形代の紫

□少女
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その夜は月がとても綺麗だった。
枢は何故か機嫌が良くて、授業の合間に散歩することを許してくれた。
いつもは絶対に頷いてくれないのに。


花の匂いを孕んだ匂やかな風。
月光に照らされた草木は静かな夜にやさしく揺れた。
濃紺の空に浮かんだ金色の月は、見れば見るほど吸い込まれそう。

どれくらいそうしていたのか、こちらに近づいてくる気配にわたしは全く気付かなかった。


「誰ですか!こんなところで!」

「…えっ」

「あっ、ごめんなさい!」


振り向いた先にいたのは、優姫さんだった。


普通科の夜歩きさんと勘違いしちゃって、と申し訳なさそうに笑う彼女。
心臓が、ドクンと鳴った。
この人にこんなに近くで会うのは初めてだった。


「玖蘭紫結…さん、ですよね?いつも枢センパイの隣にいる…」

「……はい」

「あの、どうして枢センパイと苗字が…」

「…従兄妹、なんです」

「なんだ、そうだったんですね!」


戸惑いがちにそう聞いた優姫さんは、ぱぁっと表情を明るくした。
可愛らしい人。眩しいくらいに純粋で。
正確には枢とわたしは従兄妹じゃない。
枢は玖蘭の始祖だから。
だから優姫さんとも兄妹ではないけれど、二人が許嫁同士であることは変わらない事実。
叔母とも、従姉とも呼べる目の前の人を複雑な思いで見上げた。


「どうかしました?」

「…いえ…」


枢が求めて止まない女(ひと)。
ずっと妬ましかった女(ひと)。
その顔をまじまじと見つめ、目を逸らした。
やっぱり少し、かあさまに似ている。


「私ずっと紫結さんのこと、いいなぁって思ってたんですよ。いつも枢センパイと一緒にいられて羨ましいって」


優姫さんは恥ずかしそうに頬を染めながら言った。
何も知らない無邪気な微笑みで。

何も知らない、無邪気な、微笑みで。


「……わたしは貴女の方こそ羨ましい」

「……え?あっ、紫結さん!!」


口をついてしまった言葉を置き去りにして、わたしは逃げ出した。

あんな風に何も知らずにいることはわたしには出来なかったのに。
あんな風に無邪気でいることはわたしには出来なかったのに。
あんな風に笑うことはわたしにはもう出来ないのに。

羨ましい、羨ましい、羨ましい
何も知らずに無邪気に笑えるあの人が。

いくら身体を重ねても、わたしには絶対に手に入らない。

はっきりしているじゃない。
枢の心は貴女のものだって。
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