雪7題

□雪帽子
1ページ/3ページ

「娘が世話になった。」
男はそう言って、ベットに横たわる律に頭を下げる。
律は慌てて起き上がろうとしたが「いいからそのまま」ともう1人の男に肩を押さえられる。
信じられないことだと律は思う。
ジャプンの編集長に頭を下げられ、おまけに営業の暴れグマに優しく労わられるなんて。

意識を取り戻した律が最初に見たのは、泣きそうな顔で律の手を握る高野だった。
その瞬間、雪の中に消えるという自分の望みが阻止されたことを悟ったのだ。
それから高野はすっかり律の病室に居ついていた。
仕事もここに持ち込んでおり、どうしても出社しなくてはいけないときだけ会社に行っている。

業務連絡だと言って、木佐や美濃も頻繁に顔を出す。
編集長代行をしている羽鳥だけは、あまり顔を出せない。
だが休日には手作りの弁当を持って、見舞いに来てくれた。
なぜか吉川千春こと吉野千秋も一緒に来て「トリの弁当、美味しいでしょ」と笑っていた。
そんなエメラルド編集部の関係者ばかりやって来る単調な入院生活に変化が訪れたのは、入院から数日後。
今日も高野と2人きりだった病室に現れたのは、桐嶋と横澤だった。

桐嶋は病室に入るなり「娘が世話になった」と頭を下げた。
そして隣にいるのは横澤、ということはもう間違いない。
律が公園で会っていた少女は、この桐嶋の娘だったということだ。

「娘が1人で悩んでいた時に、力になってくれたそうだな。」
桐嶋はそれまで高野が座っていたパイプ椅子に腰を下ろすなり、そう言った。
横澤は壁に立て掛けてあった同じパイプ椅子を自分で開きながら、やはり腰を下ろす。
高野は2人に場所を譲ると、壁際に立っていた。
2人はどうやら高野には、今日の来訪を予告していたのだろう。

「桐嶋さんの娘は、お前にひどいことを言ったとずっと気にしてる。」
「気にする必要はないって伝えてください。」
挨拶さえ忘れて呆然としていた律が、ようやく口を開いた。
だが横澤は「お前が自分で言ってやってくれ」と真剣な表情で、そう答えた。

「今度、娘をここに連れてきてもいいか?」
そう訊ねる桐嶋は穏やかな表情だし、横澤の表情もやわらかい。
この2人はきっと今、幸せなのだろう。
律はそのことに少しだけ救われる思いだった。

「あのコをここには連れて来ないで下さい。今の俺は見られたくないです。」
律は桐嶋と横澤の顔を交互に見ながら、そう言った。
それは律の偽らざる本心だった。
あの陽だまりのような笑顔の少女に、この場所は似つかわしくない。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