先日、あの静雄が風邪を引いたと聞いた。
どうやら、熱を出して臥せっているらしい。
人間離れした怪力に、メスも5ミリしか受け付けない頑丈な皮膚を持ち、外傷を受けても驚異の回復力を見せる化物でも、内部からの攻撃には弱いのか。ならば、ウィルスを使えば静雄を破滅させられるかもしれない。
しかし、免疫を作る細胞も人間離れしているかもしれないが。
どちらにせよ、今弱っている静雄を逃す気はない。

「お見舞い、行かないとねぇ」

臨也は心底楽しそうに笑みを浮かべ、黒いコートを翻してスキップをしながら路地を曲がった。

静雄のアパートに着いた臨也。
小躍りしたくなる自分を抑えつつ、インターフォンを押…そうと思った所で、自動的にドアが開く。
池袋に行くと、何のレーダーが働くのか、何処からともなく現れる静雄。
今回も、自分が訪れた事が解ったのか。
そう思ったが、中から出て来たのか静雄の弟、幽だった。

「やぁ幽君、お兄さん、具合どう?」
「臨也さん…」

どうやら幽は帰る所だったらしく、身支度が整っていた。
この後、仕事が入っているのだろう。
一度腕時計にチラリと視線を落とし、その後、中にも視線を向けた。

「何ですか?」
「何って、お見舞いだよ、お見舞い」

表情の変化に乏しい幽だが、臨也の姿に警戒心を抱いているのは見て取れる。
自分の兄と、目の前の男が犬猿の仲である事は百も承知だし、臨也の評判が決して良い物ではない事も知っている。
事実、臨也が裏で手を引いて静雄に刺客を送っていた事を、つきとめた事もあった。
そんな事もあり、静雄の様に派手では無いが、幽も敵意剥き出しにしていた。

「シズちゃんが風邪引いたって聞いてさ、心配で来てみたんだよ」

躯を玄関内に留め、ドアを開けた状態の儘動こうとしない幽に、臨也はニッコリと笑って見せる。
しかし、幽は表情を曇らせた儘、臨也の事を見詰めていた。
この男が他人の心配等、する筈ない。どうせ何か企んでいるに違いない。
追い返さないと。
そう思い、スルリと身を反転させて玄関から出、手早くドアを閉めようと身を翻した。

あと数センチの所でドアが閉まる。
と思った所で、ガッという音と共にドアが止まる。
見ると、臨也が足を伸ばしてドアが閉まるのを封じていた。

「あれ?俺、門前払い?酷いなぁ」

今迄、酷い事をして来たのはどっちだ。
そんな感情を込めて、幽は臨也をチラリと見遣る。
しかし臨也引く素振りも見せず、依然として笑顔を浮かべていた。

幽が無表情何て、とんでもない。
普段は大人しく見せているが、あの静雄の弟なのだ。
身に掛かる火の粉は当然振り払うし、身内に掛かりそうな火の粉も全力で振り払う。
静雄に比べれば頭で考えてから行動に出るが、どちらにせよ、行動で示すタイプ。
静雄と違い理屈が通じそうだが、頭から臨也を否定しに掛かっている為、やはり通じそうにない。

「ね、シズちゃん、薬飲んだの?」
「いえ、それは…」

一人暮らしの兄を思い、食料と薬を持って来た幽だったが、薬を飲ませるまでの時間が無かった。
この後、撮影が待っている。
兄が臥せっているとはいえ、遅刻する事は出来ない。
何より、そんな事をしたら静雄は怒るだろう。
大丈夫だと言う兄の言葉を信じて帰ろうとした所だったが、正直不安に思っていた。

「この後、仕事なんだろ?俺がちゃんと見てあげるよ。ね?」
「………」

信用出来ない。
幽の瞳はそう言っていたが、臨也は笑顔を続ける。
そのうち幽は根負けし、深い溜息を吐くと説明を始めた。

「薬、新羅さんが調合してくれた物なんです。一般の物より少し強い物なので、飲み過ぎない様に注意して貰えますか?」

よりによって、一番信頼出来ない相手に兄の事を頼む事になる何て。
出来れば、誰か他の人と連絡を取りたい所。この男の妹達でも良い。
しかし今はそんな時間も無く、幽は不安に不安を重ねつつ、臨也に自分の兄の看病を頼んだ。

「あの、俺自身にそんな力はないけど、でも俺の一言で動いてくれる人間はそれなりにいますんで」

所属しているプロダクションの社長を筆頭に、幽の頼みとあらば動いてくれる人間は多数存在する。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いの幽は、ルリと並ぶドル箱。
勿論、それを鼻に掛けて人を顎で使う様な真似をするつもりはないし、第一、羽島幽平の名を利用するつもりもない。
しかし、兄の為なら何でも使うつもりではいる。

「おぉお怖いねぇ。大丈夫、心配しないでもそんな酷い事はしないよ。尤も、シズちゃんが大人しくしてればの話だけどね」

仇敵の姿を見て、静雄が大人しくしている筈がない。
臨也の姿を見たら、余計熱が上がってしまうかもしれない。
やはりこの儘引き取って貰った方が良いかもしれないと思ったが、そうこうしている間に臨也はドアを大きく開けて玄関に躯を入れてしまった。

「時間、良いの?君の一言で動いてくれる人達が待ってるんじゃない?」
「……じゃあ、お願いします」

そう言って、頭を下げる幽。だがその表情は威圧を与えている。
しかし臨也は全く気にも止めぬ様子で、笑顔でヒラヒラと手を振り、幽を見送った。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