神桃学園
□拾参
1ページ/6ページ
「夏見さん。あなたは自分のしたことを、理解していますか」
圧迫感のある小さな部屋。机をはさんで座り、理事長は語りかけた。夏見は、感情のこもらない目を上げた。
「ええ。私の指揮が未熟であったせいで、鬼が肆区まで到達し、何人かが亡くなる結果となりました」
理事長は眉を潜めた。
「よくも、淡々と。あなたは一体、何を企んでいるのですか」
「企む、とは」
「あなたが白影隊を掌握し、好きなように動かしていたことは、知っていたのですよ。良からぬことを考えている、という噂も耳にしていました」
「空言です。それに、知っていたのなら、なぜお止めにならなかったのです」
夏見は、さらに先手を打つように続けた。
「あなた方は、失敗を恐れて、何もなさらなかった。見ようともしなかった。
生徒に真実を教えず。そうすることで、逆に不信をつのらせる者がいることにも気づかず。
誘拐事件が起きて、ようやく重たい腰を上げた。
もし学園を潰されていたなら、どうなったことか。あなたのような聡明な方が、想像できないはずは、ないでしょう。
鬼の被害は、今回の比ではなかったでしょうね」
夏見は、ためていたものを吐き出すように、云いきった。理事長は、呆気に捕われていたが、やがて恥じ入るように俯いた。
「……あなたの、云う通りですね。情けない限りです」
ですが、と顔を上げる。
「私たちに出来ることなど、結局何もない。すべては神の掌の上で、転がされてるに過ぎないのです」
夏見は、何が云いたいのだろう、という目で彼を見た。理事長は立ち上がり、背を向けながら云った。
「だから、我々は運命を信じることにしました」
「運命……?」
「はい。今朝から、女生徒三名が、行方をくらましました。その中の一人が、久遠の孫娘です」
「まさか」
「このタイミングなら、間違いありません。我々は、信じて待つことにしました」
理事長はそう云って、部屋から去って行く。鍵の閉まる音がした。
夏見は、扉まで走り寄ると、珍しく声を荒げた。
「待ってください! 何が運命ですって!? 彼女たちを引き戻してください! もし、鬼に殺されてしまったら……しまったら……」
理事長の返事はない。夏見は扉を、ばんばんと叩いた。
「ここを開けて!」
腕を引きずりながら、座り込む。
「……もう、鬼なんかに……奪わせないわ」
「神谷……店の中で回るな。客が怖がって、入ってこれないだろう」
テーブルの周りを回っていた神谷は、一瞬止まって、シガノを見た。
「安心してください。どうせ、客なんて来ませんから」
「な」
それより、とカウンターに詰め寄る。
「田中と園田がどこへ行ったか、本当に知らないんですか」
その時、扉が勢いよく開いて、血相を変えた秋月が入ってきた。客が来た、とシガノが呟く。
「神谷!」
「なぜ、お前がここに居る」
「愛子が居おらんのや!」
「なに」
秋月は苛々したように店の中を歩き回り、円椅子にどすん、と座った。神谷も、椅子一つ分開けて隣に座る。しばらくの沈黙の後、神谷は口を開いた。
「こんな時だが、秋月」
「なんや」
「愛子のことを、可愛いと思ったことはあるか」
「常に思っとるわ」
そうじゃなく、と神谷。
「特別だと、感じたことはあるか」
秋月は神谷の横顔を見た。切なげな眼差しに、ああそうか、と気づく。それが誰に向けられてたものなのかも、すぐに分かった。
「愛子のことを――女として特別やと思ったことはない。勿論、長い付き合いやし、大切やけどな。……神谷は、ミチルちゃんのことが、好きなんか」
神谷はカウンターに両肘をつき、頭をかかえた。
「あいつは、なかなかに男前な性格をしている。自慢の弟子だ。誇らしいと思う」
「……ああ」
「だが、誇らしいが、苦しい。頼ってくれないことが、苦しい」
シガノが煙草を吸いながら、見下げた。
「それは、神谷。恋と云うやつじゃねえのか」
「恋……だと」
神谷は目を見開いた。
「んな、驚くことか」
「告白はもう、したんか」
二人が軽く茶化すと、神谷はいいや、と首を振った。
「嫁に来いと云っただけだ」
そうか、と二人は頷き――同時に、驚嘆の声を上げた。シガノが煙草を落としかけ、秋月が椅子から立ち上がった。
「それ、プロポーズやんか。告白もせんと、プロポーズしたんか」
「ああ。そんなに驚くことか」
「阿呆やろう!? 女の子の気持ち、なんも分かってへんわ」
神谷はまだピンとこない顔をしている。秋月は溜息をついた。
シガノが、あ、と云った。
「そう云やァ、今朝早く、ミチルちゃんが来たな。寝ぼけてたから、うっかり忘れていた」
「なんだと! 何をしに来た」
敬語を忘れて、神谷が問いただす。たしか、とシガノは空(クウ)を見た。
「頼まれていた棒を取りに来て……それから」
「それから?」
「神谷に渡してくれとメモを置いていった」
「どこだ、そのメモとやらは!」
シガノは首を捻りながら奥へと消えて、紙切れを持って戻ってきた。神谷は直ぐさま引ったくる。学級通信のプリントをちぎった裏に、一行だけ書かれてあった。
――私を信じて、待っていてください――
――壱区。烏舞村(カラスマムラ)にて。
縁側で、刀の手入れをしていたツルは、手を休めて中庭を見た。生真面目な弟が、一心に、素振りを続けている。きれのいい掛け声が、耳に心地よかった。
「コハル。そろそろ、休憩したらどうじゃ?」
ツルが声を掛けると、コハルはすかさず駆け寄り、膝を地面につけた。
「有り難きお言葉です。兄上」
「妙な真似は止せ。血を分かつ兄弟であろう」
「いいえ、そうには参りません。今や兄上は、烏舞一族で一番の剣豪と謳われるお方。勿論、兄としても慕っておりますが、武人として尊敬するからには、このような態度を取ること、お許し頂きたいのです」
ツルは、ふぅむ、と顎の下をなでた。
烏舞村では、別段珍しいことでもない。しかし、どうもツルは、こういうことが性に会わなかった。
「私も、兄上の左腕(サワン)と成れるよう、日々修練して参ります。早速ですが、昨日教えて頂いた技について……」
ツルは優しく笑って、縁側から腰を上げた。誰よりも剣術への熱意と、根気強さを持つコハルは、自慢の弟だ。それを危うく感じることもあるが。
「のう、コハル。そなたは、鬼と戦うだけの人生を、虚しいと感じることはないか」
弐区への逃亡者が増える今、そのような憂鬱が暗雲のように壱区全体を、覆っている。これは、時代の流れなのかもしれない。ツルは、弟の真意も確かめておきたかった。
しかし、コハルはきっぱりと首を振った。
「そうは感じません。生きている内で一人の人に為せる事など、そう多くはないでしょう。自由など、私にとっては不自由なだけ。鬼と戦える誇り一つを持って、生きていけるなら、本望でございます」
ツルは頷いた。
「立派な志じゃ」
そして、肩で笑った。
「そなたは、口を開けば名言ばかりが出てくるのう」
自分はどうだろうか、とツルは考えた。人生に対して、強いこだわりはない。