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□どうしようもなく、愛おしい【L】
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「お疲れ様ですっ」

「……ご苦労さん」

門の番を担当する隊士が、日番谷に向かって声を上げるのに手を上げれば、嬉しげに笑う。
平隊士にとっては、日番谷にひと言でも声をかけられるのは喜ばしいことで。
その感情を満面に浮べた顔から日番谷はそれとなく視線を逸らした。
自分が隊士たちから向けられる尊敬の眼差しは、誇るべきことであるはずなのに時折妙な息苦しさと居た堪れなさを感じさせて。
彼の尊敬してやまない隊長が、今まさに行きずりの女と爛れきった情事を交わした直後だと知ったのなら、彼はどんな顔をするだろう。
そんな自虐的な考えに嗤いつつ日番谷が私室へと向かえば、その手前の部屋の障子がすっと開かれた。
そこから覗く金の髪に、日番谷の脚がぎくりと止まる。

「あらたいちょ、今お帰りですか?」

「…あ、ああ」

濡れた髪をひとまとめにした浴衣姿の松本の、ほんの少し上気した頬に心臓がどきりと跳ねた。
そんな自分の正直な反応にうろたえた日番谷の様子に、松本は一瞬だけ眉を上げたがすぐにふわりと笑みを浮べる。

「なんですか、そんな幽霊でも見たみたいな顔して」

副隊長と隊長が異性である場合、宿舎もきちんと別れているのが普通で。
しかし、最年少で隊長に就いた日番谷を、松本は当然のように公私共に支えるのだとわざわざ私室を移していた。
それは遅い日番谷の成長によって離れる機会を失ったまま、今でも変わらない。
それでも日番谷が成長期を迎えもう子供とは言えなくなった頃、年頃の男女が余りにも気安すぎると、生真面目な伊勢がそれとなく松本に苦言を呈していたが、それを松本は笑い飛ばし、日番谷はかなり後ろめたい感情を隠したまま何も言わずにそれを良しとはしなかった。
潔癖な伊勢の言葉が、特に何か思うところがあってのことではないと分かっていても、疚しさを感じる日番谷にはその真っ直ぐな瞳が心に痛い。
しかし、それでもすぐ傍に松本がいる心地よさを手離す気にはなれなくて。
それでふとした瞬間に自分の理性がぐらつくようなことがあったとしても。

「先にお風呂頂いちゃいましたよ」

「ああ、うん」

「席官の皆は結構前に戻ってきましたけど……どこに行ってたんです?」

「別に……ただ酔い覚ましに……」

歩いていただけだ、と必要もないのに言葉を濁した日番谷に松本は特に何を言うでもなく、ふうん、と気のない返事をして日番谷を上下に見返した。
そうしてかすかに顔を顰める。

「……んだよ」

まじまじと見られるその気まずさに日番谷が心持ち身を引けば、松本はうっそりとその眉を寄せて腕を組んだ。

「たいちょ、お酒臭いですよ。さっさとお風呂入ったらどうです?」

そうか?と自分の腕を鼻先に近づけるが分からない。

「そうですよぅ、ぷんぷん臭います」

「自分だって呑兵衛のくせに……」

「自分が呑んで、そのお酒の匂いに包まれるのは幸せですけども、呑んでないときに酒臭い人の傍に寄るのは嫌いなんです、あたし」

「なんだその勝手な理屈は」

別にそこまで呑んでない、と唇を尖らせた日番谷に、それでも臭いますよ、と松本はわざとらしく鼻先すら摘んでみせる。

「湯上りにお茶でも用意しますから、隊長は早くお風呂入ってきてください」

「帰ってきて早々……面倒臭えな」

さっぱりしますから、と笑う松本に促されるまま、日番谷は湯殿に向かいながら悪態をつく。
しかし、その声は知らず笑みを帯びて。
わざと脚を踏ん張って松本の手に体重をかければ、背後で松本が重いと笑いながら文句を言う。
所帯染みたやり取りも、じゃれあうようにふざけるのも毎度のことなのに、今のささくれ立った心にはなんとも温かに感じられて。
背を押す松本の掌の感触に緩みそうになる頬を自覚しながら、それでも、と日番谷は内心で溜息をついた。
こんな風にいつまでもいたいと思うから、自分は臆病風に吹かれたままなのだ。
変わるのが怖い。
失うのが怖い。

「それじゃ、上がったら居間に来てくださいね」

笑って脱衣所へと日番谷を押し込んだ松本の去っていく足音を聞きながら、日番谷は隊長羽織を籠へと放った。
このままでいたいと思う自分と、松本を欲しいと思う自分。
その思いは二つに道を別ったままどれほど先を見ても交わることはないように思えて。
それを眼前に臨むのを恐れて進む気も起こせない自分に吐息した日番谷は自己嫌悪に浸りながら死覇装も乱雑に脱ぎ去って湯殿の戸を開ける。
その扉を閉じた後、無人となった脱衣所には行きずりの女が纏っていたその麝香が、恨みがましくふわりと舞い上がった。



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