朝5題

□朝霜に濡れる
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「ちくしょう!ふざけんな!」
律は荒々しく、足元の地面を踏みしめた。

先程エメラルド編集部は、その月の原稿を入稿した。
だがそのなかに吉川千春のものはなかった。
今回、律が担当になって初めて吉川千春の原稿が間に合わなかった。
つまり落としてしまったのだった。

これは律にとって、かなりショックなことだった。
律だってエメラルド編集部の中では若手とはいえ、もう新人ではない。
原稿を落とした経験だって、初めてじゃなかった。
だけど今までのそれには、すべて理由があった。
例えば作家の急病とか、アシスタントの欠員とか。
だけどそういうアクシデント以外で落としてしまったのは、初めてのことだった。

理由はあるのだ。
今回は今後の展開を握る新しいキャラクターが登場する回だった。
だから丁寧に、しっかり描きたい。
吉野はそう言ったし、律もその意見には賛成だ。
そのシーンにこだわり、何度も推敲を重ねた。
だがかなり仕上がった後にもっといい案を思いついてしまい、迷った末に一から描き直した。
だがその判断のせいで、結局間に合わなくなってしまった。

トボトボと始発電車で帰宅した律は、マンション近くの公園にいた。
大きなマンションの谷間にあり、ブランコとベンチしかない狭さ。
ぶっちゃけ公園と呼ぶには、おこがましいほどの場所だ。
ブランコとベンチも古びており、律は昼間でさえ、ここで遊んでいる子供を見たことがない。
だが今のどん底まで落ち込んだ気分にはふさわしい場所だと思った。
本当ならさっさと自宅に戻って、寝て、明日に向かって英気を養うべきだろう。
だけどどうしてもそんな気になれなかったのだ。

もっとうまく立ち回れたら、どうにか間に合ったかもしれない。
そう考えると、悔しくてたまらなかった。
信じて任せてくれた編集長の羽鳥、それにいろいろフォローしてくれた木佐や美濃。
その他にも迷惑をかけてしまった関係者に合わせる顔がない。
そして何よりも、楽しみにしていた読者に申し訳ない。

「ちくしょう!ふざけんな!」
律は荒々しく、足元の地面を踏みしめた。
霜が降りた柔らかい土が、ザクザクと音を立てる。

いくら考えても仕方がない。
時間を戻すことはできないのだから。
とにかく今するべきことは、このやり場のない気持ちを整理することだ。
誰もいない早朝の公園で、朝霜に当り散らすくらい許されるだろう。
明日からはまた、いい作品を生み出すために頑張らなくてはならないのだから。
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