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□IN THE USUAL(無配ペーパー)
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日曜の昼に差し掛かる少し前の時間。
入った時は少し混んでいた店内もだいぶ人が減り今は自分と隣に座る年配の男性のみとなった。いつもと同じここの主人にいつもと同じようにとお願いしていつものように同じ言葉で問い掛けられる。


「若いんだからたまには冒険してみないかい?」


髪を梳きながら鏡越しに聞いてくる主人の笑顔はとても優しくていつもきっぱり断れない。本来冒険はしない主義だけにいつも無難に代わり映え無く済むように言葉を濁して乗り切っていた。
だが今日はどうしてだか気分が良かった。何か提案されたら最初からNGを出す思考ではなくてこんなのもたまにはいいかな、なんて思えるくらいの余裕があった。


「冒険というほどに冒険はしたくないけど…」
「じゃあ日帰り旅行くらい?」
「いえ、散歩くらいで」


若いくせに思い切りが足りないと大げさに笑われて隣の男性までもがその会話に笑っていた。散歩くらいとは後から考えると随分小さいことを言ったものだと苦笑いが出てしまった。そんな注文にも主人は上機嫌でさくさくと鋏を進めていく。耳元で聞こえる音はリズミカルで心地いい。いつもは用意されている雑誌や新聞を手に取って読んでいるものだから最初から最後まで正面の鏡に映る自分の姿を見ていることなどほとんどない。今日も同じように手に取った雑誌を広げたがふと目に入った自分の姿がいつもと違って見えて思わず凝視した。


「ちょっと長さを変えただけなんだけど違って見えるでしょ?」
「これ散歩ですよね?」
「そうだよ」
「じゃあ日帰り旅行だったらどんな感じだったんですか?」
「うーん、パーマとか?」
「じゃあ冒険だったら??」
「聞きたい?」
「いえ、いいです…」


うっかり別の選択をしていなくて良かったと胸を撫で下ろした。冒険だったらモヒカンとか坊主とか…とにかく突拍子の無い物になっていたに違いない。考えるだけで血の気が引く。まともに学校にも行けなかったかもしれない…危なかった。ハァと小さく一息吐いて鏡を見ると早くも散歩程度に短くなった髪はもう仕上げに突入していた。最後の微調整をして小さなブラシで細かな髪を払い、首に当てていたタオルを取ってくれる。


「これからお出掛けかい?」
「えぇ、まぁ」
「それじゃあちょっとカッコよくしとくかなぁ」
「え、ちょ」


折角綺麗に梳いてくれた髪にスタイリング剤が揉みこまれてあっという間に今どきのヘアスタイルに早変わりした。ぽかんと口を開けたままの僕の顔の横に髭を蓄えた主人の顔がぬっと寄る。「なるほどねぇ」と言葉を残していく顔にはにやけた表情が張り付いていた。何でにやけるんだ、おかしな顔でもしてたかな…?思い当たる節は無くてそのにやけ顔の意図は全くの不明だ。そしていつものように持ってきてもらったコートに袖を通して会計を済ませ、いつものように見送りに一礼して店を出ると向かいのガードレールに白い息を吐き出す兄さんを見付けた。


「やっと終わったなー」
「寒いのに、お店入ってればいいじゃないか」
「こっから見てんのが良かったんだよ。にしてもさー」


寄り掛かっていた体を起こして僕の目の前に立った兄さんの頬はちょっとだけ赤みを帯びている。そしてちょっと面白くなさそうに口を尖らせた。


「無駄にイケメン。女の子とお出掛けデスカ?とか言われてたんじゃねーの?」


……あ、さっきの。「なるほどねぇ」と言われた意味がわかったように思えた。


「実際出掛けるんだからいいじゃない、女の子とじゃないけど」
「イケメンは否定しないんだな」


相変わらず面白くなさそうに歩き出す兄さんの足取りは早い。僕はフフッと笑ってその横に追いつくように歩みを早めた。
先日数年振りに積もった雪が歩道の両端に残っていて、それが北風を更に冷たくして僕らのコートを揺らす。こんな日に限って僕はマフラーをしてきていないし、散髪したばかりな上にいつもより少し短めな仕上がりだ。無意識に手を首に持っていくとぶすくれたままだが兄さんの視線はしっかりそれを追っていた。


「首、寒いんだろ」
「んー、でも大丈夫だよ」
「ん、ちょっとこっち来い」


くいくいと動かす指に誘われて身を乗り出すと兄さんの首にあった白いマフラーが中途半端に解かれて僕の首へと半分が巻き付いた。手加減など無く乱暴にぐるぐる巻き付けるものだから首が締まってとても苦しい。


「小さい子供じゃないんだから恥ずかしいだろ」
「誰も見てねぇよ」
「兄さん小っちゃいからこの体勢きついんだけど」
「小っちゃくねぇし!おまえがでかいんだ!」
またも僕の言動は兄さんの機嫌を損ねたらしい。
「もういい!雪男のばーかばーか!」


まるで小学生のような捨て台詞を吐きながらも自分のマフラーを解いて全てを僕に巻き付けてくる。「風邪ひいたって俺は看病なんてしてやんねぇ」なんて言っているくせにいちいちやることが愛情に溢れている。いつものように些細なことで言い合いをしてそれでもくっついている僕らは余程仲良しだと自分でも思う。眼鏡の下まで目一杯巻かれたマフラーをまた半分解いて先を歩く兄さんの首に引っ掻けて引き寄せた。ぐえっと妙な声が漏れて近付いた髪に顔を寄せて今度は僕がその首に巻き付いた。


「誰かに見られてたらどーすんだよ」
「困るけど、ちょっとだけ」


そう告げると困ったような吐息とこつんと額に当たる兄さんの感触。いつものように「しょうがねー弟だな」の聞き馴れた言葉が聞こえた。たまにの近所の散歩くらいの冒険ならばしてもいいかなと兄さんの温もりに触れる。少しの変化がいつもより少しの幸せをもたらすかもしれない。






End

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