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□刻まれる
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「奥村先生」


外来の診察が終わり、あとは入院患者のカルテの確認をすれば一段落と少しばかり気を抜いて椅子の背もたれに思いきり背中を預けていた時だった。看護師のひとりが衝立からひょっこり顔を出しこちらを伺っている。


「はい、何でしょう?」


慌てて体勢を建て直して眼鏡を直す。


「お客様がいらっしゃってますよ」

「お客様?」

「先生、お兄さんいらっしゃるんですね」

「え!?」

「急ぎじゃないから一段落するまで待ってると仰って外待合いでずっと待ってらっしゃいますよ」

「え、あ、はい、ありがとうございます」


何か忘れ物でもしただろうか。それともここにこなくちゃならないような何かがあったのだろうか。
広げていたカルテを整理し看護師に渡すと足早に診察室を出て待ち合いへ急ぐ。角を曲がったその先の並んだ椅子に兄さんの姿があった。僕の姿を見るなりニッと笑って大きく手を振る。


「おう、お疲れ!」


その声はここが病院だという事が頭に無いのか大音量だ。ため息をつきながらその隣に腰掛けて久し振りのその顔を近くで見た。


「病院なんだから静かに。兄さんは普段から声大きいんだからさ」

「んだよ、久し振りに会ったのに説教かよ」

「言われるのが嫌なら気を配ってよ、大人なんだから」


へいへい、と聞き流しながらも不満そうに口を尖らすのはこういうときの兄さんのクセだ。


「何かあったの?ここに来るなんて初めてだよね?」


そう問いかけると天を仰いでいた顔がくるりとこちらを向いて視線は僕の顔から徐々に下に移り足の先まで辿るとまた顔に戻ってきた。


「すげーな、医者って感じ」

「は?」

「ちょっと時間出来たから見に来たんだ、おまえの医者姿」

「それだけ?」

「んー、」


ちょいちょいと手招きされて顔を寄せると兄さんの手が僕の耳を覆って顔までもが近づいた。


──ずっと会ってなかったから顔見たくなった。


ちょっと熱い息と低く囁かれたその言葉が耳に触れる。どくんと大きく跳ね上がる心臓が更に大きな音を立てて僕の焦る気持ちを煽って止まない。


「ぶはっ!!!」


ただ赤い顔で見ることしか出来ないでいると兄さんはいたずらに成功した子供のようにひぃひぃと笑い始めた。こんな風に接しておいて笑うとか...え、僕はただからかわれただけ?


「ごめんごめん、でもさっき言ったのはホント」


席を立って伸びをする兄さんは僕の頭をくしゃりと撫でる。いつも通りに少々乱暴だがその手は大きくて暖かい。


「今日も遅ぇーの?」

「ううん、定時で帰るよ。兄さんは?」

「帰れると思うけど早くはねぇな」

「そう、じゃあ待ってるよ。明日休みだし起きてる」


うん、と頷く兄さんの腕を強引に引きよろけた拍子に今度は僕が低く囁く。


──帰ったら今までの埋め合わせ、たっぷりしてあげる。


爆発音が聞こえたんじゃないかと思うほどにボンッと赤くなった顔。慌てて荷物を纏めた兄さんは「んじゃ、仕事行く!」と言い残して嵐のように行ってしまった。自分だって相当に動揺してるじゃないか。笑いが沸き上がる口元を押さえて今まで兄さんが座っていた椅子に目をやると残されたままの紙袋があった。


「......無理しちゃって」


中にはまだ暖かい弁当箱。
また頬が少し赤くなったのを自分で感じていた。






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