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□落月花影【L】
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「あんな裏切り者のところに通うなんて、乱菊さんはどうかしてる」

険しい顔を俯けた雛森が、日番谷の死覇装の肩に爪を立てる。
指先が白むほど込められた力に、日番谷は苦さを含んで小さく溜息をついた。
雛森の、市丸に対する嫌悪はどこから来るのだろうか。
瀞霊廷も、味方と思われていた藍染さえも平然と裏切ってみせた、その人間味のない、不気味さに対して本能的な恐怖を覚えるのだろうか。
それならば日番谷にしても分からなくはない。
あの戦いの中、死神代行に苦戦していた藍染を、市丸はいとも容易く切り捨てた。
そのことを、情けなくも気を失っていた日番谷は卯ノ花から聞かされて。
思い出すだけで顔色を失った卯ノ花は、小さく付け加えた。
その市丸の様子は、まるで飽きた玩具を屑籠に放り込む子供のように邪気がなかったと。
当の市丸は今、蛆虫の巣に囚われている。
まるで抵抗することもなく、檻に入った市丸は、一体何を考えているのか。
そのような裁きがあったと記録することも憚られると、処刑されることもなく、ただ、人々の記憶の中で風化することだけを求められて。
そんな市丸に、松本だけが逢いに行く。
何度も申請書を出して、それでも認められるのは年に数度。
四十六室からの許可は比較的降りやすい。
彼らとしては万が一のとき、市丸への牽制として松本の身柄を利用できるように彼らの繋がりを深くしておくことを狙う意図があるから。
しかし、その裁可を松本へと降ろさないのは総隊長である山本と卯ノ花、そして日番谷が腐心するところで。
まるで裁きを受けるかのような表情で市丸の許へと向う松本を見れば、四十六室の思惑など知ったことではない。

「……乱菊さんがあの人に関わるから、皆の中でいつまで経っても終わらないのに」

その言葉は、雛森の言葉と言うよりも瀞霊廷に生きる、全ての死神の言葉を代弁しているようにも聞こえた。
普段は記憶の片隅に押し込んでいるのに、松本が面会申請を出す度、そして許可が下りて二番隊へと向う松本を見る度に思い出す。
そこに囚われたままの囚人の存在を。
もうやめろ、と日番谷自身が言いたい。
しかし、そう口にするには初めて市丸への面会を求めた松本の姿が脳裏をよぎって。

「……あいつにとっては、大切な存在なんだ」

分かってやれ、と日番谷は雛森の頭を撫でた。
いつまでも目線が上にあると思っていた幼馴染も、気がつけばいつの間にやら見下ろさなくては視線が合わないようになっていて。
宥めるような手を嫌がるように首を振った雛森は、くしゃりと顔を歪めて日番谷の胸に身を寄せた。
襟元を握り、額を擦りつけて自分には理解できない、と訴える。

「だって、乱菊さん……あいつと……」

そこで口を閉ざしたのは、日番谷の咎めるような目を見た所為だろうか。
松本が、市丸とそういう関係だという噂は日番谷も聞いている。
いくら口が堅い檻理隊といっても、下碑た噂話と言うのはどこからか漏れるものらしい。
一度だけ、どうしても自分で確認したくなって松本に問うたことがある。
お前は市丸のことが好きなのか、と。
松本はその問いに直接は答えず、曖昧な笑みを浮べて大事な存在です、とだけ言った。
その、温かさとは無縁の儚い笑みに日番谷はそれ以上聞くことができず、ただ松本の遣り様を黙って見ていることしかできない。
日番谷の浮かべる表情をどう取ったのか、雛森は襟を掴む手に力を込めた。

「雛森……」

「ねぇ、シロちゃん、昔みたいに名前で呼んで」

甘えるというよりは縋るように、雛森は日番谷を見上げる。
その透き通った瞳を受け止めきれずに、日番谷が視線を逸らせば、松本の副官卓が目に入る。
市丸の面会に向かうときは、何故かいつものサボり癖を抑え込んで仕事に向う松本。
それが日番谷には痛々しく映るときがある。
その度に、松本にとって市丸は大切な存在だから、と自分に言い聞かせるのはどうしてなんだろうか。

「シロちゃん」

「……やだよ、今更照れ臭えし」

「照れ臭いって……私たち、恋人、でしょう?」

忘れさせてくれるんでしょう、と言外に告げて、顎を上向ける雛森が自分に何を求めているのかは分かる。
しかし、分かっていながら日番谷は敢えて気がつかない振りで雛森の身体を抱きしめた。
抱き寄せるくらいなら、できる。
だが、どれほど雛森と過ごしても、その一線を越えることは出来なくて。
強張った雛森の背中を優しく撫でながら、これが精一杯と日番谷はごまかすように額に口付けを落とした。
時折女の表情を見せるようになった雛森か。
それとも雛森を抱きしめながらも他の女のことを考えている自分か。
どちらをごまかそうとしたのか分からないまま。


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