い、哀しい感情が見えなかったのが救いか。
 数ヶ月経っても尚、枯れることのない花びらは、今も瑞々しく存在し続けている。これは雪男へ宛てた、なんらかのメッセージでは。そう思い、研究するも成果はあがらない。
 そんな大切な花びらを、こんなことに使うのは罰当たりかもしれないのは、重々承知の上。

 半紙くらいの薄い紙に、複雑な魔法円が描かれている。それは手のひら大の大きさで、雪男は部屋の真ん中辺りに立ち、紙を水平に持つ。
 その上に花びらを落とし、短い呪を音に出さず唱えた。

 広がる水の気配。
 魔法円からあふれる水は、雪男の周りを何週か旋回する。術者を認識した水は、大人しくまとまり雪男の前で形作る。塊は雪男とほぼ同じくらいの、人の形をしていた。
 これは契約中のナイアスに頼んで完成したもの。瑞々しく鮮度を保つ花びらから、微量の水を使って燐をかたどる。細部まできちんと形を成しており、確かにそこにいるよう。
「兄さん…」
 雪男が呟けば、水は器用に笑って見せる。
 ふうわりと春に咲く花のように、やさしく。すべてを大切に包み込み、愛しむ微笑み。
「なんで…。なに考えてんだ、ばか…」
 虚しく落とされた言葉に、水で形成された燐は少し困ったように雪男を見る。その仕草も、燐そのものだ。それもそうである。この水で出来た彼は、雪男の思い出を投影しているのだから。

 雪男の兄は後先考えなしの、猪突猛進型だ。考えるより、行動。口も出るが、手や足も同時に出る。本当に、しょうがない人。なんど苦言を呈しただろう。なんど衝突したろう。
 それでも、彼は雪男の兄でい続けた。振りほどいた手を何度だって、繋ぎ直してずっと、やさしい体温で握っていてくれた。
 雪男の中の燐は、いつだって守ってくれている。
「兄さんがいなくなってどうするんだ」
 親の手を見失った子どものように、今の雪男は迷子だ。
 あたたかな眼差しも、なんだかんだ世話焼きの兄はいない。心にぽっかり穴が開いたようだった。隙間風では済まされないほどの大量の寂しさが、占拠する。
 魔神の手が物質界に及ばなくなった今でも、祓魔師に暇は訪れない。どこかで人の心の歪に生じた悪魔を祓魔し、清める日々。悪魔を討伐しながら考えるのは、やはり燐のこと。どこかに手掛かりはないか、悪魔を追っていれば情報が手に入るのでは。
 兄のことだ。きっとどこかで飄々としているかも知れない。していて欲しいと願う。
 掴めない行方に不安を抱きながらも、無常に時は過ぎていく。雪男がこうして燐の面影を追い、ナイアスを召喚して兄の水人形を作っている間にも。

 ナイアスの召喚を解くと、水は形を失くし崩れる。残ったのは床に落ちた魔法円の描かれた紙と、青い花びら。
「……?」
 もう水がないはずなのに、花びらがゆれる。まるで湖面をたゆたうように。
 花びらを中心に、波紋がゆるやかに広がって消えた。
 雪男は恐る恐る花びらに触れようと、指を近付ける。すると、ふわりと湧きたつ風。花びらがゆらり、滲むように溶ける。
 青い輝きが部屋を染めて。
 幾重にもなる波紋を呼ぶ、花びら目がけて雪男は手を突っ込んだ。
 確信はない。けれど、きっとこの先は兄に繋がっている。呼ばれている。

 何かを掴んだ。そのまま引っ張り上げれば、ずっと待っていた姿が現れた。
 青い光と金色、銀色の粒子が瞬く。
 踊るように、軽やかに。
 光がふたりへと降り注ぐ。
 奇跡が舞い降り、歓喜の言祝ぎを。

 ぐったりとし、意識のない燐は、あちこち傷だらけ。片手にした倶利伽羅の惨状から、酷い戦いを強いられたと悟る。頬を走る真っ赤な裂傷が痛々しい。治癒能力が追いつかないのだろう。きっと見えないところに、もっと深い怪我があるのだ。
 早く治療しないと。そう思うのに雪男の手は、燐の背に回したまま動かない。
「心配ばかりかけて…。この、バカ兄」
 目の前がぼやけて見えない。大切な存在をしっかりと目に焼き付けたいのに。
 ここにいると実感できる重み。
 帰ってきた燐を、雪男は力いっぱい抱きしめた。

 おかえり。












花緑青のことささんよりいただきました。
なんて素敵で、切なくて、涙がそうになるお話…;;;;水で模る兄さんの姿を見て雪ちゃんはどんな思いを抱いたんでしょう。
美しく儚いです…二期のED曲を思い出しました。
でも最後はハッピーエンドにしてくださっているあたりことささんはやはり天使だと確信しました/////
今回も素敵な作品をありがとうございました!




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