形代の紫

□紅葉賀
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心を抑えて手を振った

◆◆◆◆◆

窓の外にはらはらと降る紅葉やイチョウは、夕日に照らされて一際その色を増していた。
一条の邸を彩る秋の木々にわたしはほぅっと溜息をつく。

「紫結、こんな早くからどうしたの?」

眩しさなど気にも留めず、椅子に立って飽きることなく庭を見つめるわたしに寝室から出てきた枢が声をかけた。

「かなめっ、見て!きれいなの!」

「…本当だ」

枢は目を細めながら庭先に目をやった。
私を膝に抱き、自身は私が立っていた椅子に腰を下ろす。

「ねーえ、かなめ?あの赤い葉っぱはなに?」

「あれは楓だよ」

「じゃあね、あの黄色いのは?」

「あれは銀杏」

枢はわたしの髪をゆっくりと撫でながら教えてくれた。

「ねえ、かなめ?」

「なに?」

「今日はお外でお茶にしたいの」

ダメ?とちょっと甘えて見せながら首を傾げると、枢は困ったように笑って,
少しだけだよ、と言った。

◆◆◆◆◆

「きれーい」

舞い落ちる色とりどりの紅葉の中、わたしはスカートの裾を翻しながらくるくると廻った。
肩のあたりで切りそろえた髪がふわりと揺れた。

「紫結、お茶が入ったよ」

小さなテーブルの上にはわたしの好きなものばかりが所狭しと並んでいた。
色とりどりのマカロン、焼き立てのスコーンとブルーベリージャム。
バニラの香り立つプディングと、フルーツのマリネ。
枢が淹れてくれた紅茶の香りがそれらすべてを包み込む。
枢はわたしをいつものように膝に乗せて座った。
紅茶を一口飲み、キャラメルのマカロンを摘まむ。

「おいしい!」

「そう?よかった」

その時、立ち並ぶ木の影から一条家の執事が現れた。
恭しくお辞儀をし、申し訳なさそうに口籠りながら言った。

「…枢様、そろそろお時間が……」

「…かなめ?出かけるの?」

枢を見上げれば困ったように微笑んだ。
今日は用事があったのだと悟る。
枢はわたしのわがままを聞いてくれたんだ…。
でもせっかくのお茶会なのに…。

離れたくなくて、一緒にいてほしくて、でもそんなこと言えなくて。
枢の服をちょっとだけ掴みながらその胸元に擦り寄った。

「紫結…?」

「……」

「…行ってほしくない?」

耳に届いたその言葉に、ただこくんと頷く。
時間がないのだろう、執事が急かすように呼んだ。

「枢様…」

「…今日は行かないことにするよ」

「ですが…」

「一翁にはそう伝えてくれるね?」

「……畏まりました」

執事の気配が去って行ったのを感じた。
枢はわたしの髪を撫でながらやさしく告げる。

「紫結、どこにも行かないよ」

「…ほんと?」

「お茶会の続きをしよう」

「…うん!」

わたしはやっと顔を上げて笑った。

でも、それも束の間だった。
三口目の紅茶を飲んだ頃、拓麻が慌ただしくやってきた。

「枢!」

「一条、 あの用事なら僕は…」

「優姫ちゃんが熱を出したって!」

「え…?」

枢の顔の色が変わった。
でも幼い私はその変化に気付くはずもなかった。

「……一条、すぐに車を用意して」

「車はもう手配しているけど…いいの?」

拓麻はちらりとわたしを見た。

「…かなめ?」

ねだるように名前を呼ぶ。

「ねえ…、今日はどこにも行かないんでしょ?」

さっきはそう言ったもの。
一翁のご用事は断ったじゃない。
ねえ、行かないでしょう?

「紫結、ごめんね。ちょっと出掛けてくるよ」

「でも…」

枢はあやすように髪を撫でた。

「紫結、いいこだから、ちゃんと見送ってくれるね?」

「……」

「紫結?」

「……いってらっしゃい」

「行ってくるよ」

枢はそう言うとすぐに庭の出口へと駆けて行った。
泣きたい心を押さえてわたしは手を振った。
でも、枢が振り返ることはなかった。

「…たくま」

「なに?紫結ちゃん」

「かなめは…どうして行っちゃったの?」

「枢が大切にしている子がね、熱を出しちゃったんだって。その子のお義父さんから連絡があったんだ」

「かなめの…たいせつなこ…」


初めてあの女(ひと)の存在を知った日。
あの日から、わたしは心を隠して見送るばかり。

もの思うに 立ち舞うべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや
(物思いで立ち振舞うことすら出来ないわたしが必死に隠しながら袖を振る心を、貴方は知っているのでしょうか)

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