短編集

□私と蜘蛛
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ひどいのは夕方だ。つまり、よりによって私の下校時間だというわけ。
何が“ひどい”のかと言えば、こう。

私は自転車で学校に向かう。
爽やかな気持ちで朱色に輝いた太陽に突っ込んで行くわけだ。
しかし、そうはいかないのが秋なわけで、毎年、この季節になると、道中にやたら神経を使う。

なぜなら、大量の細かな虫の軍団がランダムに集って会議をしており、その見えずらい会議の最中に突っ込もうものなら、目や鼻やら口やら……とにかく穴という穴に入りこんでくるからだ。

大事な会議中すみませんがね、こちらの言い分も聞いてほしいもの。
せっかく素晴らしい羽が付いているのだから、もう少し上へ移動してくれればいいものを。


ある日、何時ものように自転車庫へ向かうと、信じられない事態が起こっていた。
私の自転車の座るところに、大きな毒々しい柄のクモがたたずんで、こちらをじっと見ていたのだ。
信じられないというよりは、信じたくなくて、これが現実だと分かりつつも何度も目をこすった。

赤と黒のしましまに、紫色のするどい八本足――…嗚呼、神様助けてください。

クモに意識を集中させたまま、自転車のサイドへ、ガリマタカニ歩キでじりじりと詰め寄る。そして、地面に落ちていた何とも頼りないツルのように曲がりくねった枝を拾って握りしめると、戦闘モードに入った。
クモの真っ黒な目も、こちらをしっかりと捕えてギラリと光っている。
大きく息を吸いこんで、枝を頭の真上へと勢いよく振り上げた。

「は――――っ!」
「姉ちゃん、ちと待てや」

不意に聞こえた間の抜けた声にフリーズする。
もう一度、クモを見た。

「そんな、びっくりせんでええっちゅうねん。クモが喋れんのが、そんな珍しいんか」

クモが、小さな口をもぞもぞ動かしながら、喋っている。
クモが……喋っている。

その事実を認識した途端、目眩が襲って来た。
意識から遠のきそうになるのを、必死に堪える。
目が覚めた時、クモに看病されていたらと想像すれば、そっちの方が襲しいからだ。

私は頭を振って、引き攣った笑顔をクモに向けた。深く息を吸って、おそるおそる話しかける。

「あのー…クモ殿下。私に何か御用ですか?」

すると、クモは頬を赤くしてはにかんだ。

「うん、ええな。自分、人間にしては礼儀がなっとる」

今度は私がはにかんだ。
よく見たらコイツ、凄くチャーミングなんじゃないか。
クモは一つ、咳ばらいをすると言葉を続けた。

「自分、困っとるやろ。道中、虫の被害にあって。俺と契約せえへんか?」

「契約ってなんや」

「丁寧なんは始めだけかい!!まぁ、ええけど。
契約ってのはな、@約束A法律上効き目のある約束のことや。
この場合は@の意味やな」

「そんな国語辞典みたいに説明せんでええわ!……っていうか、契約の意味くらい知っとる。私が知りたいのは、その内容や」

「ああ、そういう事な。つまりあれよ、自転車の前のところに枝を二本刺しこんでくれたら、俺がそこに糸を張る。そしたら虫はそこに引っ掛かかって、君に被害が出んわけや。
で、俺は引っ掛かった餌を腹いっぱい食えるっちゅーわけ」

私は黙りこんだ。
確かに悪くはない。だが色々と問題がある。
まず、虫が大量に引っ掛かると前が見えなくなる上に、気分が悪いじゃないか。
そしてなにより、大きなクモが自転車に引っ掛かっているのを、町の人に見られたらマズイ。

そんな不安をよそに、こちらをキラキラした目で見てくる毒々しいクモに返す言葉を、私は考えているのであった。



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