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□とぶクスリ【M】
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「そう言えば……そろそろですね」

「そうか、もうそんな時期かぁ……」

今年一番の寒さだとかいうその日。
人の隊舎を訪れるなりそう口にした主従が居るだろう辺りを、日番谷はじろりと睨んだ。
しゅんしゅんと湯気を立てる薬缶の音が冬を感じさせる。
しかし、それに風情を感じられるのにも限度というものがあって。
一寸先も曇って見えない、というその室内の湿度にほとほと嫌気が差していた日番谷はべろりと湿気た書類を苦労して捲った。

「……こんなことしても無駄だって前回で思い知ったじゃないですか」

「そうそう、人間諦めが肝心なんだって」

湯気の向こうにいるはずの八番隊の二人がどんな顔をしているか知らないが、もっと言ってやれ、と思う。
気が狂ったかのように部屋に火鉢をいくつも持ち込んで、その上に乗せた薬缶から立ち上る湯気に囲まれることもう二日。
どれほど苦言を呈しても、持ち込んだ張本人は全くもって表情を変えない。
……いや、変えたとしても襟巻きに現世で買ったという高機能マスクをしているその顔は見えなかっただろうが。

「乱菊さん、どう足掻いたって、引くときは引くんですよ?」

「……わばってふばよ」

「こっちの方が身体に悪そうだけどねぇ」

「……おっぼいへふらふぁい」

何を言っているのか全く分からない。
眉を寄せて湿り気を帯びた書類をばさばさと漁っていると、湯気を掻き分けて伊勢が顔を覗かせた。
湯気で曇る眼鏡を神経質そうに何度も拭っている。

「お疲れ様です」

「……ああ、ところで」

これは何なんだ、と。
どれだけ聞いても、マスクを外そうとしない松本の言葉が理解できずにいた日番谷の問いかけに、伊勢が困ったように笑った。
いつもはむやみやたらと胸を強調している死覇装もきっちりと着込み、その上から半纏だ襟巻きだ果てはネギだと首に巻きつけ、無駄に大きなマスクで顔の半分を覆う松本は見ていて非常に気味が悪い。
しかも、もうもうと上がる湯気の中、奇怪な格好でうろつくその姿は、新手の宗教に嵌ったのではと思うほど。
始めは何度も問いかけていた日番谷だが、マスク越しの会話の弾まなさに疲労を覚えて先程からは若干諦め気味に松本の様子を窺っていた。

「ああ、日番谷隊長はまだご存知ありませんか」

「……何を」

「乱菊さんの自己防衛」

「……は?」

「たぶん、分かりますよ、すぐに」

と、思わせぶりに伊勢が溜息を吐いたのが三日前。


*    *    *


「卯ノ花!!」

どぉん、とけたたましい音を響かせて開いた扉を振り返った卯ノ花はその表情に毎度の菩薩のような笑みを浮べている。

「温かい格好で、安静にしておくよう伝えてください」

「なんで何も言ってねえのにわかんだよ……」

眉を寄せた日番谷にそれ以上取り合わず、卯ノ花は再び卓の書類に向き直った。
その前に回りこんだ日番谷が卓に手をついても、その顔を上げるようなことはしない。

「なあ、松本が……」

「高熱にうなされていて、食事も喉を通らず、ぐったりとしているのでしょう?」

「なんで知って……」

「毎回のことですから」

毎回?と首を傾げた日番谷に、そういえば、と卯ノ花は吐息した。
日番谷が隊長に就任してから19年。
彼はまだコレを体験はしていなかったのではないか。

「なぁ、あいつ、めったに風邪引いたりしないのに、すげえ熱なんだよ。食ったもんも全部吐いちまうし、しんどそうだし……」

「あの松本さんには薬を飲ませても効果はありません。栄養が足りない分は後で隊士を向かわせて点滴を打たせますから、日番谷隊長もそっと見守ってあげてください」

「んだよ、薬くらい……」

「効果がないと申し上げましたでしょう?」

つれない卯ノ花の言葉に日番谷の眉間の皺は寄る一方だ。
薬が効かない、と容態も診ずに告げられて納得できるものではない。
あの、湯気塗れの数日の後、ある朝松本が出仕しなかった。
普段が普段なだけに、だらしなく寝こけているに違いない、と憤然として松本の私室に向かった日番谷が見たものは、いつも溌剌とした笑顔を浮べている表情が苦悶に歪み、ぜいぜいと荒い息を吐く松本で。
しばらくは様子を見ようと寝かせておいたが午後になっても下がらない熱に焦れて、とうとう四番隊に駆け込んできた次第だった。
不満げな日番谷に、卯ノ花は深々と吐息して見せた。

「二十年に一度……」

「は?」

「二十年に一度、松本副隊長は高熱に倒れます。その間は何をしたところで無駄です。過去に四度、彼女の診察をしましたが、どんな薬を投与しても効果がありませんでした。一週間、熱に苦しんだ後はすっかり回復してそれから二十年は平和ですから、日番谷隊長も耐えてください」

「んなアホな……」

呟いた日番谷にしかし、卯ノ花の瞳は本気の色を湛えている。
その目に、真実打つ手がないのだと知って、日番谷はいまだ隊舎で寝込む松本を思い出し、眉を寄せた。
あんなにも苦しんでいるその傍で、何もせずに見ているだけと言うのはなんとも情が無いような気がする。
熱に潤んだ瞳も、紅潮した頬も、普段の松本からは想像もつかないほど弱った表情も。
居た堪れずに駆け出したのに、卯ノ花ですら治療法がないとは。

「なぁ、本当に……」

「日番谷隊長?」

「は、はい」

それでもなお縋ろうとした日番谷に向けられる卯ノ花の瞳は、微笑んでいるのに妙な威圧感を湛えている。
思わず身を硬直させて、びくびくと震える日番谷に、卯ノ花がにっこりとその笑みを深めた。

「どうしようもない、と申し上げた私にまだ何か言いたいことが?あなた方、実行部隊が雑な作戦を立てるから無駄な怪我人ばかりが増えて業務が立て込んでいる私に?」

「……すいません」

雑なのは大半が十一番隊の作戦だ、という反論を呑み込んで、すごすごと執務室を出て行く日番谷に、卯ノ花が吐息しながら声を掛けた。
確かに、いつも満面の笑みを浮べている副官がいきなり倒れれば心配もするだろう。
しかし、本当に松本のあの風邪だけは卯ノ花にもどうしようもなくて。

「……林檎を擦って、その果汁を含ませるくらいなら、松本副隊長も口にできるはずですよ」

ぱたん、と応えもなく閉まった扉に、きっとあの幼い隊長が副官の為に林檎を買いに走っただろう事を想像しながら、苦笑する卯ノ花だった。



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