memorial

□鶯がないたら
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鶯がないたら





 人の往来がとりわけ激しい表通りから、一歩脇に逸れる。華やかで、賑やかな音は途端に静まり返るのだから不思議だ。隘路までとは言わないが、それなりに細い道は抜け道、或いは迷い道と思われているのだろう。馬車はまず通らないし、他所者の気配もしない。知る人ぞ知る道は、ひっそりと息を潜める動物のように見つけるのが難しいのかもしれない。
 太陽はそれなりの高度を保ち、眼下を楽しそうに見ている。青い染料をぶちまけた空には、ふわりと真白い雲が気ままに漂う。
 路地は家々の隙間を縫うように進む。暗く陰った屋根の合間から見上げた空は、額縁で切り取った一枚の絵画を彷彿とさせた。

 人ひとりくらいの道を迷わず進む。ここはかなり入り組んでいる所で、土地の者以外は迷路だと感じるのだという。
 草履の底から感じる小石。通るために人の手が入っているような場所でないため、底や爪先に感じる小石が、ときどき痛い。
 雪男は眉を顰めるも、仕方ないと歩を進める。彼に言われた道順、手順でなければ目的地には着けないのである。

 陽は天高い。春を象徴する雲雀が声高く鳴いた。どこかで雲雀の遊戯でもしているのだろう。昨今の富豪たちの遊びで、雲雀を用いるものがある。巣箱を開けると雲雀は天高く羽ばたき、頂点でひと鳴きする。そして雲雀はそのまま折り返して帰ってくるのだ。競うは雲雀の声の美しさ。その品評会は、雪男にはよく分からないが富豪たちの間では人気を誇る。また、雲雀そのものの見た目の美しさも奥様達の話題になるため、手入れも欠かさない。掻い摘んだ話によると、使用人の飯代より、餌の方が高価だとか。

 そんな遊戯を遠くに聞きながら、進むとやがて辻へ出る。雪男は辻の中心に立ち、そっと白い桜の花びらを落とす。風が吹き、くるくると舞い上がった桜の花びら。それを見送り、雪男は右手に曲がる。

 ほどなくして、行く手を阻まれた。袋小路だ。
 高い壁がそびえ立つ。どうやら、そうとうな富豪のお邸らしい。強固な壁には凹凸が見られず、よじ登るも困難。
 さて。一思案または引き返すところなのだが、雪男は何食わぬ顔で掌を無造作に、ぺたりと壁に付けた。
 風が吹く。強く。雪男の着物の裾が煽られ、はためく。
 いつの間にか両脇の壁は、一面の赤い風車。くるくる回って、一斉にぴたりと停止する。
 どこからか、鈴の音。
 空は昼の青から、彼岸を思わせる藍へ。
 雪男の掌が付いている壁は扉へと変化する。そっと力を込めて押せば、観音開きの扉は容易く侵入を許した。
 誘われるまま、雪男が抜けるとその場は元通り。なんでもない壁に囲まれた行き止まり。




 そこは季節などないのかも知れない。
 色とりどりの花が、無節操に咲き乱れる。
 邸の主は庭を四つに区切り、季節を分けていると話すが、ところどころ混じっているのは彼の杜撰な性格故か。
 まあ、まずはとりあえず。
「調子はどう? 兄さん」
 大きく開けた縁側に、御簾が下げられている座敷が見える。雪男は特に断りもせず上がり、御簾をゆらした。
 部屋は六畳くらいの広さだろうか。水墨画の描かれる襖に、華麗な彫刻が成されている欄間。文机と、唐櫃が幾つか。
 床の間にはひと振りの刀。
 脇息にもたれるように、雪男の大切な彼はいた。
 一目で高価だと知れる、煌びやかな刺繍の施された打掛を羽織り、気だるく青い目を伏せて。
 その青い目は、この世では稀有だという。人に現れたものなら、鬼の証なのだとか。事実、彼は鬼の仔である。半分であるが。
 艶やかな、青みがかった黒髪を持つ、雪男と同い年くらいの少年が緩慢に顔を上げる。
 空の青や染め物の青でさえも叶わない、美しい色が雪男を映す。匠の技を彷彿とさせるそれは、ビー玉のように透き通り誰をも魅了する。
 この世で最も、穢れなき存在だと雪男は思う。幼くして鬼の力を開花させた燐は、制御が間に合わず、この世とあの世の狭間に幽閉された。最高位の鬼が持つとされる青い鬼火を父王から継ぎ、遺憾なく発露したのである。周囲が食いとめたため、暴走こそしなかったものの、危険であることには変わりない。双子の片割れの雪男が十分に力を施行できるようになるまでの間、燐は外へ出ることは叶わないのだ。
「退屈?」
「腐っちまう…」
「ねえ、あれまた見せてよ」
 雪男が乞えば、断れる燐ではない。ひとつ返事で了承すると、雪男が差し出した煙管を燐は受け取った。

