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□兄、飛行機に乗る
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「おいっ、遅れる」
意味が無いくらいに早起きをした兄さんは家を出る準備を淡々と済ませていた。早朝から掃除機まで掛けていたから、さすがにそれは近所迷惑だからやめなさいと注意したんだけれど。
玄関で靴を履く僕の前で足踏みをしだすんじゃないかと思うほどそわそわと身体を揺らしている。
「早く、早く」
暑くて着てられないと言うから祓魔師のコートはなるべく皺にならぬように荷物の中に入れてもらった。その荷物を肩から斜め掛けし、もう25だというのにまるで高校生のような出で立ちだ。
「あのね、出発便の時間何時だと思ってるの?」
「え、二時間半後」
「ここから空港までは?」
「一時間くらい?」
「だったら着いてからご飯食べるくらいの余裕あるでしょ?もうちょっと...」
「それじゃあダメなんだよ!」
靴を履いて立ち上がると兄さんは両手を僕の両肩に置いてゆっさゆっさと勢いよく揺らす。眼鏡が飛びそうになり思わず押さえた。何をそんなに興奮しているのか、何がダメなのか全くわからない。
「展望デッキ、行くだろ?」
展望デッキ?
「行くよな?飛び立つ飛行機見んだろ?見たいだろ?こう、ゴーって、ギュイーンって飛び立つ所!」
僕は頭を抱えた。
出で立ちは高校生でも中身は小学生だった。......仕方が無いと言えば仕方が無い事かもしれない。何せ兄さんは飛行機を利用することはおろか空港に行く事だって初めてなのだから。それにしたって、身振り手振りで目を輝かせて必死で訴えてくる姿は夏休みの少年かよ、と突っ込みを入れたくなる。
先日兄さんは聖騎士に任命され、世界各地にある支部に挨拶回りするために僕らは空港に向かおうとしている。鍵を使えば時間の短縮も経費の節約も体力の温存も可能だが、どうしても飛行機に乗りたいと子供のように駄々をこねる兄さんに根負けしたフェレス卿は一番近場の支部へ行くための片道一回に限り飛行機の利用を許可した。聖騎士という肩書きは所持していても些か不安だと今回の挨拶回りに僕も同行することになったのだ。
「だから早くしろ」
「遠足じゃないんだから」
展望デッキとか知っている時点で兄さんなりに下調べはしてあるようだからもしかしたら他にも色々言い出すかもしれない。これじゃ監視役、補佐役とは名目で実質的に子守役だろう。
扉を開けてついに足踏みし出した兄さんは僕の腕をぐいぐい引っ張ってくる。
「ったく雪ちゃんはのんびり屋さんだなー、兄ちゃんが付いててやらなきゃ折角の空港探検も満喫出来やしねぇなー」
......探検するつもりなのか。
同行しないで済む術は無いものかと頭を捻ってはみたがどうにもそれは不可能で僕の胃はまたもきゅうきゅうと痛み出したのだ。
******
「雪男のバカー!!!」
競歩混じりで走りながら俺の中の悲しみをぶちまけた。
やっと見えてきた搭乗手続きのカウンターでは手続き中の表示が点滅している。雪男の左腕を乱暴につかんで引き寄せ腕時計に視線を落とせばギリギリの時間だった。
「ごめんてば......そんなに怒らないでよ」
「展望デッキ行けねぇじゃん!探検も出来ねぇし土産も買えねぇ!」
「お土産も買うつもりだったのか...まだ出発前なのに...」
「おまえが寝過ごしたりするからだろ!時間無くなった!!くそ!お寝坊眼鏡っ!!」
「なっ!寝過ごしたのは悪かったと思うけど僕だって連日の激務であまり寝てないんだよ!だいたい兄さんだって寝てたじゃないか!」
「っ...!子守り役なら子守り役らしく子守りしてろ!」
