神桃学園

□拾壱
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 ミチルの夏休みは修業三昧だった。カラスが鳴き始める頃には、目をこじ開けてでも起き、シガノの店に向かう。早朝の《常夜街》は、明かりが少なくて怖かったが、こんなことで怖がっていて鬼と戦えるか、と自分を勇めながら毎日通った。

 神谷は鬼番があって、夕方にしか来れなかった。だから、ほとんどシガノから教えてもらっているようなものだった。

「梅のお粥が食べたいです」

 修業の後にはよく頼む。今まで食べた中で、あれが一番美味しかったから。だけど、シガノはなかなかつくってくれなかった。

「あれァ、特別なんだ。特別なもんはしょっちゅうつくっちゃあいけねえ。俺とミチルちゃんが初めて出会った日の味だからなァ」

「あはは、意味深に云わないでください」

 単にケチなだけだ。そうに決まっている。

 そういえば、この頃、ユキの庭には行っていなかった。忙しいというのもあったし、会えば、きっと弱音を吐いてしまうから。弐区へ向かいそうになる足を留めるのは、大変だった。

 そして試験一日前。ミチルはやっと、神谷に試験を受けることを話した。神谷は予想していたのか驚いた様子もなく、黙ってミチルに一冊の本を渡した。『水滸伝』という中国の本だった。しかし、すべて原文だったので、とても読めそうにはなかった。

 内容は分からなかったが、ミチルは嬉しかった。随分と読み込まれていたから、大切なものだったはず。

 その日は、本を枕元に置いて寝た。

 しかし、ミチルの努力も神谷の応援も実を結ぶことはなかった。

 一次試験は教師の前で、神谷との刀合わせ。これは楽々合格できた。だが、夕方の二次試験は檻の中で放たれた鬼と、実際に戦うというもの。ミチルは鬼を前にした途端、足がすくんで動けなくなった。神谷が隣にいてくれなければ、確実に死んでいたところだ。

