神桃学園

□参
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 ミチルは今にも泣きだしそうなのを我慢していた。腕時計を何度も確認し、数歩進んでは、途方にくれて立ち止まる。

「どうしよう」

 ここはまるで迷路だ。四方を緑の濃い低木にかこまれ、自分がどこにいるのか全く見当がつかない。あまりに枝が密集しているため、太陽の位置も分からなかった。さっきから耳を澄ましているが、人の声も、鳥のさえずり一つさえも聴こえてこない。

「ここ、どこ!?」

 傍に生えていた木の枝をつかみ、体を持ちあげようとするも、

「あいたっ」

 背中から地面に落ちれば、いよいよ涙がにじんできた。頭がぐわんと回るような痛みに、しばらく動けなくなる。

 もう十分は、こうして彷徨っている。五時間目のチャイムはとうの昔に鳴っていた。どうして迷ったのか、いま思い返してみても情けない。

 考え事をしていたのだ。入学して一週間がたち、いまだに分からないカレンの行方。鬼のこと。馴染めないクラスメートのこと……。

 ぼうっとしながらも、前を歩いていた二人組の背中に、なんとなくついていっているつもりだった。目的地は第参区の野外訓練場。たしか新館――内進生校舎の近くだったはず。それなのに、気がつけば謎のジャングルに一人ぼっち。これは、一体どういうことだ。

「対面式なのに!」

 ミチルは頭をかかえた。

 今日は三年生との対面式。
戦闘術はこれから一年、全員が上級生の一人に専属で教えてもらうことになる。少ない教師が大勢の生徒に教えるのでは無理があるため、こういう制度になっているらしい。

 それにしても、とミチルは改めて辺りを見回してみた。切り開かれたようになっているが、この道の先には、なにかあるのだろうか。

 不安と好奇心がいり混じった気持ちが押し寄せ、ミチルはたっと走り出した。しばらくすると、急にぱっと開けた草地に出る。

「うーん」

 ミチルは腕をくんだ。やっぱり何かが変だ。ここは静かすぎる。きーん、と耳鳴りがするほどに。生き物の気配がまったく感じられないし、風も吹かない。恐ろしいほど繊細な空気が満ちていて、肌にひんやりとまとわりつく。

 少し怖い。ミチルが引き返そうとした、その時――

「……ねえ、どこに行くの」

 無機質な少年の声が耳元で聞こえた。ミチルは、息をのんで硬直する。喉元に、なにか鋭く光るものがあてがわれていた。

「わた、しは……迷って」

「人間?」

「え、……は、いっ」

 そう、と少年は呟いて静かに離れていった。そのまま無言で立ち去ろうとする彼を、ミチルは思わず呼び止める。

「待って!」

 少年は中等部の制服を着ていた。

「……なに」

 ミチルはどきり、とした。振り返った彼の視線は、じぶんに向けられてはいるものの、宙に浮いて焦点が定まっていないようだ。片方の目には、白い布が顔半分を覆うように巻き付けてあった。

「あなたも、迷ったの?」

「……ちがう。ここは、ぼくの庭」

 ずんずんと奥へと進んでいく彼。ミチルも後を追った。

「それ、どういうこと?」

「学園に、もらった。ここに住んでる」

「……お金もちなんだね」

「……そう」

 彼はちょっとだけ笑い、立ち止まった。その先には、鳥居のようなものが、今にも崩れそうになんとか立っていた。

「ここから、ぼくの庭」

「へえ、見てみたい! 入ってもいい?」

 少年はじっとミチルの方を見た。相変わらず視線は宙をさ迷っていたが。

 不思議な子だな。まるでじぶんとは別の世界を見てるみたい。

「授業、はじまってる」

 彼は云った。

「うん、そうなんだけど……ちょっとだけ! どうせもう、終わる頃だし」

 そこまで言って、ミチルはあれっと思った。

「あなたも、授業があるでしょう」

「ぼくは、ない」

「中学生だよね。授業、受けてないの?」

 ちなみに神桃学園では、四時間目までが普通の授業で、午後からが戦闘術の授業になっている。その分授業の進むスピードが速いので、毎日がパニック状態だ。

「授業は、免除」

 彼はそう言って、自分の胸元についた金色のバッチを指した。

「金色桃(コンジキトウ)! それって、鬼を倒す実力のある生徒だけが貰えるバッチだよね」

 金色桃を貰った生徒は、すべての授業が免除され、第弐区へと派遣される。鬼と戦う権利と義務が与えられるのだ。これは授業初日に白塔で聞いた話しだった。

 そこでミチルは、先程のことを思い出した。まだ首に冷たい感触が残っている。

「さっき――私のこと、鬼だと思ったの?」

「……うん。ここにくるの、鬼くらいだから」

「……え」

 ミチルがきょとんとすると、少年は何でもないふうに云った。

「くるよ。弐区だから」

「あーそれで……って、ええっ!?」

 うそだ、いつの間にっ……。石壁を抜けた覚えがまったくない。ずっと参区にいると思っていたのに。

「帰る! 帰ります! まだ死にたくないっ!!」

「死にたくないの」

「当たり前だよ!」

「とりあえず、この中は安全」

 少年は鳥居の向こうを指した。白く、細い指だった。きれいだなぁ、と見とれていると、逆にじいっと見つめられてしまう。

「わっ、えと、入ります!」

「先輩、名前は」

「田中ミチル。あなたは?」

 田中先輩、と小さく呟いてから、少年は答えた。

「久遠ユキ」

「おおっ偶然。私の母の旧姓も、久遠っていうんだ。よろしくね、ユキ君」

「……うん」

 これが久遠ユキとの出会いだった。

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