売り言葉に買い言葉とはまさにこの事だと思う。続ければ余計に雰囲気が悪くなるに決まってる。わかっているけど、どうしても気持ちが収まらなくて言わなくてもいいような事まで言ってしまった。我慢が出来ない自分がまだまだ子供に思えて俺の言葉を最後に後ろをついてくる雪男から深い溜め息が漏れていた。
空港までの道中、電車がすいていたのが運の尽きだった。座れてしまったがために二人して眠りこけ目的駅を遥かに通過し気が付いた時には時既に遅し。間に合うかどうか微妙な時間だった。こんなときに限って都合よく空港近くに繋がる鍵など持ってはいない。
カウンターまで走り寄り何とか手続きをギリギリで済ませ荷物検査やらボディーチェックやらも済ませて中待ち合いまで進む。
「ねぇ、兄さん」
どこか伺ってくるような声だ。
ああして口喧嘩になってしまってもやはり悪かったと思っているのだろう。俺だって言い過ぎたと反省してる......それなのに。
「んだよ」
俺って可愛くない。いや、決して可愛いを目指してるわけじゃないけど。素直になれないし、視線さえ合わせられない。
「......」
ずんずんと先を歩いてしまっている俺には雪男が今どんな顔をしているのか伺い知ることはできない。搭乗口正面の椅子にどかりと座ると何も言わない雪男は俺の隣の空席に俺が座ったのと同じ様にどかりと荷物を置いた。ちらりと横目で見上げると視線の先には既に背中を向けた雪男が後方に向かって歩いていくのが見える。
「......ちぇっ、なんだよ」
そんな言葉を吐いても自然と目が追うのは行ってしまった背中だ。まだ行きの飛行機にすら乗っていないというのにこの雰囲気は最悪、くだらない意地なんて捨てて「悪かった」と告げればいいじゃないか。それだけできっとこれからの時間はいつものように過ごせるはず。そうだ、謝罪の気持ちを込めてあいつのミネラルウォーターとか買って渡すか!あれ、水とか機内でくれるんだっけ...?じゃあ何か違うものにすっか...んー、何がいいか......魚?え、魚?生魚なんか売ってねーぞ?いや生魚売ってても困るよな...う"ー、鯖寿司とか?あいつ食うかな???
「何を唸ってるの?」
声がしたのは真上からで顔を向けると雪男が覗き込むように首を傾げていた。思ったより近かった距離に赤面しそうになって慌てて距離を取ると雪男の手にビニール袋がぶら下がっているのが視界に入った。
「何か買ったのか?」
「うん、兄さんにね」
伸ばされた手から受け取って中を覗くと空港限定の可愛らしい焼菓子が沢山入っていた。ラッピングのリボンは空港名の入ったお洒落なシールで止めてあり開封するのが勿体無いと思えるほどに可愛く女子向けだ。
「限定品がそんなのしかなくて...」
「.........」
「...気に入らない?」
そんなわけ無いだろ。
仲直りの切欠が欲しくて、俺と同じような事を考えて、ちょっと焦りながら戻ってきたんだろ?
この品物がどうこうじゃなくて、雪男がどんな事を考えてどんな風に行動したのかを想像すると自分がしようとしていたことと重なりすぎて思わず笑みが溢れてしまった。
「気に入った!サンキュ!」
不安そうにしていた顔にうっすら色が差してその淡い色に合わせたような笑顔が今までの空気を一掃する。その笑顔だけで展望デッキも探索も土産物だってどうでもよくなる。相当に末期だと自分でも呆れた。
それから機内に乗り込んで、離陸に興奮する俺を置いて雪男は夢の中へ旅立ったようだ。さっき寝たばかりなのにまたすぐに寝れるとはかなりお疲れぎみだったんだなと思う。
「......ぶっ」
そんなに激しくずれてる眼鏡見たことねーぞ?何でもきっちりしてるくせにこれは相当だとその眼鏡に手を掛けた。
ぐらぐらと揺れる頭を自分の肩に乗せて、触れる髪の感触と温もりに安堵する。
俺はさっき買ってくれたクッキーに手を伸ばした。狙ったのかそうでないのか、その形が全てハートで雪男の愛の多さに赤面するまで、あと数秒。
end