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□とぶクスリ【M】
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「……あら、日番谷隊長」
と向かいからかけられた声に顔を上げて、日番谷は顔を顰めた。
視線の先に立つのは伊勢と京楽。
あの日、湯気の立ち込める執務室で散々松本に苦言を零していた二人は、きっとこのことを予想していたに違いない。
「んで、言ってくんなかったんだよ」
ぶすりと唇を尖らせた日番谷と、その手が握る袋から覗く赤い実に、伊勢は予期していたことが、滞りなく起こったことを知って苦笑した。
「ああ……乱菊さん、とうとう引きましたか」
「とうとう引きましたか、じゃねえって。こんなことなら先に言ってくれりゃ……」
「無駄だよ、だって絶対引くんだもん」
どうにか対処のしようがあったかもしれないのに、と続けようとした日番谷の手の袋から林檎をひとつ取り上げて、京楽が嘯く。
「毎年ね、乱菊ちゃんも悪足掻きするんだけどさ、どうあっても引いちゃうんだなぁ」
前回もひどかったよねぇ、と京楽が同意を求めれば、珍しく伊勢も素直に頷く。
ほう、と気遣わしげに吐息はするが、それは起こるべくして起こったことだという諦めも滲んでいて。
「私は前回見たのが初めてでしたけど……それはもう、乱菊さんが気の毒で気の毒で」
「風邪は今日が初日?だったらこれからもっとひどくなるから、覚悟しといた方がいいよ」
「あの時ほど、自分の健康を呪ったことはありませんでしたね……」
「ね。なんか本当に土下座したくなったもの……」
七緒ちゃんはいいよ、僕は過去に三回も見てるんだよ?と。
心の底から気鬱な目をする京楽に、日番谷はひくりと顔を引きつらせた。
あの、今でさえ傍にいるのに妙な疲労を伴う松本の容態が、これ以上悪くなると言うのか。
「今だって、熱が39度はあるんだぞ……?」
「40度越えるのなんてすぐだよ……」
「今は水くらいなら飲めるんでしょうけど、二日もしたら水も吐くようになりますから……」
「頭痛もしだして、うわ言とか言い出したりね……」
「最後の方なんか、息遣いも浅いし、死んじゃったんじゃないかと何度も確認しましたね、私」
「な、なぁ……」
冷や汗を流しつつ、声を掛けた日番谷に、いつもは真反対の性格の主従は瓜二つの表情を浮べて見返してきた。
遠い目に、薄く笑みを刷いたその表情が心底恐ろしい。
ぽん、と肩に置かれる手は、労わるような柔らかさだ。
「……一週間耐えたら回復しますから」
「……修行だと思って諦めて」
「ちょ……っ、おいっ、お前らも看病とか……っ」
手伝ってくれ、と聞いた松本の傍にいることが心細くなった日番谷が手を伸ばしても、二人はひらりとそれをかわして駆け出した。
それはもう、脱兎のごとく、という表現そのままで。
「あの乱菊さんの傍にいたら、私、今度こそ死にたくなってしまうので!!」
「上司として、しっかり面倒見てあげるんだよっ」
ちなみに、四番隊は自信喪失を防ぐ為に往診にも来てくれないから、と。
そんな慰めにならない言葉だけを残して去っていった情のない同僚の背に、虚しく伸ばしていた腕を日番谷は溜息と共に下ろした。
「……んだよ、甲斐のねえ奴らだ」
と言いつつも、自分も何となく松本の傍にいるだけで心が苦しくなるのだ。
いつも甘えたことばかり言う口が、日番谷が氷嚢を取り替えてやる度に弱々しい謝罪を口にする。
彷徨うように布団を探る手を握ってやれば、ほっと安堵するような儚い笑みを浮べて。
本当に、このまま散ってしまうのではないかと思うほどに力なく握り返される掌は、どうしようもなく熱い。
そう思えば、こんなところで道草をくっている場合ではない、と日番谷は手にした袋を握りなおした。
たとえ、高熱に悶える松本の傍にいるのが心苦しいのだとしても。
誰も助ける術がないのだとしても。
それでも、やはり身体が弱っているときは寂しいだろうと、自分が風邪を引いたときのことを思って隊舎に戻る足を速めた日番谷の首筋に、すこん、と何かが当たった。
「……矢?」
首にぺっとりと張り付いていたのは先に吸盤が付いた矢で。
それを首筋から引き剥がした日番谷は、その矢が飛んできたであろう方を見遣って、沈黙した。
道の角、大通りから逸れる小道の角から顔を覗かせているのは、無表情なのに妙に苛立ちを誘う主従二人。
しかも、副隊長は両手で筒のようなものを抱えていて、首に当たったのがそこから飛ばされた吹き矢だと悟る。
「……当たりました、マユリ様」
「でかした、ネム」
こっくりと頷きあう二人に、日番谷はぴくぴくとこめかみを引きつらせて叫んだ。
「……当たりました、じゃねえっ!!何のつもりだ、涅っ!!」
思わず首筋を拭ったのは、その吸盤の先に毒でも塗られているのではないかと不安を感じたからだ。
そんな日番谷をみて、涅がくつくつと薄気味の悪い笑い声を上げる。
「こんな往来で目立つ殺しなどワタシはしないヨ。……日番谷隊長、ワタシの目が狂っていなければ、キミは今、とても困っているネ?」
「……お前の身体で狂ってないとこがあったら教えてくれ」
日番谷の心からの呟きをすっぱりと無視して、涅はうんうん、と頷いてみせる。
普段から親しく言葉を交わすわけでもない彼のその態度に不審を感じて身構えた日番谷に、ずずいとその面妖な顔を近づけて、涅が鼻を鳴らした。
「手の施しようのない病人を助けたいとは思わないのかネ?」
「っ、方法があるのか……っ?」
その言葉に思わず食いついた日番谷に、身を引きながら涅は満足そうに笑った。
涅のその表情は気に食わないものの、日番谷は悪態を吐きたいのをぐっと堪えてその硝子玉のような瞳を見返した。
「ワタシにかかればそんなもの、簡単に見つかるというもの。……ネム」
「はい、マユリ様」
無表情に佇んでいたネムが懐から何かを取り出してすっと日番谷に差し出す。
「これは……」
その手の中のものを見つめて、日番谷はごくりと唾を飲んだ。
その様子に、涅はにんまりと口角を引き上げる。
「これで、松本副隊長もすぐに回復するってものだヨ……」
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