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□夢涙におまじないを
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「......っ、う......」


我慢するような篭った声。とても小さく発せられる声なのに熟睡していたはずの頭は覚醒し始めた。声のする方へ体を向けるとはっきりしない視界は僅かに上下する塊を捉えた。


「......っふ、......ぐずっ」


塊は再度小さく揺れた。
雪男は静かに体を起こしてなるべく音を立てぬように机に向かい置いてあった眼鏡を掛けながら燐のベッドの脇まで近付いて壁側を向くその顔を覗き込む。


(......夢、みてる?)


閉じられたままの睫毛は涙に濡れ、頬には一筋の涙の跡。普段兄の涙など滅多に見たことがなかった雪男は困惑した。それなりに悩みもあったりするだろうし、ましてや命だって風前の灯だ。それでも燐は前向きに、こちらの心配が増えるほどに無茶苦茶だけれどしっかりと運命に向き合っている。だからこそ心配になるのだ。どんな時でも肝の座った燐がどんな夢を見て何に涙を流すのか。
雪男は燐の眠るベッドに腰掛けて覆い被さるように体を捻り、頬に伝う涙を指で優しく拭ってやる。


「......僕がいるよ」


昨日と同じ様に言葉を掛け、背中に触れて撫でてやると少しだけ表情が緩んでいく。燐をそのままにしておく事など出来なくて狭いベッドに身体を横たえてゆっくりと目を伏せた。トクントクンとリズムを刻む心音は子守唄のように安らぎをもたらして再び眠気を呼び寄せる。深く沈んでいく意識の中で雪男は燐の背中にそっと額を当てた。






******






ピピッ、ピピッ、ピピッ、


携帯のアラームが起床時刻を告げている。自分の眠るところとは離れた所から鳴っている音は一向に止められる気配が無い。


「おぃ......ゆき......鳴って.........っ!!!」


眠い目を擦りながら顔を向けた先には眼鏡をしたままの雪男の顔が目前に迫っていた。思わず息を呑んで固まってしまったが眠るその顔は穏やかでいつもの大人びた色は消え少しだけ開いた口が昔見たあどけない雪男を思い起こさせた。
燐は起こし掛けた身体を再び沈ませて近距離にあるまだ瞼の開かない顔を見つめた。

昨日は確か珍しく同じ時間に布団に入り、お互いの布団の中から他愛もない話を少しだけした。恐らく燐の方が先に眠ってしまったのだろう、会話の途中からの記憶が無かった。それから朝になるまで目が覚めることもなく今に至っている。何故雪男が自分の布団に入ってきたのかも見当がつかなかった。


「眼鏡くらい取れよな...」


少しずれている眼鏡が愛らしい。
顔に掛かる前髪に触れると瞼がピクリと動きゆっくりと碧眼が覗いた。


「おっす」

「......」

「おはようぐらい言えよ?」

「......」

「おーい、起きてる?つか何で俺の布団で寝てんだ?」

「..................!?」


半開きだった瞼をこれでもかと言わんばかりに全開にして一気に身体を起こした雪男は相当に慌てた様子で眼鏡を直してずり落ちた短パンを上げた。


「なに?兄ちゃんが恋しくなったわけ?」

「そうじゃない」

「寒かったか?」

「今夏だよ」

「あっ!もしかして夜這い!?」

「なわけないだろ!!!」

「じゃ何で?」


泣いていたから。
だから傍にいたかったんだよ。

正直に伝えていいものだろうか。伝えてしまっては理由を聞きたくなる。でも、何故だか燐はそれを言いたがらないような気がして口籠ってしまった。


「......まぁいいや、寂しいんならいつでも来い!」

「寂しくない」

「強がんなって」

「だから...」


雪男の肩に手を置いてベッドからピョンと飛び降りた燐は振り返り様にニカッと笑い「メシ作ってくる」と部屋を出た。昨晩泣いていたのとは全く別の顔、きっと燐は泣いた事など自覚していないのだろう。
ただ夢見が悪いだけの事かもしれないし、もうあんなことないかもしれない。雪男はシワになったシーツに触れて小さな溜め息を吐いた。






******






今日はいつにも増してやらなければならないことが多かった。来週頭に予定されている任務の調査書に目を通して攻方を考えなければならないし祓魔屋で購入しなくてはならないもののリスト作り、それに高校の英語の小テストの勉強やレポート提出の課題まである。
粗方目処はついたけれど出来ればもう少し進めておきたい。明日は休みの予定だが緊急な任務が入るかもしれないことを考えたらまだ進めたいと思うのは仕方無いだろう。
机の上に置いた携帯を手に取りボタンを押すとスタンドライトだけだった灯りに少しだけ青白い光が混じった。


