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□どうしようもなく、愛おしい【L】
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「どうされたんですか?」

褥から身を起こし、死覇装を身にまとう日番谷に背後から甘やかな声が伸びる。
それにはひとまず応えを返さずに腰帯を締めて、日番谷は振り向いた。
掛布から覗く金の髪も、すらりとした肢体も。
今はしどけなく伸びて、事後の淫靡な空気を漂わせている。
畳に放り出していた隊長羽織を纏えば、ほう、と溜息が聞こえた。

「似合いますねぇ、やっぱり」

この話し方だ、と日番谷は思った。
金に見えた髪は行灯の灯りを大きくすれば明るい栗毛だと分かる。
すらりとした身体も、引き締まっているのではなく痩せているだけで。
それでも、多少の酔いがあったのだとしてもこの女に自分がふらりとよろめいたのはこの甘えるような、低い声。
これが松本に似ているように感じたのだと。
そのことに思い至って、日番谷は眉を寄せた。
全く、自分の事ながら救いがたい。
散らせない熱を、誰かでごまかそうとするなんて。
そんなことをしても無意味だと知っているのに。

「帰るんですか?」

「……ああ」

「もう少し、一緒にいて欲しいって言ったら?」

うんざりと日番谷は内心で舌打ちをした。
確かに、自分がしたことは褒められたことではない。
数名の席官と酒席をともにして、酔い覚ましに歩いているところにこの女と行き会った。
死覇装を着ているから、きっとどこかの隊の者なんだろうな、とそこまでは考えられたはずなのに、話しかけられて、そしてその声に誘われるまま肌を合わせて。
しかし、だからと言って惚れたのなんだのというわけではないし、日番谷よりも隊長羽織に見惚れるような女相手に責任を取るつもりもない。
悪戯っぽく含み笑うその顔は、自分の魅力と言うものを熟知しているのが透けて見えて、日番谷の心を急激に冷めさせた。
女の問いには答えずに、日番谷が背を向ければ女は不満げな声を上げた。

「つれないんですねぇ。やっぱり氷雪系の男の人ってそういうものなのかしら……でも」

するりと首に柔らかな腕が絡まる。
ぐっと身を寄せた女の吐息が耳朶をくすぐるのに、反射的な寒気を覚えて日番谷は余計に眉を寄せた。

「さっきまで……あんなにすごかったのに」

くすくすと笑うその音も、潜められた吐息も。
今となってはどうして自分がこの女につられたのか分からない。
それくらい露骨な艶を滲ませていて。
日番谷は首に纏わりついた腕を見下ろして、糸でも引きそうだなとぼんやりと思った。
成長すれば自然と燻る熱の散らし方は覚えた。
自分の立場も、容姿もそれなりに自覚し始めて、その気になれば面倒なやり取りも気にせずに簡単に手に入る快楽もあるのだと。
だが、本当に飢えを、心を侵食する渇えを満たすのはそんなものじゃないということも知っていて。
心を置き去りにした躯の所業のあとには、常に空虚が付きまとう。

「……鬱陶しい」

「え?」

呟きを聞きそこなった女の腕を、意識して乱雑に解けばびくりと背中に感じる女の霊圧が震える。
その驚きに見開かれた表情をちらりと見て、一瞬だけ侮蔑の感情がその面によぎった。
それはほとんどが自らに向けてのものだったが、それを見た女は自分に向けてのものだと思ったらしい。
言葉にはしない日番谷の苦々しさを敏感に感じ取って、女は顔を羞恥と屈辱に赤らめた。
かつて、これほどまでに彼女を見下した男などいない。
そこそこの実力で、同期の女性隊士の中では認められている部類に属する彼女は同僚の男性隊士からもそこはかとない視線を向けられるのが常で。
年若い前途有望な隊長が、妙に縋るように自分を求めたことで高潮したままに描いた自尊心過多な夢想は、その冷たい双眸を前にして聞き苦しい軋みを上げた。

「な…何よ、そんな顔……」

「……邪魔したな」

赤から青へ、忙しく色を変えた表情に日番谷は吐息混じりに呟くと、今度こそ帰途に着くべく隊長羽織を翻した。
その背中に、自分を罵る女の声が響いたような気がしたが、反論する余地もない。
野外に出れば、春をもう間近に控えた季節だというのに空気はしんと冷たくて。
いまだ白く靄を立てる呼気を吐き出して日番谷は夜空を見上げた。

「情けねえ……」

その声は虚しく心に反響して。
そうしてしくしくと刺すように沁み入ってくる。
気持ちを伝えようと思ったことは一度や二度ではないはずなのに、どうしてもその一歩が踏み出せない。
振り返れば、自分は彼女にどんな時でも支えられていて、そんな情けない男が想いを伝えたとしてどうして彼女が振り向くだろう。
そして、今、彼女と交わす居心地の良い場所が自分の軽はずみなひと言で崩れ去るかも知れないと思えば、それを惜しむ自分の臆病さに足をとられて身動きが出来ずにいる。
いつか彼女を支えられるくらいの気概が持てるようになったらと、そう言い訳をしながら過ごす日々は想いだけを燻らせて、その出口をろくでもない方向にしか見出せない。
しかも、出口とはいうがそれは新たな迷路の入り口のようなもので。
ぐるぐると、奥へ奥へと踏み込んでしまう己の悪循環に、日番谷は自嘲の形に唇を歪めた。
見上げれば視線の先には自分の隊舎の門が覗く。
そこへ先程の余韻を滲ませながら入るのも気が引けて、日番谷は門前で大きく息を吐き出した。



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