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□落月花影【L】
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ねえ、と振り向いた幼馴染の瞳は濡れていて。
きりきりと痛む胸に日番谷は逃げるように視線を地に落とした。
乾いた風が瓦礫の合間をすり抜け、枯れた草が物悲しげに揺れる。
乾ききったこの地は、まるで彼女の心のようだと思う。
罅割れて、多少の水ではすぐにも地に吸い込まれてしまう。
こんなにも涙を溢れさせているのに、彼女の渇きが癒されることはないのだろうか。

「……私じゃ駄目だったのかな」

擦れる声は吹き付ける風に攫われて、すぐに儚く消えていく。

「あの人を……あの人の心を救うのは私には出来ないことだったのかな」

重ねられる問いは、日番谷に向けられているはずなのにその瞳に映るのは悲痛なまでの空虚。
深く刻まれた隈も、痩せた手足も。
握り締められた細い指も。
全てが痛々しくて、心に深く圧し掛かる。
彼女の胸に刻まれた二つの禍痕。
それはもう、卯ノ花や虎徹の治療によって傷さえも残っていないはずなのに。
日番谷にはいまだにそこから鮮血が噴出しているように見える。
一つは彼女が最も信頼していた相手が付けたもの。
そしてもう一つは。
日番谷はそれを思い出そうとして体が震えるのに拳を握りこんだ。
救いたかった。
信頼し、深く心を寄せていた男に裏切られた彼女を。
守ってやりたかった。
心を壊してしまった、悲しい少女を。

「ねえ、シロちゃん……私はどうしたらいいのかな、これから……」

全てが終わって、人々は明日へと歩き始める。
しかし、あの戦いで心を痛めた者、大切な存在を失った者の悲哀は大きく、すぐには前を向けない者もいて。
雛森もその一人。
少しずつ隊の任務に復帰しつつはあるが、それでもふとした時に襲う脱力感を持て余して、彼女はふらりと瀞霊廷を離れる。
流魂街の外れ、小高い丘からはその平面な世界が一望できて。
沈む夕日に、彼女は一体何を重ねているのだろう。

「雛森……」

再び視線を前に向け、紅く燃える陽の光に晒した雛森の横顔は今にも消えてしまいそうで。
日番谷はそれを拒むかのように小さく彼女の名前を呼んだ。
くすり、と雛森が唇を歪ませる。

「必死になって勉強して、鬼道も修めて、少しでも支えになれたらって思ってたのに……。私は何を見てたんだろう、あんなに見つめてたのは何だったのかな。何も知らないで、ただ浮かれてた。副隊長に任命してもらって、これであの人を支えられるって勘違いして……っ」

最後には引き攣れて、その声を隠すように顔を覆った雛森の指の間から、隠しきれなかった嗚咽が漏れる。
震える肩に手を伸ばしかけ、躊躇するように惑わせた日番谷は、何も出来なかった自分を恥じるように結局はその手を力なく下ろし、項垂れた。

「お前は……騙されてたんだ」

「一番、傍にいたつもりだったのに……」

「だからこそだろ。藍染はお前の信頼を利用したんだ」

いや、雛森だけではない。
自分も、そして瀞霊廷中があの男の掌の上で転がされた。
あの男に騙されていない、と言えるのはただ一人だけ。
日番谷はそう思いながら背後を振り返る。
小さく見えるのは彼らが住まう瀞霊廷。
白亜の建物が密集するそこも、今は夕日に紅く染められている。
かさりと草を踏みしめる音に日番谷が視線を戻せば、雛森が己の華奢な身体を抱きしめていて。
季節は寒いとは言えない頃だというのに、その凍えるように震える肩を見て、今度こそ日番谷は手を伸ばした。
そっと抱き寄せた幼馴染の身体は、記憶にあるよりも細い。
その肉の落ちた身体に唇を噛んで、日番谷はより強く雛森を抱きしめる。

「もう……藍染のことは忘れろ」

囚われて、傷つくのはやめてくれ、と願うように口にする。
それに目を閉じた雛森が、感じる温もりに深く息を吐き出した。
そろそろと背中に回される指は、まるで小さな子供のように頼りない。

「……どうしたら、忘れられるかな」

日番谷の胸に頬を摺り寄せて、雛森が小さく呟く。
その問いが自分に向けられたものではないと感じて、日番谷は答えることはせずに、雛森の形の良い頭を労わるようにそっと撫でた。

「シロちゃんが……忘れさせてくれる?」

きゅっと死覇装の背を掴まれて。
その縋るような力に、日番谷は一瞬だけ言葉をなくす。
しかし、その腕の震えを感じれば胸に広がるのはもうこれ以上彼女の涙を見たくない、という思い。
本当に守りたいときに、彼女を守ってやれなかった。
だったら、今度こそは、彼女の闇を彷徨う心を救ってやらなければならない。
そうできるのは自分だけだと、地に最後の一閃を放つ夕日を見つめる。
日番谷は雛森の髪にそっと頬を摺り寄せ、囁いた。

「……傍にいるよ」

お前がそう望むのなら。
それで、救われるというのなら。


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