神桃学園
□肆
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――次の朝。
ピチチ、という小鳥のさえずりが、少し開いた窓の外から聴こえてきた。ミチルはふあ、と欠伸をすると、しばらく布団の上で呆然としていた。
だめだ、眠すぎる。日曜日なんだから、もうちょっと寝たっていいよね。
ばたん、再び布団に倒れこむ。そのままゴロリと仰向けに返り、朝日に照らしだされた埃が、頭上で金粉のように輝くのを眺めた。
平和だなあ……。
二度寝へと誘われる幸せに浸っていると、しばらくして下の方が騒がしくなってきた。誰かが大きな声でしきりに叫んでいる。はじめ、薫が癇癪を起こしたものかと思ったが、それにしては声が太い。まるで男のような。
ミチルはガバッと布団から飛び起きた。
「田中ミチルー、田中ミチルの部屋はどこだー!」
忘れてた!
ミチルはおろおろと部屋を歩きまわり、椅子に引っかけていたカーディガンを羽織ると、転がるように扉から飛び出した。
「はーい、はい! こっ、ここでーす!」
反動で空中廊下の手摺りにつかまり下を見ると、整端な顔立ちをした男子生徒と目があった。すらりと背が高く、黒いジャケットとジーンズ姿がよく似合っていて――柄にもなく、心臓が跳ねた。
しばらく見とれてしまっていると、彼は仏頂面のまま「お前が田中か」と聞いてきた。
「は……い」
「鬼を倒す為の三原則はなんだ」
「はい?」
「十秒以内に答えろ」
「あ……三原則、えっと……」
ミチルは寝癖のひどい頭をかかえた。たしか五時間目の最初に毎回言われてきたことだ。
「神桃の樹液を……全身の血に流すこと、と……あれ? ……えっと、……あー……」
「時間切れだ。お前、ちゃんと勉強しているのか」
呆れたようにため息をつく彼に、ミチルはカチンときた。さっきまでのときめきが、阿呆のようだ。しかし云い返すわけにもいかず、無言で睨みつけていると、
「ふ、」
笑われた。
「なんですか!」
「いや、すまない。実は、指導するのが女だと聞いて心配していたんだが……図太そうな女でよかった。うん、ほんとうに」
よかった、そう云って彼は心から安堵したような顔をした。
「俺は三年の神谷だ。鬼を倒す三原則はだな……一、鬼にとって毒である神桃の樹液を全身の血に回すこと。二、一対一で戦わないこと。三、」
「必ず至近戦で仕留めること」
そう云い継いだのは、幸恵だった。にこやかな表情だが、微かに眉をひそめている。
「ごきげんよう、神谷君。相変わらず女の子の扱いが分かっていないようね。……ふふ、ミチルちゃんってば、首をしめかねない形相じゃない」
「だって、図太いって云うんですよ!」
「事実を云ったまでだ」
「ひどい! 最悪です!!」
幸恵が肩をすくめた。そのままぎゃーぎゃー二人が言い合っていると、数人が、何事かと顔をのぞかせた。
「何さ、朝っぱらから」
彩が寝巻き姿のままフラフラと出てくる。下に突っ立つ男子生徒を見るなり、ゲ、という顔になった。
「神谷……」
「なんだ、木嶋。クマのぬいぐるみなんか抱えて」
ミチルはえっ、と彩の方を見た。彼女は、大きなリボンがついたテディーベアを片手にぶら下げていた。
彩は自分の腕の中のテディーベアを確認すると、絶望的な表情になった。
「そいつがないと眠れないのか」
神谷が間髪入れずに突っ込む。
「ちやぁっ、ちがう!!」
うわ、彩さん噛んじゃってる。可愛い……。
彩が顔を真っ赤にして、扉の向こうへ消えると、神谷は紫苑寮の出口を指さした。
「田中、外に出る支度をしろ」
「へっ!?」
「はやく着替えてこい」
「いや、あの……」
「一分以内だ」
「…………」
観念するしかなかった。わざとゆっくり時間をかけて私服に着替え、神谷についていく。広場につづく並木道を歩いていると、ジョギングをする生徒と何人もすれ違った。
「おはようございます、神谷先輩」
「ああ」
挨拶をしてきた男子生徒は、ミチルの方をちらりと見て通り過ぎていった。
「…………」
ひどく居心地が悪い。何も言わず、淡々と前を歩く神谷の背中が恨めしい。顔もスタイルもよくて、おまけに生徒としても優秀なんて、ずるい!……ってそうじゃなく、こういう人と歩いていると、変に注目をあびてしまいそうで冷や冷やするのだ。
「神谷先輩」
「なんだ」
「彼女とかいないんですか」
神谷は歩みを止め、驚いた顔で振り返った。
「待ってくれ。心の準備が」
「あのー、なにか勘違いしてません? 私はですね」
「ついさっき会ったばかりだぞ。軽はずみな発言はよせ」
「そうじゃなくて!」
この人、ぜんぜん人の話し聞いてないよ。しかも案外ナルシストですか。
「神谷先輩って、女の子からけっこう好かれてそうだなって思うんです。だから、私と一緒歩いてたら……なんというか……目立ってしまいます」
ミチルはしゅん、と俯いて石ころを蹴飛ばした。
「お前は勘違いをしている」
「勘違い?」
「俺はたしかに顔がいい。成績も優秀だ。欠点を見つけるのは難しいだろう」
「私、見つけましたよ」
「だが、な」
あ、やっぱり無視ですか。
「異性から好意を持たれることはない」
「なぜですか」
「普段俺の隣に、恐ろしくモテるやつがいるからだ」
そういうものだろうか、とミチルは首を傾げた。
「友達の方ですか?」
その言葉に、神谷は思いっきり顔をしかめた。
「ちがう。ありえない。俺は友達なんぞ一人もいないからな! 一人もだ!!」
「それ、力んで云うことですか!?」
神谷はミチルのツッコミには答えず、「そういう訳で俺はモテない」と勝手にしめくくり、さっさと歩きだしてしまった。