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早朝、控え目に鳴る鐘の音。
僕は珍しく早く起きていた兄さんを誘って近所にある教会に向かっていた。
「昨日ちゃんと眠れたのか?」
ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んだ兄さんはちょっと眠そうな目をしている。
「兄さんがいると寝言五月蝿いんだよね」
「おまえはいつも一言多い」
実を言うと昨日の晩はほとんど寝れなかった。
一旦はそれぞれの部屋に入りそれぞれのベッドに入ったはずだったのに。
******
兄さんが退院してきて初めての夜。
目蓋が重くなり始めた頃、僅かにドアが開く音がしてそっと入ってくる人影。薄く目を開けた僕の顔を覗き込むと「こっちで寝てもいいか?」と聞いてきた。断る理由などありはしない、僕も一緒にいたかったから。
「珍しいね。兄さんから僕の所に来るなんて」
本当は嬉しいくせに素直になれない僕からはそんな言葉しか出ない。
「いいだろ、久し振りに一緒にいられるんだし」
「......うん」
素直に気持ちを伝えられる兄さんが羨ましかった。そういう所は見習いたいといつも思うけどそうやって生きてこなかった僕にはかなり難題だ。だから溜め込む結果に繋がるのかもしれない。
ベッドの中央に横たえていた身体を壁側にぴったり寄せると兄さんは猫のように布団に潜り込んで僕の身体をぐっと引き寄せた。
「そんなに壁に引っ付かなくても大丈夫だぞ。さみいから飛び出さねぇし」
頭まで被さっている布団から少しだけ飛び出した癖のある前髪がふわふわと揺れる。自分と同じシャンプーの香り。
「蹴飛ばさないでね」
「蹴飛ばさない、たぶん」
「たぶん、ね」
僕の顔の位置よりも少しだけ下にある兄さんの身体。恥ずかしがって兄さんからくっついてはこないけどその手は僕の服を掴んでいた。そのうち規則的な寝息が聞こえてきてその顔を覗き込んだ。
「寝るの早すぎ」
「う...ん......ごめん...」
「ぷっ」
寝ぼけているにもかかわらず謝る兄さんに笑ってしまう。
「助けて......やれなく...て...」
「......」
そんなこと寝言でまで...。
手を伸ばして額に掛かる髪を払ってやる。
「僕は大丈夫。ありがとう、兄さん」
小さく答えてやれば兄さんは安心したように穏やかに笑った。もっと近くで見ていたくて腕を伸ばして抱き寄せる。服を掴んでいた手は僕の背中に回された。
今まで見たくても正面から見ることのできなかった兄さんの顔がこんなに近くにあってその身体はこんなにも暖かい。目を閉じるのが勿体なくて触れている部分が嬉しくて僕は一晩中兄さんが生きている喜びを噛み締めた。
******
開け放たれた入口の扉から中を覗き込むと神父様が中央でキリストの像に向かい聖書の一説を唱え胸で十字を切っていた。顔を見合わせた僕達は音を立ててはいけないような気がしてそっと足音を立てぬよう一番後ろの席に進む。
「うおっ!」
何も無いところで見事につまづいた兄さんは大音量で出てしまった声に自分でも驚いて慌てて口を押さえた。衝動的に後ろから頭を叩くと、神聖な空間にそぐわない大きな笑い声が響き渡る。
「ぶははっっっ!漫才みたいだ」
腹を抱えて笑うその神父様は僕の顔を見るなり笑い声を押さえて僕らの方へ向かってくる。
「元気になったようだね」
「はい、お陰様で」
「こちらのお兄さんのお陰でしょう?」
「え?何故兄だと...」
この教会には実はもう7年も通っている。不規則な生活をしているからいつも決まった礼拝には来ること出来ないが一人祈るために訪れる事は続けていた。修道院にいた頃の習慣が身に染みていたからか。この間の一件の後も足しげく通っていた。
兄さんには一言も言ったことがなかったから自分だけわからないことにかなり不満顔だ。
「わかりますよ。私はだいぶ前からあなた方を知っていますから」
「「え?」」
「昔は藤本くんもよくここへ来たものです」
「「えっ!?」」
「私も昔は祓魔師でした」
神父さんと知り合いだったという初老のその人はにっこりと優しい笑みを僕らに向けた。
「じゃ、僕の事最初から知って...」
「ええ。葬儀の時に二人をお見掛けしてましたしね...二人とも立派になられて、藤本くんもきっとあちらで喜んでいますよ」
神父さんが教会に足を運んでいたなんて少し意外な気がした。修道院をやってたことだってよく考えたら違和感があるのかもしれない。
誰よりも冷徹だと恐れられていたくらいの人だったのに、何を祈りに何を願いにここへ来ていたのだろう。
「ちょっと思い出話をしてもいいですか?」
礼拝堂の後部席、僕らの正面に腰を下ろしキリストに背を向けて懐かしそうに彼は話し始めた。
*