「……先輩。私、怖かったんです。怖いんだろうなって思ってたけど、こんなに怖くて、動けなくなるなんて」

 悔しい、とミチルは肩を震わせた。

「教えてください。どうすれば先輩みたいに……怖がらないで、いられますか」

 神谷はミチルの頭に手をのせて云った。

「怖いという感情を、受け入れることだ」

「……受け入れる」

 それだけでいいのだろうか、と思いながら、ミチルは神谷の手を頭から落とした。

「ぽんってするの、やめてください。なんか、子供みたいで恥ずかしいです」

 こんなことが嬉しいなんて、子供みたいで恥ずかしい。

「仕方ないだろう。お前の頭が、掌にちょうど収まるサイズなんだ」

「知りませんよ、そんなこと」

 最近、神谷に触れられたところが熱を持ったみたいになる。おかしいなぁ、とは思ったが、あまり深く考えないようにしていた。

 試験に合格したのは、一年生では二人だけだった。どちらも内進生。その内の一人が愛子だった。

 後になってミチルが試験を受けたことを知った彩は、ひどく怒っていた。事情を説明しても、その怒りはなかなか収まらなかった。そればかりか、ついには泣き出してしまった。

「あんたまで金色桃組にいったら、あたし、どうしたらいいの」

「ごめんなさい……でも」

「それにね、内部に入って、探ろうなんて危険すぎる。ばれたらどうするの。戦いのある場所に生易しい情なんてないんだから」

「わかってます。でも私には私なりの覚悟があるんです。神谷先輩だって、幸恵さんだって、命懸けで戦ってるじゃないですか」

「幸恵は……」

 彩は口をつぐんだ。躊躇うように周りを見て、声を小さくした。

「幸恵が戦うのには、事情があるんだよ。この時代に、命まで懸けれるなんて悲しい……でも、あいつにとってはそれが幸せなんだ」

「幸せ……」

「幸恵はさ、どれだけ笑っても、親を喜ばせることができなかったんだ。だから、鬼と戦うことが、一番の親孝行だと思ってるんだよ」

「そんな」

「ああもう、あたし、なに話してんだろ」

 なんだかねえと彩は視線を落とした。

「ミチルには、知っておいてほしかったんだ」



 夏休みが明け、木々が暖色に色づき始める頃。ミチルは相変わらず修業を続けていたが、何をするにも落ち着かなかった。
 指を折り、日数を数えては、ため息をつく。

「ミチルちゃん、大丈夫?」

 幸恵がトマトのサラダをテーブルの上に置きながら、心配そうに覗きこんできた。ミチルは「大丈夫です」と元気よく答えて、張りのあるトマトに箸を突き刺した。大体の悩み事は幸恵に話すが、これだけは出来ない相談だ。

 紅茶を一気に飲みほす彩へと目を移す。彼女のお皿に人参が引っ越してきたのと同時だった。

「あ」

 薫がシッと小指を立てた。ミチルは「了解」と口を動かした。

 朝食中、ミチルは彩と幸恵が気になって仕方なかった。実はこの前、二人の過去について、愛子からこんな話しを聞いたのだ。

「お互いに軽蔑してるような感じだったわね。園田先輩は顔には出さなかったけど、木嶋先輩はそんな彼女にますます腹をたてて、いつも突っ掛かっていたわ」

 それがある日、爆発したのだという。

「皆のいる前で木嶋先輩が『こいつは偽善者だ!』って怒鳴ったことがあったのよ。始めは穏やかだった園田先輩も、とうとう目に涙をためて木嶋先輩の頬をぶったの。『私は自分の偽善を知っているわ。知っていてこの生き方を選んでるのだから、文句はないでしょう!』って。みんな彼女に同情した。木嶋先輩は泣いてその場を去って行ったわ」

 それが不思議なのよ、と愛子は続けた。なんでも、その事件を期に、二人の仲はどんどん良くなっていったのだという。

 ――気になるけど、私が深入りしていいことではないよね。

 ミチルは二人をじろじろ見るのをやめて、自分の食事に集中し始めた。

 ところで、校長室から拝借した謎の手紙について。《折れた剣》の集会に持って行くと、皆興味津々だった。なんとか暗号を解いてやろうと皆で知恵を出し合っていると、後で来た綾小路がパパッと解いてしまった。

「これ、《忍びいろは》ですよ。小さい時、よくこれでスパイごっこしてたんです。左の偏が七通りあって、右はすべて色の漢字で統一されてるでしょう。こっちも七通りなはずです。七掛ける七で表をつくって……左から順に『い、ろ、は、に、ほ、へ、と』って打っていくんです。ほら、解けた」

 あの時の、リンタの悔しげな顔が忘れられない。

 手紙は『しんとうがくえんこうちやうへ』から始まった。
 ミチルが読みあげた。

「神桃学園校長へ。催促する。壱区の者たちを一刻も早く説得し、鬼の討伐権を国に譲るように」

 次の手紙。

「神桃学園校長へ。壱区の士道は守られなければなりません。十年前の悲劇を繰り返さないためにも。残念ですが、彼らを解放することはできません」

 ミチルは手紙から顔を上げた。

「十年前の悲劇って――?」

 皆、わからない、と首を振ったが、笹川が顔を強張らせながらぴんと手を上げた。

「わ、わたし、知ってます!」

 笹川に視線が集まる。彼女は顔を真っ赤にしながら、蚊の鳴くような声で話した。

「十年前に、この地域ぜんぶに蓋をしてしまおうって、国が大きな工事を始めたんです。鉄筋をドーム状に、はりめぐらせて。そしたら、工事に関わった人全員が、死……しんじゃって……」

 笹川は目に涙をためていった。

「大丈夫ですよ、云ってくれてありがとう」

 綾小路が彼女の頭をなでた。

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