「......深夜というより」


表示されたのはAM3:55。
目もくれなかった窓の外は闇の色に朝焼けの色が混ざり始めていた。
さすがにもう眠った方が良さそうだ。固まってしまった背中を伸ばして肩に手を当てると寝返りをうったのか衣擦れの音が燐の眠るベッドから聞こえた。
今日はうなされる声も聞こえてこなかったから大丈夫かな、そう思いながらライトを消し椅子を納めて燐の傍まで歩み寄る。正面を向いているようだけれど頭まですっぽり被ってしまった上掛けによってその顔を見ることはできない。この季節にこの状態は暑いだろうと思うのと、燐の顔を見たいのと......後の理由は自分でも何故そう思うのかわからないのだが。
被っている布地を少しずつずらしてみると青み掛かる黒髪がピョコンと姿を現す。またちゃんと乾かさずに眠ってしまったのか頭の頂点に可愛い寝癖が付いていた。


「だからいつも言って.........」


しょうがないなと浮かんだ笑みだった。だけれど次の瞬間にはなんとも言いがたい感情に眉間に皺が寄る。
燐の頬には再び涙の跡。嗚咽を漏らすことは無かったのかもしれないけれどその表情は寂しげで胸がぎゅっと締め付けられる。
雪男は昨晩と同じ様にベッドに腰掛け、燐の頬に手を添えて親指でまだ濡れている一筋を拭った。まだジワジワと手を濡らす涙に自分がいることを伝えたくて無意識にその頬に自分の頬を当てそっと抱き締めるとさすがにその身体はもぞもぞと動き出した。


「ん......うぅ............うわ!!!」


急に発せられた音に耳がキィンと鳴る。咄嗟に瞑ってしまった目を開けると至近距離で顔を真っ赤に染めた燐が唇を震わせていた。


「おおおおおおまえ何やってんだ!!!!!」

「だって」

「だって何!!!???」

「......泣いてるから」

「え......えっ?」


いまだピンときていない燐の手を掴んでその指先を目元に這わせた。自分の手先を見ていた瞳が大きく見開かれて視点が戻ってくると雪男はここのところ続いていた燐の様子を話してみた。最初はキョトンと聞いていた瞳が次第に僅かに揺れ始めて話の最後の方には何か心当たりがあるように寂しげに伏せられてしまう。明らかに今回はその内容を覚えているようだったから雪男は少し身体を離してその顔を覗き込んだ。


「言ってみたら楽になるかもよ」

「別に苦しいとかツラいとかねぇし」

「言いたくない?」

「たいしたことじゃねぇよ」

「そう言うなら無理には聞かないけど...大丈夫なの?」

「心配しすぎなんだよ、おかーさんみてー...」


顔は笑っているけれどまたホロリと一粒が溢れてしまって、制御の利かなくなった涙腺に慌ててシャツの裾をグイグイと持ち上げて涙を拭う。


「......兄さん」

「いやっ、あの、あれだ!目にゴミが入っちゃったのかな!」


こんな状況で言い訳なんかすること無いのに。


「兄さんが昔してくれたおまじない、覚えてる?」


涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった赤い顔が上目使いで首を少し傾げてくる。雪男は優しく笑って眼鏡に手を掛けた。


「眼鏡が当たると痛いって必ず取らされた」



小さい頃、雪男の涙をどうにかしたいと燐が考えたおまじない。



涙が出てきたら睫毛にキスをして俺が涙を飲んでやる。
流した涙の道にまた涙が流れないようにそこにキスして乾かしてやるんだ。

どうしてキスなの?
撫でたりするんじゃだめなの?

あれ、知らないの?
雪男は何でも知ってると思ったのに。
キスは好きな人にされるとスッゲー元気もらえるんだって。
雪男は俺の事、好きだろ?



そんなやりとり、昔やったよね。



雪男は燐の肩に手を置いてゆっくり顔を近づけた。慌てふためくと思ったのに燐は予想外におとなしく目を閉じた。目蓋へ順に優しく唇を落としていくと、触れるたびにびくんと揺れる肩とびんっと伸びる尻尾が燐の緊張を伝えてくる。過剰に意識してはならないと考えた瞬間から自分の鼓動までもが早くなった。
緩く頬にも口付けして薄く目を開けながら身体を離すと指先だけで触れていた手に力が入ってぎゅっと握られる。


「............うん、よし」

「?」

「......たぶん、大丈夫」

「......兄さん?」

「ね、寝るぞ!」


やっぱり恥ずかしかったのか目を合わせぬままに上掛けを乱暴に引っ張り頭まですっぽり被ってしまった。
少しは役に立てたのか疑問は残るけど今日のところはこれで悲しい夢から解放されるといいなと思う。
いつの間にかカーテンの隙間から日の光が漏れ始めていて自分も早く休まなければとベッドから少し腰を浮かせるとしゅるりと腰に巻き付いた黒い尻尾がそれを引き戻す。


「......」

「......」


燐は一言も発しない。発しないが少しずつ、少しずつ、横たわる背中の方に引っ張られていた。


「......わかったよ」


了承すれば尻尾の力は緩んで誘導されるみたいに腕に絡み直す。雪男はされるがままに燐の背中に触れ、少し体温の高い身体に腕を回して目を閉じた。






end

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