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□どうしようもなく、愛おしい【L】
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「あら、隊長、あれ雛森じゃないですか?」

「ああん?」

隊舎の屋根の上で、相も変わらず仕事をサボる副官の首根っこを掴んだ日番谷に、松本がほら、と屋根下の往来を指差した。
確かにそこには子供の頃からの付き合いな幼馴染の団子頭が見える。

「あれ、吉良じゃないですね。五番隊の子かしら」

「……吉良とは先週別れたって言ってたぞ」

どこに惚れたのか知らないが、随分と以前から想いを寄せていた吉良と雛森が付き合いだしたのが先月の終わり。
それから二週間も経たないうちに別れたと聞かされたのが先週のこと。
そうして今、視線の先でどこぞとも知れない男と腕を組んで歩いている。

「よくもまぁ、とっかえひっかえ……」

日番谷の声音に滲んだ苦々しさに、襟元を掴まれたままの松本は噴出しながら笑い声を上げた。

「んだよ」

「だって、たいちょったらお父さんみたい」

「うっせえな。大体、あれは尻が軽すぎるんだよ」

「あれって、そんなモノみたいな言い方しなくても。でも、良かったじゃないですか、元気になって」

そう言って雛森の後姿を見ながら笑う松本に倣いながら、日番谷は眉を寄せた。
確かに心に傷を負った雛森が、心を癒してくれるのは嬉しい。
流魂街の祖母の家を訪ねたときも、皆と一緒に酒を交わすときも。
ほんの少し覗いていた寂しさは、今となっては探すことも難しくなっていたから。
褥に横になったまま、薄目を開けた雛森に大きくなったね、と言われたときは泣きそうになった。
こんなにも図体がでかくなるまで寝てるんじゃねえよ、と言えばごめんねと謝る。
そのやり取りも遠い昔。
今ではあの儚さはどこにやったと言いたいくらいに天真爛漫とした笑顔を浮べていて。

「……お前が泣き出したのにびびったんだろ」

長い眠りから目を覚まして泣きそうになったのをぐっと堪えたのに、隣で松本がぼろぼろと泣き出した。
それに驚いたのは雛森だけではない。
そんな風に松本が泣く姿を日番谷自身も見たのは初めてで。

『悲しいことばっかりじゃ嫌じゃないですか』

そう言って、紅くなった目許を照れて拭った松本の言葉に、ああ、そうかと日番谷は納得した。
耐えさせてしまったんだな、と。
雛森の容態を気にして、日に何度も仕事の合間を縫って四番隊に通った。
目の覚めない雛森に苛立って、自棄を起こそうとしたこともある。
そんなときも、松本は大丈夫だからと笑ってくれていた。
大丈夫、目が覚めます、きっと、すぐに元気になりますよ。
何度も繰り返された言葉は信じるに値するほど力強くて。
そう、日番谷へ言い続けることにどれだけ松本の勇気が要っただろう。
もしかしたら、一生目が覚めることはないかもしれない。
目が覚めたとしても、身体になにか障害が残るかもしれない。
それでも、日番谷の心まで折れてしまわないように、ずっと笑ってくれていた。
その影で、雛森のことにも、日番谷にも不安を感じているのを隠しながら。

「どうでしょうねぇ……やっぱ、それよりも恋の力ってやつじゃないですか?」

「恋、ねぇ……。あの、去るもの追わず来るもの拒まずが、か?」

「はは……。まぁ、いいじゃないですか。暗い顔してるよりは」

それよりも、と松本は意味ありげに日番谷を見遣る。
そのからかいが混ざった笑いを刷いた顔に、日番谷が眉を聳やかせばつんつんと肘で二の腕をつつかれた。

「たいちょこそ。何だか恋愛にまでいっぱしの口をきくようになっちゃって。成長しましたねぇ」

さてはとうとうお年頃ですか、と何とも嬉しげな松本に日番谷はうっそりと眉を顰めた。
お年頃なんざとうに迎えてる、という何とも情けない反論は呑み込んで、顔を覗きこむ松本の頭をすぱんと叩く。

