神桃学園

□漆
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 《常夜街》右手の通りを、縫うようにして走る二人がいた。左手側とちがい、新しい木造の建物で統一された通りが多い。温かみはあるが、神秘的な雰囲気は損なわれていた。

 明かりは、強烈なオレンジのネオン。道行く人々の影を濃く落とし、江戸時代の町屋のような建物を、くっきりと浮かびあがらせている。

 素晴らしい姿勢で走る、綾小路の後ろ姿を飽かずに見ながらも、ミチルは初めて見る右手の街並みに興味津々だった。

 右手側で新しい街作りが広まっている、という話しはシガノから聞いたことがある。《明るく元気な街》がコンセプトだとか。仄暗さが魅力な街も、毎日暮らすとなると気が滅入るのかもしれない。

 小さな影とぶつかりそうになり、ミチルは慌てて飛びのいた。タヌキかイタチのような獣が、威嚇して逃げて行った。
  
 ネオンの明かりも、四丁目あたりからは次第に途絶えてきた。古い建物も増え、左手以上に、寂れた印象を受ける場所もあった。

「綾小路君! どこまで行くの」

 息を切らしながら尋ねる。茹でタコのように真っ赤な顔が振り返った。眼鏡は相変わらずずれ落ちている。

「五丁目です! 五丁目、裏です!」

 ミチルは思わず転びそうになった。

 五丁目裏と云えば、ついさっき皆で行ったところじゃないか――いや、ちがう。銭湯があったのは左手側。ここは右手側だ。

 奇妙な一致に、ミチルはドキリとした。

 《スナックあつこ》と書かれた、少し傾いた看板の前で、高等部の男子生徒が待っていた。到着したばかりのミチルと綾小路を無言で手招きする。

 取っ手に《閉店中》の看板が掛かった、色鮮やかな緑の扉が開く。誰もいないガランとした店内を突っ切り、カウンターの向こうへ。並んだ酒樽の一つをずらすと、下へと続く隠し階段が現れた。

「おお」

 ミチルは素直に驚いた。

「これより下は、僕たちの活動の拠点となる場所です。あなた方が僕らと同志であることを信じ、案内しますが……決して、口外しないように」

 あの、とミチルが階段の途中で止まった。

「同志というのは……?」

「もちろん、学園に少なからず不満を持っている者同士という意味です」

「そうですよね」

 ミチルは少し落ち着かない気分になった。

「不満……」

「田中先輩、急に止まらないでください。鼻が背中にぶつかってしまいます」

「ああ、ごめん」

 その部屋には、室内いっぱいに重厚感溢れる円テーブルが並んであった。ざっと見て十人弱の生徒や大人たちが、思い思いにくつろいでいる。

 案内してくれた男子生徒は、その中の一人、中年の女性に声をかけた。彼女は深刻そうに頷くと、いかにも歓迎しないという態度で近づいてきた。

 身体は痩せて骨っぽく、目はぎらりと光っている。眉間に刻まれた深いシワから、神経質そうな印象を受けた。

「あんたたちだね、新しく入る子って云うのは。ここがどういう所か分かってるんだろうね」

 威圧的な云い方に、二人はたじろぐ。

「はい」

 間をおいてミチルが答えた。年上としての責任が働いたのかもしれない。

「学園に不満を持つ生徒が集まって、互いに情報収集する所だと聞いています」

「そうだね」女が頷く。

「だけど、それだけじゃあないよ。私たちは、学園を落とすつもりでいる」

「……それは、廃校にするという意味ですか」

「それだけで済ますつもりはないが、そんなところだろうね」

 女は壁の神棚を指さした。真っ二つに折れた剣が、神棚を壁に縫い付けるように貫いている。罰当たりな構図に、二人の顔が引きつった。

「あれが、何かわかるかい」

「いえ……あの」

「神棚は神桃をまつるもの。街のあちこちにある社と同じやつだ。そして、あの折れた剣は、私の息子のものだった」

 彼女の名前はアツコ。元々は、この学園に通う一人息子の母親だった。旦那とは離婚しており、親一人子一人で力を合わせて暮らしてきたのだという。

 アツコは、テーブルの一つに二人を案内した。

「長い話になるが、聞いてくれるかい」

 アツコの真剣な目に、二人は頷いた。

「親馬鹿だって笑われるかもしれないが、私の息子は、それは優しい子だったよ。そして空手や柔道、体術全般に関しては、めっぽう強い子だった。この学園から、受験も授業料も免除の特待生として推薦を受けたとき、あの子はどれほど喜んだことか」

 アツコは切なげに笑った。

「寂しかったが、私はあの子の卒業する日を楽しみに、待ち続けた。だがある日、学園からの使者だとかいう男がやって来たんだ」

 男は学園本来の存在意義と共に、彼女の息子が金色桃組入りを果たしたこと、やがては白影隊として壱区に派遣されることをアツコに告げたという。そして、唯一の家族である彼女には、そのまま外で暮らすか、学園の市街区で暮らすかの、選択してもらわなければならないことも。

 ミチルと綾小路は顔を見合わせた。金色桃組に入った生徒の家族はどうなるのか、それは神桃探偵ノートに書き込んだ謎の一つだった。

「私には、あの子がすべてだったからね――二つ返事でここに来ることに決めたよ。たとえすぐに壱区へ行ってしまうとしても、出来るだけ近くにいたかった」

 アツコは煙草に火をつけると、辛そうな表情でそれをくゆらせた。ミチルはなんと云えばいいのか分からず、黙っていた。

「あの子は毎日、私の店に顔を出してくれたよ。正式な白影隊員になるまで、ずっと――白影隊ってわかるかい?」

「わかります」

「それなら話しが早いね。白影隊に入りあの子が壱区に引っ越してから、三ヶ月と八日たった日――突然だよ、なんの説明もなく、学園から折れた正規剣がポンと渡されたんだ。『あなたの息子さんは、最後まで鬼と戦い、立派にお亡くなりになりました』ってね」

 アツコは悔しげに唇を噛み、煙草を灰皿に押し付けた。

「立派にお亡くなりに、だって。ふざけんじゃないよ……っ」

 ミチルはドクン、と胸が打つのを感じた。薄れかかっていた学園への怒りが、心の奥でくすぶり始める。

「ひどいですね」

 綾小路が云った。

「人間のすることとは思えません」

 そうさ、とアツコ。

「この学園は、鬼神に人の魂を売ってしまったのさ」

 さっきここまで案内してくれた男子生徒が、つかつかと歩み寄ってきた。

「僕たちは、人間としての正義を信じ、アツコさんの元に集まっています。学園の廃止、白影隊員の解放、そして学園の関係者たちに、キッチリと罪を償って貰うことを目標に」

 その場に居る全員が、力強く頷いた。男子生徒は続けた。

「学園を廃止にする為には、とんでもない士道を絶ち、《閻魔針》の使用、叶うなら科学兵器の使用を認めて貰う必要があります。今は慎重に情報を集めている段階ですが、近い内に必ずや皆を解放してみせます。《折れた剣》の力を持って!」

 綾小路が感動の余りに椅子から転げ落ちた。

「僕も力になります! 仲間に入れてください!!」

 アツコが満足げに頷き、次にミチルの方を見た。

「あんたは、どうなんだい?」

「私……は、」

 ミチルは、頭をフル回転させているところだった。神谷の話、アツコの話、行方不明のカレン。すべて総合して自分の決断を導きださねば、と思ったが、決断する為には何かが決定的に欠けている。

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