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□gloves
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あれから俺にも任務が言い渡され、それを終えて帰ってきたのはもう夕方。報告書の作成や祓魔塾の授業の為の資料作りもあったから塾の職員室に寄っていくことにした。夕刻を過ぎて暗くなり始めた今、塾の教室からは授業を終えて帰路につく生徒が出てきたところでみんな俺に挨拶しては通り過ぎる。いまだにこの感覚はむず痒くて何だかぎくしゃくしてしまう。教師というのはやりがいもあるし、生徒と一緒に自分も成長できるようでとても楽しいが、人の上に立つ人間としては俺は全くそれに向いていない。それに引き換え雪男は教師向きだ。まぁ、教師歴が長いから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、広い知識と余裕と当たりの柔らかさ、そして厳しさ。何より教師のあいつの顔はとても凛々しい。
「おーぅ、燐」
職員室のドアを開けると気の抜けた声が俺を迎えた。一番端奥のデスクに足を掛けてぐらぐらと椅子を揺らして座る人。相変わらずな俺の師匠だ。
「あれ、ヴァチカンじゃなかったのか?」
斜め向かいの自分のデスクに向かい腰掛けて山積みのファイルの中から報告書の用紙が入っているものを引っ張り出した。その辺に転がっていたペンに手を伸ばして慣れた手付きでさらさらと先に進める。
「雪男がいないんだからアタシがおまえに着くしかないだろ。普段の任務プラス上級監察官、ましてやおまえのお守りなんぞ面倒すぎるってーの」
「でも給料すげーいいんだろ?」
「休みはほぼ無しだけどな」
二十歳を過ぎた今でも俺は騎士団の監察員付きだ。自在に炎を扱えるようになって暴走することも無くなり最初の頃よりかはその規制は緩くなっていたけど、尻尾の金の輪も二つ増えたしいざというときに唱えられる禁固呪もより強力なものに差し替えられたらしい。
それでも俺自身不満はなかった。魔神の息子だとただ虐げられて一人で生きていくよりも、制約や命の危うさはあっても信頼できる奴等が回りにいる方が何倍も何百倍も良かったから。
「そういやあいつ、帰ってきたか?」
デスクに上がっていた足を下ろして同じところに両肘を付け頬杖を付いて此方をじっと見つめる。いつものふざけた感じとは違う声音と表情が俺の心をざわつかせた。
「俺も家まだ帰ってねえからわかんねぇけど......何かあるのか?」
「何かあるって訳じゃないがちょっと不穏な動きを耳にしたからな」
「不穏って何だよ」
一瞬考えたような素振りを見せたかと思ったら席を立って此方側へ回り、俺の机にどかりと腰を下ろした。
「ケツの下なんだけど、報告書」
「おっ、アタシのおケツの下敷きとは幸せな報告書だにゃー」
シッシッと手を振って報告書を救出した後、不穏だと言った真意を聞き出すべくシュラを見上げた。小さく息を吐き出して勿体ぶるような口調でその内容は切り出された。
「雪男が呼ばれた任務だけどな、上級祓魔師で呼ばれたのはあいつだけ。現場はギリシャの神の聖地だ」
「そんで?」
「あのな...神の聖地ってのには基本的に悪魔は寄り付かない。というか神聖な場所過ぎて寄り付けないんだ。強力な悪魔は特に。そういう現場は上級祓魔師なんかいなくても大抵早く片が付く」
「なんだよ、それ...」
一気に悪寒が背中を駆け抜けた。
何か予期せぬ事が起きてる。
「雪男も馬鹿じゃない。わかっていて行ったはずだ。それに聖騎士が同じ任務で後から召集されたらしい」
朝のやり取りが頭を掠めた。雪男は御守りにしたいと言って俺の手袋を持って行った。いつもしない行動に何故違和感を覚えなかったのか。「何」があるというのか。良からぬ事が起こっているのはわかるが「何」がわからない。身体中の血が引いていって指先が痺れてくる。
俺は慌ててコートのポケットから携帯を取り出して短縮設定してあるボタンを押した。
「......おい、...早く出ろよ」
何度も繰り返すコールの音に段々と焦る気持ちと不安が沸いてくる。一旦通話を切って再びかけてみるが耳に届くのはコールの音だけ。駄目かと耳から携帯を離そうとした時、息を切らす声が聞こえた。
「......にい、さん?」
「おまえ、大丈夫か!?大丈夫なのか!?」
「何?今、忙しいん、だけど」
走っているのか息は途切れ途切れで微かに笑っているようだった。余裕の見えるその応答に胸を撫で下ろして深く溜め息を吐いた。
「大丈夫だよ、またあとで...」
「ごめん、邪魔したな」
「......兄さん」
いくらか小さくなった声に「何だ?」と問えば暫くの沈黙。聞こえなかったかと名前を呼ぶと静かな声で雪男は答えた。
「...必ず帰るから、待ってて」
何か含むような物言いに携帯を持つ手に力が入る。
そんなの、当たり前だろう。
そんなこと言わなくたっていつだって待ってるだろう。
「おい、雪...」
そこで会話はブツリと切れた。もう携帯からは雪男の声を聞くことは出来ない。それでも俺は携帯を耳から離すことが出来なくて、どこを見ているかわからない視線を更にさまよわせた。
「おまえ、わっかりやすいなぁ」
放心状態の俺を現実に引き戻したのはこんな状況でも緩く振る舞う師匠の声。ぐっと腕を捕まれてよろけるように後ろへ引っ張られる。
「ちょ、何すんだっ!」
「何って、行くんだろ?」
「え...」
「アタシも今日はおまえのお守りしかやることねぇからな。付き合ってやるよ」
腰に付けたたくさんの中からひとつを取り出して一番近くにある扉の鍵穴に差し込んだ。
「心して行け。何が起こるかわからないからな」
ニッと笑ういつもの顔に、いつもの態度に助けられる。だいたい考えすぎだっただけなのかもしれない。ずり落ちた倶利伽羅を肩にかけ直す。
「.....そっちもな」
大きく深呼吸すると異国の香りが緩い風にのって流れてくる。自分のいる場所と雪男のいる場所を繋げる扉は開かれた。
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