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□キミとミライ 雪男編
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祓魔師の仕事を終えて今日も寮までの道を歩く。
人通りの少なくなったこの時間、いつも人が行き交い賑わっている道は表情を変えて少々寂しくも思える。
任務を終えた身体がいつにも増して重く感じる。
最近は一時的に仕事量が増えているせいか一日の終盤はかなり疲労困憊状態だ。
「...疲れたな」
いつもはあまり出ない独り言までぽろぽろと溢れてしまう。
いつものように塾の授業の準備や高校生としての授業の予習復習、出来れば兄さんの勉強もみてやらなくちゃならないっていうのに。
いくら時間があっても足りやしない。
「はぁ...」
自分で吐き出した溜め息が自分にのし掛かるように更に疲労感を高めるのがわかっているのに無意識にそれは増えるばかり。
明日は土曜日で塾や学業は休みだから急な任務が無ければいいなとぼうっと考えていた。
そんな重い足取りで寮に辿り着くと灯りがまだついていた。灯りがついているというだけでちょっとだけ残っていた元気が表に出てくるのは何故だろう。
──兄さんまだ起きてるのかな。
寮の扉を開け重たげに階段を上るといい香りが漂ってくる。その匂いに誘われるようにふらふらと足を運んだ。
「兄さん、ただいま」
食堂に踏み入れ、厨房にいるだろう兄さんに向かい声をかけると声だけが聞こえてきた。何か手の離せないことでもしているのか。
「おー、お帰り。遅かったなー。飯か?風呂か?」
「お腹すいたからごはんがいいな」
「じゃあ用意しとくから着替えて手ぇ洗ってこい」
「うん」
夫婦のようなやりとりももう何の違和感も無い。かえってこれがないと落ち着かないくらいだ。
短い返事をして足早に食堂を出た。今日のご飯は何だったのか聞けばよかったなどと考えながら部屋に向かう。
だが何故だか何となく小さな違和感があって何だかしっくり来ない。それが何だかはわからなかったが、疲れているからそう感じるのかとさして考えることもなく部屋の扉を開けた。
重い鞄を机の脇に置いていつものように脱いだコートをハンガーに掛けベッドにぼすんと腰を下ろす。身体がいつもより重い。ネクタイを緩めて上半身もベッドに倒れ込んだ。沈んでいく身体が心地よくて急激に睡魔が自分を襲う。
──兄さんが、ごはん、待ってる...
眼鏡も外せないまま、ネクタイから指も放せないまま、僕はあっという間に睡魔に全てをあけ渡してしまった。
******
いつまでたっても姿を見せない事を不審に思って部屋までの廊下を少々急ぎ足で歩いていく。
──せっかく用意したのに冷めちまうじゃねえか。
部屋の前まで来るとピタリとその足を止めて鼻から思いきり息を吸い込み尖らせた口から吐き出す。
「よしっ!」
気合いをいれてドアを開け、正面にいるはずの雪男に一言言ってやろうと口を開けたがベッドから足だけが外に投げ出されていて思わず出掛けた言葉をぐっと飲み込んだ。
「眼鏡も取れなかったのかよ」
ネクタイの結び目に手をかけたまま眠るその姿にため息が出た。
その寝顔は昼間見せる顔とは違い幼くて昔から変わらない。
「まったく、頑張りすぎだっつーの」
小さく呟いて雪男が倒れ込むベッドの脇に腰を下ろしその顔をじっと見つめた。静かに胸が上下して小さな寝息が規則正しく聞こえてくる。乱れた前髪に手を伸ばして触れてみても起きる気配はない。
眼鏡を外しネクタイを外してベルトを緩める。きちんとたたんであった毛布に手を伸ばしてそっと掛けてやった。
「おやすみ」
部屋の電気を消してゆっくり扉を閉めると腕捲りをして小さい溜め息を一つ。
夜中に起きることがあれば腹も減っているだろうからおにぎりでも作っておかないと。残ったものは明日の昼飯だとまた厨房に戻るべく薄暗い廊下をひとり戻って行った。
******
時計の秒針の音だけが静まり返った部屋に鮮明に響く。
ハッと目を開けると視線の先は天井でがばりと身体を起こすと兄さんの心遣いがあちこちに沢山散りばめられていて思わず頭を抱えた。
時計は5時50分を指している。
登ったばかりの太陽の光が斜めに射し込み鳥の声が聞こえた。
完全に熟睡したおかげで身体は軽い。
兄さんの方に視線を向けると壁側に向かいまだ眠っている様子だったけどなんとなくその寝顔を見たくてベッドのすぐ脇にしゃがんで頭まですっぽり被っていた布団を少しずらしてみた。
青みがかった黒髪が覗いたが見えるのは尖った耳だけ。
髪を撫でてみると寝返りをうってこちらに向き直った。
「ん?」
兄さんだよね?
