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□たとえば君が【L】
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「どういうことだ、卯の花」

部屋を移り、すすめられた椅子にも腰掛けずに、日番谷は卯の花に詰問する。
卯の花はそんな日番谷を哀れむように見やると、ひとつ溜息をついて手元の書類に目を落とした。

「脳波は正常、外傷の回復経過も良好。あと数日もすれば完治するでしょう。ですが私にもどのような経緯で松本副隊長の記憶が失われたかは説明することが出来ません」

事務的に告げられる卯の花の言葉に、日番谷は呆然と立ちすくむ。
その青ざめた顔を見ないように、あえて卯の花は書類から顔を上げずに言葉を続けた。

「そんな……」

「松本副隊長に問診をしたところ、彼女は自分に関する記憶を中心に失っているようでした。いわゆる、全生活史健忘…記憶を呼び起こす行為、想起の障害です。虚との戦闘で受けた頭部外傷が記憶喪失の原因と考えられます。記憶を失っているといっても言語能力、善悪の判断能力、そのような社会的、人間的能力については問題ありません」

「……記憶は戻るのか?」

「それについても明確な回答をすることは出来ません。記憶障害を起こした方をこれまで数人見たことはありますが、一時的に記憶を失った方もいれば、長い時をかけてようやく記憶を取り戻した方もいます。そして…記憶を失ったまま亡くなった方も…」

日番谷の肩がぐらりと揺れる。
支えようと立ち上がりかけた卯の花だが、日番谷は膝がくだけるその寸前に、何とか椅子の背に手をかけて踏みとどまった。

「んな、馬鹿なことがあるかよ…。あいつが俺を忘れるなんて、んなことあっていいはずがねえっ!!」

いつも一緒にいたのだ。
この百年にわたる長い時の中。
振り向けばそこにはいつも松本の笑顔があった。
それが失われるなど想像したこともない。
だが、あの病室で向けられた松本の瞳。
そこに宿る見ず知らずの他人に対したかのような戸惑いの色を認めたくなくて、日番谷は掴んだ椅子の背にぎりりと爪を立てる。

「日番谷隊長……」

気遣わしげな手を払いのけ、日番谷は掴み掛からんばかりに卯の花に詰め寄った。

「卯の花、嘘なんだろう?あいつが俺を忘れるなんて、そんなことありえない。あいつは」

「日番谷隊長、落ち着いてください」

「あいつは、俺をからかってるだけなんだ、記憶喪失のフリをして俺が慌てるのを面白がってるだけなんだろ、あんたや虎徹も一緒になって――」

「日番谷隊長っ!!」

鋭い卯の花の声に、日番谷ははっとして言葉を切った。
気がつけば卯の花の羽織を縋るように掴んでいる。

「日番谷隊長……お気持ちは痛いほどに分かります。ですが、落ち着いてください。松本副隊長は記憶を失っておられます。隊長であるあなたが動揺しては他の十番隊隊士はどうなりますか。それに、一番つらいのは自分のことすら分からない、松本副隊長なんですよ」

諭すような卯の花の言葉に、だらりと腕を垂れて、日番谷はよろめくように椅子に座り込んだ。
そして両手で顔を覆い、深く息を吸い込む。
卯の花の言うとおりだと思った。
自分以上に、松本は不安を抱えているに違いない。
ひどい傷を負い、自分が誰かも分からず、周囲には覚えのない顔。



(成長しねえな、俺も)

普段は冷静な振りをしても、すぐに頭に血が上って周りが見えなくなる。

(あれから少しは成長したと思ったのに、育ったのは身長だけか)



「すまない、卯の花…みっともねえな、俺」

自嘲するように笑った日番谷の肩にそっと手を置いて、卯の花は労わるように微笑みかける。

「お気持ちは分かります、と言ったでしょう?過度な期待は松本副隊長にとっても負担となりますが、希望を捨てるのはまた別の問題です。時間はかかるかも知れませんが、何か方法がないか私も最善を探しますから、日番谷隊長も気をしっかりと持ってください」

「ああ……」

「できるだけ普段どおりに接してあげてください。きっかけがあれば何か思い出すこともあるかもしれませんから」

ただし、と卯の花は言葉を切る。

「記憶を無くしたまま、副隊長としての務めを果たすのは……」

「分かっている。総隊長には俺から休隊許可申請を出しておく」

そうですか、と応えながら卯の花はちらりと日番谷の表情を窺った。
席官の休隊許可期間は二ヶ月まで。
前例が覆されることが万が一にでもなければ、二ヶ月以内に松本の記憶が戻らなければ最悪、護廷十三隊を去らなければならないかもしれない。
そのことを知らない日番谷でもないだろうが、と思いながらも卯の花自身、手の施しようのない事態に溜息を吐くしかない。
重苦しい空気に耐えかねたのか、日番谷が不意に立ち上がった。

「松本と…話をしてきてもいいか?」

「ええ、長い時間だと負担になりますから少しの間だけなら」

わかった、と短く返事をして出て行く日番谷の背を見送って、これが最後と思いながら卯の花はそっと、溜息をついた。



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