Short story
□願い
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*不二side*
僕は、人の気持ちには敏感な方だ。
『不二先輩ー!』
後ろからたったっと掛けてくるりんちゃんに気付くと、僕の表情も自然と和らいでいた。
『途中まで一緒に帰りませんか?』
不「うん、勿論。でも越前は?」
『お兄ちゃんは桃城先輩と寄り道するみたいです』
不「そうなんだ」
高等部と中等部の合同練習の帰り道。りんちゃんは安心したようにふわりと微笑んで、隣を歩き始めた。
越前と桃城は以前から仲が良い。
でも、それを話した時の彼女の表情が、一瞬だけ曇って見えたのが気になった。
不「…最近、越前と一緒に帰らないね」
『えっ?あ…………そうかもです。お兄ちゃん、いつも先に帰っちゃうから』
『桃城先輩が羨ましいです』と、へらりと力のない笑顔を向けるりんちゃん。
越前の態度は相変わらずで、妹のりんちゃんに対して(寧ろテニス部全員にも)素っ気なかった。
その中にも彼なりの優しさがあって、りんちゃんにだけはそれが濃くなることを知っている。
けれど……最近は何となく、越前が一方的に距離を置いているような気がしていた。
『でも、お兄ちゃんに嫌われてる訳じゃないんです。いつも見守ってくれてること、知ってるから……』
俯きそうだった顔を上げて、『だから寂しくないです』とりんちゃんは明るく笑う。
僕は自然とその頭に手を置いて、「偉いね」といいこいいこするように撫でていた。
いつもは嬉しそうに頬を緩めるりんちゃんが、むぅ…と何故かむくれているように見えて。
『…不二先輩、ちょっと子供扱いしてませんか?』
不「?ううん。ただ、あのお兄ちゃんっ子のりんちゃんも大人になったんだなぁって思っただけで」
『や、やっぱりしてるじゃないですか…!』
ガン!とショックを受けたように涙目になるりんちゃん。
ここに越前がいたなら、「不二先輩何してんスか」と真っ先に怒られるに違いない。
僕はくすくす笑いながら、「ごめんね」と素直に謝った。
不「(……本当は寂しいんだろうな)」
長期合宿に行く前から、"その"変化には少なからず気付いていた。
最初は気のせいかと思うくらい些細なことだったから、多分殆どの部員はわかっていないだろうけど。
同時に、りんちゃんが博生くん(桃弟)や葉末くん(海堂弟)にだけ相談していた事実に寂しさを感じる自分がいた。
不「りんちゃん…何かあったらいつでも話してね」
『?はいっ』
ふっと切ない笑みを浮かべる僕に、恐らく良くわかってないままりんちゃんは頷いていた。
***
この出来事から数日後、僕は英二と大石、乾の3人と花火大会に来ていた。
手塚は夏休み中に再びドイツに戻る為、その準備で忙しいらしく……隆さんも誘ったけれど用事があるみたいだった。
菊「大石と海堂は家族でおばあちゃん家行ってるんだっけ?桃はバイトって言ってたよ」
乾「データによると、最近ガソリンスタンドで短期バイトを始めたらしい」
不「ふふ、桃らしいね」
高等部に上がると、バイトを始める生徒が増えていた。
「ハイオク満タンでー!」と明るく応える桃の姿を想像したら、ぴったり過ぎて可笑しい。
菊「なーんだ、最近付き合い悪いから、彼女でも出来たのかと思った」
不「そういう英二はどうなの?」
菊「え、俺ぇ??」
話の矛先が変わり、英二の元々大きな目が見開かれる。
付き合いの長いテニス部のことは大体知っているつもりでも、こういった類いの話はあまりしたことがない。
「別に、そんな子いないし…」と、英二は耳元を赤く染めていた。
菊「そ、そういう不二はどうなのさ?女子に人気あるじゃん!」
乾「確かに、不二は恋愛事情も謎に包まれてるからな」
不「残念だけど…面白い話はないよ」
「え〜ずるいぞぉ」と口を尖らせる英二と、「なるほど…」と頷いて何かをノートに書いている乾。
そもそも、乾は青学の恋愛事情なんて知ってどうするつもりなんだろう…と疑問に思いつつ、僕も人のことは言えないので黙っていた。
菊「てかさぁ、おチビーズも用事あるって言ってたけど、まさかデート?」
乾「りんちゃんはあり得るが、越前に限ってそれはないだろう」
菊「確かに、おチビが彼女いるなんて想像出来ないにゃ〜」
2人の失礼な発言を聞きながら、確かに。なんて心の中で呟いてしまう。
不「英二…ずっと不思議だったんだけど、越前のことまだ"おチビ"って呼ぶよね。大分身長伸びたのに」
菊「?えーだってさ、おチビはおチビじゃん?」
不「………………」
静かに怒る越前の顔が目に浮かぶよ…
英二の良くわからない主張を聞きながら、最近ぐんと身長が伸びた彼の姿を思い出した。
不「(もう抜かされてるかもしれないな)」
ふと反対側の道に甚平姿の青年を見付けて、そう、丁度あのくらいの背で……と思った時。
『お兄ちゃん待って…!』と聞き慣れたソプラノの声が追い掛けてきて、ぴくっと反応した。
不「(っりんちゃん…と、越前?)」
目を凝らさなくとも、今まさに噂をしていた双子だとすぐに気付いた。
反射的に振り向くと英二と乾は反対側の出店を眺めていて、何故かホッと安堵する。
リョ「歩くの遅すぎ…はぐれるなって言ったじゃん」
『だ、だって、カルピンにそっくりなお面あったんだもんっ』
リョ「もう家にあるし。余計な物は買わなくていい」
『!そんな、』
ぴしゃりと言い放たれて、遠目からでもりんちゃんが涙目になっていることがわかる。
その掛け合いに思わず笑ってしまいそうになる口をおさえて、気付かれないようにひっそりと耳を澄ました。
『…お兄ちゃん、楽しくない?』
リョ「え?」
『さっきからいっぱい迷惑掛けて、お兄ちゃん呆れてるかもって…』
しゅんと落ち込むりんちゃんに、越前の肩が下がる。
「…さっきのナンパとか?」と溜め息混じりの声を受けて、りんちゃんの頭がコクンと縦に揺れた。
リョ「別に、迷惑とか思ってないけど。(慣れてるし…)りんはふらふらどっか行き過ぎでしょ」
『うう、ごめんなさい…』
リョ「…まぁ、お陰で退屈しないけど」
下を向いたりんちゃんの頭に、越前の手が触れる。
「楽しいよ」と囁く声音は、いつもより低く優しい色を持っていた。
不「(あ………)」
越前が笑った。
いつもりんちゃんが見ていないところで見せる、"あの"優しい顔で。
まるで……愛しい、愛しい者を見つめるような。
僕は、人の気持ちには敏感な方だ。
だから、気付いてはいけない想いにも気付いてしまうことがある。
不「(越前、君は……)」
もうずっと前から、大切に、大切にしてきたのだろうか。
色々な感情が伝わってきて……胸が締め付けられるこの感じを、僕は何て言葉にしたら良いかわからない。
不「(……ただ、確かなことは)」
静かに、2人を見守っていたい。
この先何があっても、ずっとお互いが大事な存在であるようにと……
それが、僕の願いだ。
菊「不二ー何してんの?あっちに激辛コーナーあるみたいだよ!」
乾「どれ…次の乾汁の参考にするか」
菊「げ〜〜乾は食べなくていいから…!」
不「うん、今行くよ」
仲良く会話しながら人混みの中に消えていく2人を記憶するように、僕は静かに瞼を閉じた。