閉じられていた目蓋が開き青い瞳が覗く。
「んん?」
僕は兄さんにちょっと近付いて再確認した。
視点が定まらなかった瞳が僕を捉えると大きな目が見開かれた。
「うおぉぉぉっっっっっ!!!」
驚いて壁に張り付いた兄さんを見て僕は絶句した。
「..........」
「お、おはよう」
「あの、何か、おかしく...ない?」
「は、ははっ、おかしいな」
あまりに驚きすぎて言葉がうまく出てこない。
目の前にいるのは紛れもなく兄さんだ。でも15歳じゃない。完全に...大人だ。
「...何これ?」
「何って...あいつに聞いてくれよ」
「あいつって...」
「こんなこと出来んの一人しかいねぇだろ」
そうだ、一人しかいない、ピンクの。
またふざけたことしやがって。
僕らで遊んで何が楽しいのか。
沸き上がる怒りで徐々に体が熱くなる。
「まぁまぁ、頭くるけど仕方ねえよ。もうこうなっちまってんだから」
「......抗議してくる」
「ちょっと待て、明日一杯らしいぜ、この組み合わせ」
「組み合わせ?」
「そ。俺はこの時代とは違うところから来たんだ」
「え!?」
「だからおまえの兄ちゃんとはちょっと違う。そんでもっておまえの兄ちゃんは俺の弟と一緒のはずだ」
訳がわからない。
何の為に?
段々と頭痛さえ感じるようだ。
「...何歳なの?」
「22」
「祓魔師には...」
「なったよ」
「そっか...良かった」
大人になった兄さんは15の時と変わらない笑顔で僕を見つめる。でもどこか落ち着いた雰囲気で大人な兄さんから目が放せなくなってしまう。
「まだ早ぇから寝てたら?疲れてんだろ?」
「大丈夫だよ、もう回復したみたい」
「若いっていいなぁ」
「まだ22の人が何言ってるの」
「俺、人じゃねぇし」
「そういうところは変わらないんだね」
「うっわ、小さくても雪男だ」
「それはこっちのセリフ」
兄さんは起き上がって一つのびをする。
背は少し伸びたみたいで全体的に筋肉がついたようだ。
「なぁ、おまえの服借りていい?俺のじゃ入らねんだ」
「うん、ご自由に」
僕のクローゼットから服を取り出して着替える兄さんの身体は15の兄さんとは別物で、やはり傷一つ無い綺麗な肌をしていた。
「そんなに見つめられると恥ずかしいんですけど」
「ご、ごめん」
慌てて目を逸らすとクスクスと笑いながら夜食にと作っておいてくれた皿に手を伸ばす。
「朝飯の用意してくる。これ、焼きおにぎりにすっかな〜。その間にシャワー浴びてこいよ」
「あのっ」
「あ?」
「色々してくれてありがとう」
「何言ってんだよ、いつもの事だろ。礼なんかいらねーの」
後ろ向きにヒラヒラと手を振って扉を出ていく背中はとても大きく感じられた。
あの22歳の兄さんはその年になるまでどんな生活をしてどんな経験を積んできたのだろう。
祓魔師としてはどのくらいの地位にあるのだろう。
恋人は?
未来の僕とはどんなふうにすごしているのか?
聞きたいことは山ほどある。
だけどきっと僕の事を考えて全ては教えてくれないだろう。
「とりあえずお風呂行こう」
まだ少々混乱する頭を切り替えようと僕も部屋を出る。
もしかしたらすごく貴重な体験をしているのかもしれない。
密かにワクワクする心を隠せずに口角を少しだけ上げた。
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