神桃学園

□壱
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 深く、美しい森だった。

 あかるい日差しが葉の隙間からさしこみ、かためられた土の道に、光の波をおとしている。いま、その上を何台にもつらなった馬車が軽やかに駆け、わずかな砂ぼこりを立ちのぼらせていた。

 馬車に乗るのは、家柄の良さそうな、洗練された雰囲気をもつ少年少女たち。
 すうっとのびる一本道の先には、彼らの今日入学する、《神桃学園》が待っている。

 馬車の一台に、縮こまるようにして座る少女がいた。黒地に銀のラインが走った、ワンピース型の制服を着てることから、高等部の生徒と思われる。しきりに手元の鞄を探ったり、スカートの裾をのばしたり、どうにも落ち着かない様子だ。平凡で庶民らしい気風も、ここでは少し浮いてしまっていた。

「ごきげんよう」

 声をかけられ、少女は飛びあがる。

「ごっごきげんよう!」

 ひどいうろたえように、声をかけた方の少女が、くすり、と笑った。口元に手を寄せる仕種がはんなりとしていて美しい。

「わたくし、橘カレンと申します。あなたは?」

「ミチル……田中ミチルと申します!」

「素敵な名前ですね。ミチルさん、どうぞこれから宜しくお願い致しますね」

「はい、こちらこそ!」

 カレンは目を細め、ふんわりと顔をほころばせた。ミチルは、彼女を取りまく空気が、淡く色づいたように感じた。それは、春の優しく清々しい空気に似ていた。

 今日は、ミチルが猛勉強の末に合格した、神桃学園の入学式。入試は違う場所で行われたので、森の奥にあるこの学園に入るのは今日が初めてだ。おとといの晩から眠れないほど、浮き浮きとしていたが、ひとつ気になることがあった。

「カレンちゃん。変だと思わない? どうして保護者は学園に入っちゃだめなのかな。入学式なのに」

 この学園には、生徒と学園関係者以外の者は一切立ち入れないという、変わった決まりがあった。だから森の手前までは親に送ってもらった生徒たちも、今こうして乗り換えた馬車にゆられているわけで。

 しかし、親さえ入れないというのは、かなり問題があるのでは、と思う。

 カレンは「きっと、それはね」と答えた。

「ここが、裕福な子たちが大勢入る学園だから」

「どういうこと?」

「世界的な犯罪組織にも目をつけられているみたい」

「……つまり、セキュリティのため?」

 ミチルは苦笑いした。

 その時、今まで外の景色をぼうっと眺めていた斜め向かいの少女が、雪の日の空気を思わせる、凛と澄んだ声で云った。

「ほんとうに、それだけだと思う?」

 二人はキョトンと顔を見合わせた。少女は意味ありげに小さく笑うと、ふたたび流れる景色に集中しはじめた。一言「まぁ、がんばってね」という意味深げな言葉を残して。

 がんばってね、という言葉にミチルは眉をひそめた。

 この学園は全寮制。入学した生徒は、学園の中で三年間を過ごす。勉学に集中するためという方針で、卒業までは一度も家に帰れないし、敷地の外にも出れない。

 だから、ここには同じ一年生、もしくは中等部の一年生しかいないはずなのだ。少女の言葉には違和感を感じるし、上から目線で腹もたつ。

「がんばってね、ってなんですか」

 ミチルはむきになった。

 少女は「ああ」とこちらに向き直る。

「わたし、内進生だから」

 内進生とは、中等部からこの学園にいる生徒のこと。そういえば、希望者は中等部から高等部の移行期のみ帰省できるというようなことが、入学手引書に書かれてあった気がする。

 ――それにしても、やっぱり上から目線か。

 あからさまに不機嫌な顔をしていたようで、カレンに目でなだめられてしまった。

 そういえば、とカレンは思い出したように口を開いた。

「学園の情報はほとんど集まりませんでしたが、噂として知人からひとつ聞いたことがありまして」

「うわさ?」

「ええ。この学園には、保健室がないとか」

「……え、どうして」

 すると例の少女が、ふたたび口をはさんだ。

「その噂、ほんとうよ。保健室はこの学園にない。病院に近いものならあるけどね」

「病院……!」

 住む世界がちがいすぎる。ミチルはいっそう、落ち着かない気分になった。

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