200000HITフリリク

□好きで終われば苦労はしない。
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こんなにも緊張するのはいつ振りだろう。
少なくとも、副隊長に任命されてからはそうないはずだ。
程よい広さの座敷は畳の青も瑞々しく、床の間に生けられた花も主張し過ぎない程度に美しく部屋を彩っていた。
この部屋のどれをとっても自分とは程遠い高級感を感じさせる。
隊長という仕事はこんなにも潤沢な収入を得られるものだろうか。
そんなことを考える自分の俗っぽさに溜息を吐いて、向かい合う相手に気取られないように首を振った。
出納係を務めたことのない彼女は実際に上司の給与明細を見たことはないが、そう自分とかけ離れた給金を貰っているということはないだろう。
これ程の料亭を気負わずに使えるような懐具合、ということはないはず。
と、いうことは彼なりにここへ彼女を迎え入れるのにはかなりの無理をしたのではないか。
そう思えば、圧し掛かる緊張がより重みを増したかのように感じられた。

「……悪かったな、急に」

「……いえ」

この座敷で顔を突き合わせてから数十分。
訪いの挨拶を交わしてからようやく出てきた言葉がそれだ。
普段ならばもう少しまともな会話ができるというのに、どうしようもなく気まずい空気がお互いの口を重くさせていた。
そもそも、彼と自分とがこんな場所に二人きりでいること事態がおかしいのだ。
というより、ありえない。
終業後、それを見計らったかのように鳴らされた伝令神機の表示を見て、思わずそれを見直したほど。
しかも受話口に出てみれば、こんなところに誘い出されて。
一体どういうつもりなのかしら、と考えて不意に彼女はこんなところに彼と二人きりでいるなどと知られればあらぬ誤解を招きそうだということに思い至った。
雰囲気のある料亭の座敷で、人目を忍んで。
どう言い訳をしたとしても、穿った見方をする者はいるだろう。
これはある意味、危機的状況というものではなかろうか、と彼女は居心地悪げに身じろぎをした。
と、向かい合った男が、深々と溜息を吐き出す。
それは、彼には似つかわしくないほど弱々しいもので。
彼女は思わず彼の顔をまじまじと見返した。

「どうか……なさったんですか?」

「うん、いや……まあ」

返す応えもはっきりとしない。
憂いに沈んだように伏せられた睫毛は、その長い影を日に焼けない頬に落としている。
全く以って状況を飲み込めないながらも、彼女はそんな男の白皙を内心で感嘆しながら見つめた。
瀞霊廷でも、彼ほどその容色と実力を万人から認められている者はいないだろう。
彼の責任ある立場にとって、美しいとしか形容しようがないその貌は余計な煩わしさを感じさせるだけのものでしかないかもしれないが、それも含めて彼のカリスマ性というものなのだろうな、と彼女は頭の隅でそう評価した。
ひと頃は幼い外見に大人びた態度で、ひどく不安定に感じたものだが、成長した今となっては繊細な中にも確かな男性的魅力が覗いている。
彼の直接の部下だけではなく、他隊の女性隊士もその姿を視界の端に入れるだけでほんのりと頬を染めるのは日常茶飯事で。
嗚呼本当に、と。
こんな風に彼と向かい合っているのを知られればひっそりと闇に葬り去られるのではないだろうか。

「あの……できれば、そろそろ本題を」

「ああ、悪い……その、な」

そう口火を切った男はしかし、未だに迷うように唇を開閉させて。
その様子に、これは本当に随分と言い出しがたい内容なのだろうな、と身構える。

「お前にひとつ……聞きたいことがあるんだ」

「はあ」

彼が自分に問いたいこと。
そんなものは想像もつかない。
仕事上での事ならばわざわざこんな風にもったいぶった場所へ呼び出さなくてもいいはず。
僅かに眉を寄せて、彼の言葉を待っていると、本人はまるで自分を鼓舞するかのように大きく息を吐き出した。

「その……」

ごくり、と唾液を嚥下しながら彼女は肩に力を込めた。
彼も、覚悟を決めたのか伏せていた瞳をきっ、と上げて。
僅かに頬を紅潮させて、彼女へとぐっと身を乗り出した。

「松本とどうやったらヤれると思う?」

その瞬間。
彼女――伊勢の手にした分厚い品書きが、寸分違わず日番谷の側頭部へと炸裂した。


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