「いったあ、もう、ひどいじゃないですか。副官の純粋な好奇心なのにっ」

「くだらねえこと言うからだ。ったく、行くぞ」

ついつい松本に付き合って、気がつけば仕事を放り出してからかなりの時間こうしている。
ああ、また残業だと片手で顔を覆った日番谷に、松本も深々と吐息して見せた。

「仕事仕事って……本当に隊長は娯楽が少ないんだから。そんなんじゃいつまでたっても結婚できませんよ?気がついたら周りが結婚してて一人きり、なんてことになるんだから」

「……そりゃ、お前の体験談か?」

「へらず口ばっかり達者になっちゃって……どうします?こんなことしてる間にも誰かが誰かに求婚してるかも。突然、雛森辺りから言われるんですよ。『日番谷くん、私、お嫁に行くことになって』とか」

ご丁寧に雛森の口調を真似た松本を日番谷はむっつりと睨みつけた。
あの、最近ではどう見ても年下のようにしか感じられない幼馴染が結婚する。
その想像はなんとも面白くない。

「……やだな」

ふと思いつくままに呟いた言葉は予想外に心もとなく響いて。
それに驚いている日番谷の横では松本が腹を抱えて笑っている。

「おい、てめえ、んな笑うなよ」

「……くく、だって、たいちょったら…ぷ、『やだな』って……くく、子供みたいに…」

「嫌なもんは嫌なんだから仕方ねえだろうが。変な男に引っかかったら、とか。後で泣きつかれんのはこっちだぞ」

「だったら、たいちょが雛森をお嫁さんにすればいいのに」

家族のように大切で、というのは心からの本心で。
出来れば雛森には幸せになって欲しいと思う。
だが、その相手として自分が立つ、と言うことは考えも及ばない。
きっと、雛森もそれは同じだと思う。
姉弟のように近すぎて、お互いが異性だと思えないくらいに近い関係。
それを松本も分かっているはずなのに、と日番谷は内心で不貞腐れた。

「それこそくだらねえ。無駄口叩いてねえでついて来い」

そう言って松本の腕を引きながら執務室に戻ろうとした日番谷だがしかし、進もうとした脚は空を踏んで一瞬だけたたらを踏みそうになる。
ついてくるはずの松本がまだ、その場に留まって日番谷の歩みを阻んだのだ。

「ねえ、たいちょ」

「んだよ、まだ――」

「あたしだったら……」

「あ?」

「あたしがお嫁に行くって言ったらどうします?」

そよ、と風が吹いた。
それは松本の柔らかな髪をふわりと舞い上げる。
金の髪が、傾き始めた陽の光を反射して黄金色の輝きを放つ。
逆光になった松本の顔はよく見えずに、日番谷は目を眇めた。
からかい混じりなのに、日番谷の握る腕はどことなく強張っているように思えるのは錯覚だろうか。
ぽつんと落ちた沈黙の中、日番谷は考えた。
幼馴染の花嫁姿は想像すれば容易に思い描けて。
そうして、何ともいえない寂しさを胸に込み上げさせる。
しかし、今、手に掴んでいる彼女のその姿を描くことはできなくて。

「……知るか、行くぞ」

無理に描こうとすればどうしようもなく込み上げる痛みから目を逸らして、日番谷は松本の腕を強く引いた。
今度は逆らわずに松本もついてくる。
やけに静かになった松本になんとも言えない気まずさを感じて日番谷が振り向こうとしたその時、背後から吐息のような笑い声が聞こえた。

「知るかって、そんな殺生な。せめて口だけでも寂しいとか言ってくださいよ」

その声は普段どおりで。
日番谷もそれにどこかしら安堵を覚えながら笑った。

「んなもん、嫁の貰い手が見つかってから言いやがれ」

「……本当に口だけは達者になっちゃって。お姉さん、寂しい」

何が姉だ、と不満げに言った日番谷に松本の笑い声が重なる。
それはほんの些細な日常のやり取り。
それが永遠に続くと思っていた自分のおめでたさを、日番谷はまだ知ることはなかった。



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