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□ミルキー・リップ
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「ったく、だから昼寝ちゃんとしとけって言っといたのになー...まぁ仕方ねえか」
ただでさえ悪路なところを起こしてしまわぬよう慎重にアクセルを踏む。ハンドルを握る獅郎はバックミラー越しに寄り添って眠る兄弟を見て苦笑した。
あれからしばらくして獅郎が帰宅し、そのまま兄弟を引き連れ鍵を使って出た先には使い込んだ車が用意されていた。見渡す限り赤い砂漠が広がるここは明らかに日本ではない。車に乗り込みワクワクして落ち着きのない燐と怯える雪男をそれぞれに落ち着かせ、おとなしくなったと思えばこの状況だった。
「折角段取りしたのに、起きなかったらどうすっかな」
少し伸びてきた髭をざりざりと触りながらなるべく凹凸の少ない所を選ぶ。
ここには建物のネオンも街灯も人もいない。あるのは終わりの見えぬ赤い砂と黒に近い濃紺の空だけ。
ただひたすらに道なき道を駆け抜けてどのくらいたっただろう。
滑る砂を掻き分けてタイヤが停止し、無音の地に響き渡っていたエンジン音も止められた。
「燐、雪男」
後方のドアを開けて小さな二つの膝を揺さぶると最初に目を開けたのは雪男だった。
「ん......ここ、どこ?」
「いいところだ」
雪男に向かって獅郎が両手を伸ばすと雪男もまた小さな手を伸ばした。優しく抱き締めて車から下ろすと雪男は獅郎の首にすがり付いたまま小さな声で問いかけた。
「......こわいのいる?」
「今はいねぇみたいだな。心配か?」
くっついたままの柔らかい髪を撫でてやると背中のリュックから飛び出た人形の上半身が視界に入った。それは確か雪男の持ち物ではない。こういう類いのおもちゃは大抵燐のもので、雪男の遊び道具と言えばほとんどが絵本や図鑑、あとはパズルとかお医者さんセットとか将来に繋がるようなものばかりだった。
「何で燐のおもちゃ持ってんだ?」
ぴったりくっついていた顔が獅郎の顔を見上げた。少し興奮したように頬を赤く染めて、雪男にしては早口で。
「このヒーローつよいからかしてくれるって」
「え?」
「こわいのきても、とうさんも、にいさんも、ぶるーそるじゃーも、よつばのくろーばーもあるからだいじょぶだって」
「燐がそう言ったのか?」
「うん!」
雪男が燐にもらう元気や勇気は計り知れない。勿論獅郎だって雪男に与える影響は大きいが、燐の持っている何とも言い難い何かに勝てる気がしなかった。血の繋がり、双子だから通ずる何か、はたまた共に歩いていくための何かなのかもしれない。
「おーい燐、起きろ」
雪男を車から下ろした後、今度は燐の肩を揺さぶる。よくわからない声音は発するがまだ半分寝ているようだ。獅郎は燐の両脇に手を差し込んで持ち上げ、強制的に地面に立たせてはみたが端から見れば操り人形のような状態だ。
「にいさん、ついたよ」
項垂れる顔を両手で挟んで雪男は懸命に話し掛けた。
「いいところだって。おきないとおいていくよ」
「んー......ねむい......」
「やっぱ燐は予定通りにいかねえのな」
まだ足元のふらつく燐を支えたまま後部座席の後ろに放り投げてあった祓魔師の黒いコートに手を伸ばして引きずり出す。
「雪男、これその辺に敷いてくれ」
「えっ、でもこれ...」
「いいから」
困ったような顔をしながらこくんと頷き、受け取ったコートを引き摺って少し離れた砂の上に広げてみる。まだ小さい雪男にとって大人の大きなコートを自分だけでどうにかするのは一苦労だ。これでいい?と目で訴えれば獅郎は笑顔で親指を立てた。
「偉いぞ雪男」
燐を脇にかかえてきた獅郎は雪男の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。大きくて暖かくてちょっと乱暴な武骨な掌。この手が傍にあると嬉しくて安心して、そうやってくる掌に小さな手をいつも重ねていた。
燐は相変わらず半分寝たまま。
広げたコートの上に燐を横たえ、誘導されるままに雪男もその隣にぴったり寄り添い仰向けに寝転がった。
「ほら、見てみろ」
ずっと見ていた燐の顔から視線を空へ移すと、今まで見てきたのとは違う空が一面に広がっていた。それは夜でも光の溢れる都会でまず見ることなど出来ない満天の星空。まるで今にも自分に向かって星が溢れて降ってくるようだ。無数の星々が輝き、時にはキラリと光ってその軌跡を残しながら流れていく。
「すご......にいさん、にいさんおきて!」
「も......ねむいんだって......」
「ほら!あまのがわ!このまえはなしてたあまのがわがみえるよ!」
「...あまの...がわ?」
織姫と彦星の話で有名な天の川。
燐と雪男は数日前、幼稚園で七夕の飾りつけをするのと同時に先生にその話を教えてもらった。
今日はその7月7日。
昔は日本でも見ることのできた天の川は今では一部の地域でしか見ることが出来ない。ここはその一部の地域。
目を開けた燐は広がる星の多さに驚き思わず天に向かって手を伸ばした。それを見ていた雪男もまた同じ様に手を伸ばしてみる。
「すっげー!いっぱいー!」
「おっこちてきそうだねー!」
きゃあきゃあはしゃぐ二人の横に寝転がった獅郎は同じ様に空を見上げて同じ様に手を伸ばす。三人が伸ばした手の先には天の川がはっきりと見えていた。
「今頃あの川を渡って織姫は彦星に逢いに行ってんのかな」
「うん、きっとおはなししてるね」
「ちがうよ、すきどうしだからちゅーしてるよ!」
「燐、おまえちゅーとか大人だな」
「おとなじゃなくてもすきだったらちゅーするぞ」
がばりと起き上がったり燐は雪男の上に覆い被さり有無を言わせずに頬にチュッとキスをした。暗い場所でもわかるほど赤くなった雪男の頭をわしゃわしゃと撫でながら獅郎に向かって最高の笑顔で言う。
「おれゆきおだーいすき!」
「ぼ、ぼくもにいさんだいすき......」
子供と言うのは、無邪気で素直で怖いもの無し。ビデオでも持ってくるんだったと後から笑いが込み上げてくる。年頃になった兄弟にこのやり取りを見せたらどんな顔をするのだろうと考えると笑わずにはいられなかった。なぜ笑っているのかわからないとはてなを浮かべる二人の横で一頻り笑った後、はぁと深く一息吐いた。
「夜っていいだろ?」
空に向けていた身体を兄弟に向けて右手で頭を支える。首からぶら下げたロザリオが星の光を受けて鈍く輝いた。
「そりゃ怖いのもいるけど、夜の風は気持ちいいし星が綺麗だろ?それに好きな人と一緒ならキスだってしてもらえるしな」
獅郎と燐は目を合わせて笑うと今度は二人で雪男を見て微笑みかけた。
「怖いときは好きな人に抱き締めてキスしてもらえ」
大きな腕が小さな二人を一纏めにして抱き寄せる。唇が触れる度に当たる髭がちくちくしたけれど、それは何よりも大好きで嬉しいキスだった。
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