 雁首と吸口は真鍮製で特に目立つ装飾はないが、朱塗りの小口が目に鮮やか。羅宇煙管という種類で、雁首と吸口は金属でできており、煙草の煙を通す管の部分に竹を用いている。花魁煙管と巷では呼ぶ者もあるらしいそれは、長尺で華やかで小粋な逸品だ。
 煙草や、火などは入れず、燐はそのまま口にする。普通に煙草を吹かすような仕草のあと、少し強めに吹く。すると火皿から青い鬼火が、まるで泡のように吹き出る。
 大小様々な形をした泡は、くるくると部屋で遊ぶ。

 ぱちん

 燐が指先で割ると、そこから真白い桜の花びらが出現する。幾つも、幾つも同じようにして割れば、純白の景色。
 雪のように可憐に舞う桜の花びらは、ひらひらと優雅に宙で泳ぐ。
 けれども部屋の壁や襖に触れると、たちまち消えてしまう儚いもの。
「なあ、雪男」
「なに?」
「俺いつここから出れる?」
 首を傾げて問う燐に、雪男は決まった笑顔と答えを与えるだけ。
「僕が兄さんを守れるようになったらね」
 それも儚い約束。
 雪男の力はたいしたものではないが、操る能力に長けている。そのため、燐の制御として。もし暴走した場合はその身で以って食い止めるため。たった、それだけのために、雪男は外で生かされている。
 鬼の末席にも名を連ねられない雪男は、本来なら除名されこの空間にも立ち入りは許されない。
 こうして燐の傍に在れるのは、一重に己の体質のおかげ。膨大な力故に、燐の身体は爆発寸前の風船に等しい。その力を拡散させられるのも、少しだけ吸収し無効化してやれるのも雪男だけ。
 双子である雪男だけが、成し得ることが出来る。
 そのため、定期的に燐への面会も義務付けられている。雪男としては早く燐と暮らしたいので、願ったり叶ったりだ。欲を言えば、面会の周期などクソ喰らえ。そんなもの気にせず逢瀬を重ねたい。


 幾分か楽になった燐は、雪男の隣まで這って移動した。燐が雪男の肩に頭を乗せたタイミングで、御簾を少し上げる。
 ここから見えるのは、春の庭だ。
 大きな桜の木は薄紅色の花を咲かせる。水仙や菖蒲、ツツジにサツキがけぶるように、庭を彩る。枝で羽を休める鶯が伺える。あれはまだ年若い。立派に鳴くのは当分先だろう。庭を作った雪男と燐の父にあたる鬼の王は、なるほど、少し管理を怠った。
 春の庭に竜胆がひっそり咲いて。
 それを喉の奥で笑いながら、雪男は燐の華奢な肩を抱く。
 乙女の清らかさのような純白の花びらが、視界を過ぎる。これも希少種であり、本当は紅の強い桜である。彼岸の頃に花開く早咲きで知られる小振りの花だ。
 桜は妖気を込められる花だ。色が白いのは、雪男の名からとっていると燐が言う。一斉の桜吹雪が真っ白ならば、冬の雪原になるのではないかと。
 嗚呼、なんて愛しい。
 純白の花びらは、燐の交通手形みたいなもの。辻で撒いた花びらが、これである。風に乗って狭間の空間に送られた花びらは、雪男が来たことを知らせる。そして門が開かれるのであった。

 雪男の肩からは、燐の規則正しい寝息が聞こえる。
「早くここから出してあげる」
 自分だけの兄に。雪男だけを、美しい青に映すように。
 こんな退屈な籠なんか、早く壊してしまおう。


 一等愛しいひとよ。
 誰の手も届かぬ場所へ行こう。
 それが例え、狂気の沙汰でも。












花緑青のことささんよりいただいたお話です。
着物、煙管、純白。
この三つのお題を提示して考えてくださったのがこのお話で。
とても風情があり、とても色香を漂わす和風な仕上がりに私には到底書けないお話だとおもいましたね…ふむ。
なんかもう余韻が美しいですよね…
私もこんな素敵なお話が書けるようになりたひ…

ことささん、素敵なお話をありがとうございました!




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