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□ごはんにしますか、お風呂にしますか、それとも
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「やっぱこれはねぇよなぁ…」


燐は緩んでしまった新しいエプロンの腰の結び目を直しながら苦笑した。
テーブルに並んだ料理は、雪男が好きなメニューばかりで二人分にしては少しばかり量が多い。今日は奮発して一番いい刺身を用意した。特別お祝い事がある訳でもないが、最近はどうにも雪男が疲れ気味で機嫌が良くない。
心当たりのある理由は三つ上げられる。

一つ目は長期任務が何件か続いていてなかなか思うように休めていない事。
二つ目は海外から来ている応援祓魔師の接待で幹事を押し付けられた事。
最後は肉料理が続いた事。

言っておくが三番目の理由は俺のせいではない。たまにある支部長からの支給食材が高級肉の塊だった。
だから仕方が無かったのだ。それなりに違う料理にしたけれど気に入らなかったのかもしれないと思うとちょっと心が痛い。雪男は食に関して普段から一切文句は言ったことが無かったから俺もその時はあまり気にしていなかったのだけれど。

燐はがたりと椅子を引いて静かに腰を下ろした。
今日もなかなか雪男は帰ってこない。朝の出掛けに聞いた時は遅くならないと言っていたのに時刻は既に九時になろうとしている。と言うか、帰ってきたらどうやって声を掛けたらいいのだろう。しばらくろくに話もしていない状況ではどう接したらいいかちょっと考えてしまう。
燐はポケットに入れていた携帯を取り出し、履歴に残るアドレスにメールを打つ。いつもと同じ、簡単で短い文章だ。


――お疲れ、何時頃帰って来る?


そしてカーソルが点滅するその後にいつもは無い文章を足した。


――待ってる。


今日は頑張って起きていよう。そして何か雪男が喜ぶことをしてあげよう。だから色々リサーチして今の状況が出来上がっている。とは言ってもすぐになど返事は来ないだろうし、ましてや帰宅はまだ先のような気がする。
燐は暇を持て余すかのように携帯を眺めながらテーブルに顔を乗せた。ポチポチと着信履歴を読み直し、そのほとんどが雪男からのもので「俺って寂しいやつかも」とぼんやり考える。でも内容を見て何だか安心に浸る様な気分になった。


課題はやった?
買い物は必要なものだけだよ。
勝手に僕の私物弄らないで。
兄さんとクロにお土産貰ったよ。
今日のご飯はなに?
疲れた、早く帰りたい。


思い付く度に送っているような短文だらけの文章だった。少しばかり面と向き合っている時よりも優しくて弱い雪男がそこにいた。


「…何でもしてやるのにな」


雪男は燐を頼ろうとはしない。一人で全てを抱えて一人で悩んで自らを弱くしている。たまには昔みたいに甘えて欲しい、そんな欲求が燐の中にはいつもあった。


「っわ、ビックリした…」


握ったまま投げ出されていた手の中の携帯が軽快な音を鳴らした。他に音の無い部屋には心臓に悪いくらいに大きく響く。掛けてきた相手は今思っていた人だった。通話に切り替えると聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。


「兄さん?どうしたの、何かあった?」
「え、何で?」
「だって、待ってるってメールだったから気になる事とかあるのかと思って」


いつもは言わないような一言に反応して、いつもは掛ってこない電話が来る。ほんの少しだけ心配の色を滲ませた声を聞いて何だか少しだけ嬉しくなった。


「任務中の電話は嫌なんじゃなかったのかよ」
「…何だかいつもと違ったから」
「お疲れ気味の雪ちゃんに尽くしてやろうと思っただけだ」


燐は携帯を強く耳に宛がう。雪男の声が急に愛しく感じた。


「どうしちゃったの?……眠いの?寝言?」
「寝てねーし!だから、待ってるっての!」


そうじゃないとこれもあれもが無駄になる。
おまえの好きなおかずも、前に使って気に入っていた入浴剤も、新しくしたシーツも、おまえの好きなおかずと志摩一押しのフリルの付いた白いエプロンも。最後のはやっぱりちょっとあれだったか。今の俺の格好はまるでギャグにしかならないと自分では思うけれど「なにそれ」と雪男が笑ってくれるならそれでいい。


「そう…?あぁ、そうだ」
「なんだ?」
「今日で仕事一区切りしたんだ。明日から二日間お休みもらった」
「そっか!ならゆっくり出来るな!」
「休みの間、家の事手伝うよ」
「いいよ、休みなんだから休め」
「過保護すぎ」


受話器の向こうで楽しそうに笑う声が聞こえる。どこか緊張感の解けた声に燐までが笑顔になった。


「まだ任務中なんだろ?電話大丈夫なのか?」
「ちょうど終わったところだったから。もう寮内だよ」
「え」


準備万端で雪男の帰りを待っていたのに、もうあと数分の猶予も無くここに雪男が現れるとなると本当にこの格好で大丈夫かと頭に血が上る。
やっぱりこれは冗談がキツイ。ドン引きされたら立ち直れないかも。
あたふたと同じ所を行ったり来たりしているとカツンカツンと足音が近付いて来る。ダメだ、今日はやっぱり…。焦って腰の結び目に手を伸ばすがこういう時に限って結び目が固結びになってしまったりする。見られたくない、どうしてこんな恰好なのか触れられたくない、俺がどうかしてました、悪うございました、だからどうか神様…。


「兄さん?」


耳に当てたままだった携帯からと、自分の背中側から聞こえる声が重なった。
…手遅れだ。ならばどういう言葉を吐いたら適切か。燐の頭の中はそればかりが駆け巡る。


「その格好……」


大きく息を吸ってちらりと振り返った顔は赤かったと思う。あまりに恥ずかしくて視界が揺らいだ。


「ご、ごはんにしますか、お風呂にしますか、それとも………、な、なんちゃって」


雪男は目を見開いて一気に顔を赤くした。冗談で言ったつもりだったのに。
それからどんな風に雪男に尽くすことになったのか。
それは…とても俺の口からは言えない。













いつもお世話になっていることささんにお渡ししたお話です。
いつも構って下さって幸せです、ありがとうございます!




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