神桃学園
□拾
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遠くで鳴り始めた太鼓の音に、ミチルはどきどきした。
ベッドの上に広げた、キャラメル色のドレスを手にとり、鏡の前で合わせてみる。
「変じゃないかなあ」
袖口はふんわりと膨らみ、床に引きずる重いスカートには、大きなリボンが幾つもあしらわれている。この古風なドレスは、シガノから貰ったもの。白影隊に入った彼の一人娘が、かつて着ていたものらしい。
「お借りします」
ミチルは、きゅっとドレスを抱きしめた。しかし、着るのはまだ早い。ミチルは制服のまま部屋を出た。ドレスを着込んだ先輩たちが、「かわいい、かわいい」と褒め合っている。
「ミチルちゃんも、早くドレス着てよー」
「神谷先輩の手伝いが終わるまで、お預けなんです」
「大変だねえ。頑張って」
「はい! あれ、幸恵さんと彩さんは参加しないんですか」
二人は制服のままだった。
「まあ、ミチルちゃんったら。私も演舞が終わるまではお預けなのよ」
「あたしは、見てる方が好きだからさ」
「なるほど……それで」
彩が参加しない本当の理由はリンタにあるのでは、とミチルはひそかに思った。
うるさそうに部屋から出てきた薫も、制服のままだった。
「お黙りなさいよ。世辞を云いあって何が楽しいの」
二年陣が気まずそうに苦笑い、彩が怒った。
「あんたは場の空気を壊したいわけ」
「べつに」
「ちゃんと答えな。そんでもって、さっさと着替える」
「あたくし、参加しなくってよ」
薫はつんとして云った。皆、ぽかんとして薫を見た。
「悪い? あたくしには、想い人がいるの。馬鹿な男共と踊ってやる義理などないわ」
皆がきゃっと騒いだ。
「そういうところは、彩さんと似てるよね」
ミチルは何気なく云って、慌てて口を塞いた。彩がにらみつけてくる。
「彩さんの想い人って誰なんです!?」
二年陣がすかさず食いつく。
「私にも云えないのかしら」
にこやかにプレッシャーを送る幸恵。ミチルは慌てて割り入った。
「ごめんなさい! 今のは、私の冗談です! 冗談抜きで、まったくの冗談なんです」
「そうだよ! 冗談じゃないよ!」
彩も自信を取り戻し、「まったくコイツは」と笑顔でミチルの肩を叩いてくる。そんな二人を微笑ましげに見ていた幸恵は、さらりと一言。
「今の掛け合いは、とんでもなく鬱陶しかったわね」
ミチルと彩はガックリと肩を落とした。
彩と薫を寮に残し、皆で《日向ノ道》へと向かった。こけないように手を繋ぎあい、目をつむって広場まで歩く。
腹の底まで響く太鼓の振動。澄んだ笛の音。興奮した話し声。すべてが、心を震わせる。
そっと目を開けると、光の花畑が、広がっていた。
口を手でおおう。光がにじんで、混じりあった水彩絵の具のようになった。悲しいくらいに、綺麗だった。
演舞が行われるのは、参区。ミチルたちが行くと、すでに、大勢の生徒が集まっていた。
幸恵と神谷はきらびやかな袴に着替えて、テントの中で待機している。ミチルは、その外で立っていた。
「田中さん」
振り向くと愛子がいた。
「あれ、愛子ちゃんもドレス着ないんだね」
「まだ着れないのよ。秋月に剣を渡さないといけないから」
「秋月さんに……?」
この時初めて知ったのだが、愛子は中等部の頃から、秋月の弟子なのだそう。二人がどんな会話をするのか、全く想像がつかない。
縁とは不思議なものだと思いつつ、ミチルは喜んだ。
「じゃあ一緒だ。やったー」
「たまには可愛いげのあることも云うのね」
「たまには、は余計です」
それにしても、とミチル。
「狂った踊りの祭なんて、ネーミングセンス酷いよね」
愛子はふふんと笑った。
「ちゃんとした意味があるのよ。この行事は、元々壱区にあったもので、一年に一度だけ鬼を忘れて踊り狂おう、っていう祭なの。人は踊ることで、死への恐怖を忘れられるのかもしれないわね」
「……なんか、悲しくなってきた」
「あら、ごめんなさい」
会話が途切れると、愛子は前を通る人を観察し始めた。ミチルもつられて、人波を眺めていたが、途中でくらくらしてきたので止めた。
「ねえ、愛子ちゃん。変なこと聞いてもいい?」
ミチルがたずねると、愛子は「いいわよ」と云った。ミチルは、それじゃあ、と云って辺りを見渡した。
どこもかしこも、溢れんばかりの光と笑顔で輝いている。
「悲しいときとか、悔しいときって、泣けてくるよね。でも、何かを綺麗だなって思ったときも、泣きたくならない?」
「……そうね」
「どうしてなんだろう」
愛子は、月を見上げた。
「それだけが、私にも分からないの。怪我をして血が止まるのも、暑いときに汗をかくのも、生物が生き続ける為には必要不可欠。意味のあることだわ。だけど人間が、美しいものを美しいと感じる意味は、一体どこにあるのかしら」
「ほんとだね」
「私ね、それが、神の存在する証の一つだと思うのよ」
ミチルはぽかんとした。
「あなた、神を信じている? 神桃木の神でなく、もっとずっと大きい神の存在を」
ミチルはうーん、と唸った。
「わからないけど、信じたいとは思う。愛子ちゃんは?」
愛子はすかさず答えた。
「私は、信じているわ。だって、ほら、カラフルな熱帯魚たち。あれ、誰がデザインしたのかって考えない? 怪我をすれば血が止まるのも、世界は生物多様性と食物連鎖で成り立っているのも、原子も分子も細胞も、すべて精密に組み合わさって秩序だった世界を創りだしているのも、不思議だと思わない? どうしてこんなに、上手くいくように出来ているのかしら。私はここに、神の知性や意志らしきものを感じずにはいられないの」
珍しく興奮気味な愛子は、それ以降も一人で語り続けた。面白いことを考えるなあ、と関心する反面、彼女がどんどん遠ざかっていくようで、寂しくもあった。
きっと人間には二種類いるんだ。近くのものを大切にする人と、決して手に届かないものを求め続ける人と。彼女は、後者なんだろう。
神秘的な横顔を眺めながら、まるで月のような人だと思った。
演舞は、ど迫力だった。神谷、幸恵、秋月を含む八人が、しめ縄をめぐらせた円の周りを、躍りながら回った。円の中に順番に入り、篝火の光を宿した剣を優雅に舞わせ、時にはぶつかり合わせる。
剣を渡すときは、周りから地鳴りのような歓声があがって怖かった。愛子が秋月に剣を差し出した時など、女子のつんざくような悲鳴で、鼓膜が破れそうだった。
幸恵は、男子より女子に人気があるらしい。大人しめな女の子たちが、心酔しきった目で、彼女の姿を追っていた。
たしかに剣を持った幸恵の雰囲気は、いつもと違う。女ながら惚れてしまいそうなほど、凛々しくてかっこいい。
「幸恵さま……」
そう呟きながら、ミチルの目の前で、目眩を起こして運ばれていった子までいた。
――今さらだけど、私って、すごい人たちに囲まれてるんだよなあ……。
ミチルの気持ちを読んだかのように、愛子が云った。
「来年は、あなたも私もああして躍っているかもしれないわね」
「それはないよ」
ミチルは云った。