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□とぶクスリ【M】
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「あれからもう二十年か……」

遠い目をした日番谷の視線の先には、布団の中でうんうんと唸る松本がいる。
その松本に向かって、「唸れ、『松本』」などと言う冗談を内心で飛ばしていることなど知ったら、しばらく口をきかないくらいには怒るだろうな、と日番谷は嘆息した。

「面白く…ない、上に……むかつく……」

「あ……わり」

布団から漏れ聞こえてきた声に、自分がそのどうしようもない冗談を無意識に口にしていたと知って、日番谷は取りあえず素直に謝ってみる。
しかし、当の松本はそれに反論するのも億劫なのか、眉を寄せたままもぞり、と身じろぎをして日番谷から顔を逸らした。
松本が、とんでもない風邪を引くのだと知ってから二十年。
今回もきっちりと熱に倒れた松本を見下ろして、どうしたものかな、と日番谷は腕を組んだ。

「今年は火鉢も増量したのになぁ……」

湯気塗れの日々に、日番谷はいまだに湿気ているはずの執務室を思って呟く。

「前回の反省を活かして、酒も控えてたんだっけ?」

日頃はアル中か、と言いたくなるほど寝酒を欠かさない松本があろうことか季節が冬に移ってからは、たとえ夕食が鍋だろうと何だろうと顔を顰めつつも酒を断って。
その不景気な面を見ながらの食事は心底不味かった、と思いつつ眉を寄せた日番谷に松本が苦悶に歪んだ顔を布団から覗かせた。
その顔に向かって、日番谷は心からの同情の目を向ける。

「哀れな奴だ……」

「ほんっとに…むか、つく……」

酒も断ち、日番谷にとっては普通の、普段の松本からすれば健全極まりない日々を送り、執務室の壁に飽和状態の湯気が水を滴らせるほど湿度と篤い友情を交わしていた松本だったが、その努力もむなしく今回も見事に風邪を引き込んでいた。
相変わらず、見ているこちらの心が痛むほどの苦しみようだが、それでも初回よりは幾分か免疫のある日番谷の落ち着きようがどうにも松本は気に食わないらしい。
しかし、日番谷とて理由もなく苦しむ松本を楽観視しているわけではない。
一つ溜息をつくと、こんなこともあろうかと既に用意していた錠剤を戸棚から取り出した。

「松本、薬」

「…………」

亀か、お前は、と。
思わず突っ込みそうになりながら日番谷はこんもりと盛り上がった掛布を叩いた。
薬、と聞いた途端に布団の中に潜り込んだ松本は、そんな日番谷の声にも答える様子はなく、頑なに布団を握り締めている。
まぁ、気持ちは分からないではない。
自分だったら真っ平ごめんだ。
こんな屈辱的な薬を開発した人間は、効果のことばかりに気を取られて、心のケアというところまでは気が向かなかったのだろう。
だがしかし。

「これなら効くって、この間で分かったじゃねえか」

一度風邪を引き込んだ松本に並みの薬は効果を発揮しない。
それでも、この薬だけはどうも効くらしい、と分かったのが前回。
普通なら一週間は寝込むはずの松本の風邪が、翌日には症状を軽減し、それから一晩眠った後には全快して。
もう絶対に嫌だ、と叫んだ松本に吐息しつつ、涅に二十年後もまた頼む、と言い置いていた日番谷だった。

「そ…れでも……やだ」

「やだっつって、お前、このまま一週間しんどい思いするのかよ」

「それ、入れ、る…くらいなら……」

「仕事が溜まる一方だろうが」

「……鬼上司」

布団の隙間から聞こえる恨みがましいくぐもった声に、日番谷は深々と吐息した。
鬼上司と言うが、風邪を引かないように悪足掻きをしてくれたお陰で、普段よりも仕事の進みが悪く、業務が滞っているのも事実で。
いつもはぐうたらだなんだと罵っている松本でも一応は一隊の副官だ。
いつまでもぐずぐずと布団の中に潜り込まれたままでは困る。
というのは体面を気にする日番谷の表立っての理由。
本心を言えば、それがたとえひと時でも松本が傍にいないのは調子が狂う、と。
最近、ようやく自分がこの年上の副官にそういう感情を持っていると自覚した日番谷だった。

「なあなあ、諦めろって。ほら、治ったらこの間言ってた茶屋で饅頭買ってやるから」

ぽんぽんと掛布を叩いても、天岩戸と化した松本は顔を覗かせない。
いつもならばころりと表情を変えて飛びついてくるくせに、と思いながら、日番谷はどうにか松本を釣る方法はないものかと思考を巡らせる。

「じゃあ、あれだ、饅頭に羊羹も付けよう。旨いって評判なんだろ?」

なあ、と叩きながらの日番谷の掌に、何だか布団が震えているような感触が伝わる。

「松本?」

どうした、と丸まった布団に首を傾げれば、切れ切れの声が聞こえてきた。

「……ひ、とを、木魚…みたいに…叩かな、でくださ……」

「死にかけのお前に先んじて念仏をあげてやってる気分だよ、こっちは」

「……ううっ」

ひどい、と声を震わせた松本が、布団の中で盛大にえずくのが聞こえる。
しかし、水も受け付けない身体は吐くものすらないであろうと、苦しげに上下する布団を見て、日番谷はとうとう意を決した。
できれば、前回のように無理矢理ではなく、穏便に済ませたかったのだがそうもいかないらしい。
また、あの時のように松本を泣かせるのか、と憮然としつつ日番谷は布団を掴んで力任せに引き剥がした。



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