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□甘い痛み、愛の熱【M】
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濡れ縁を歩きながら、松本は視線を外へと向けた。
他所の隊舎の、こんなにも奥まった所へ足を踏み入れることはあまりない。
内庭はそれなりに手が入れられ、風光明媚と言うほどではないが十分に心を穏やかにさせるだけの趣があった。

「静かですね」

隣を行く上司に話しかけた。
彼はよほど来馴れているのか、案内も断って迷いなく進んでいく。
松本の声にちらりと視線を上げて、ああ、と頷いた。

「……本当なら賓客相手にしか使わないらしいな。うちの隊舎にはそんなとこないから、俺も最初は驚いたけど」

「賓客、ねぇ。どんな人をもてなす部屋なんだか……」

呟いた松本にさあな、と答える日番谷は全く興味がないようだ。
眉間に寄せられた皺にはそんなことよりも気がかりなことがある、という印象が透けて見えて、松本は気づかれぬように小さく吐息した。
本来ならば賓客を迎えるための部屋は今、その用途を果たしてはいない。
それは接遇関係の任に当たってきた五番隊が、現在は機能しておらず、他の隊にかなりの任務を委託しているのも要因の一つだ。
そして、もう一つ、五番隊には、その賓客用の部屋を割いてでも守らねばならない存在がいて。

「……雛森の様子は、どうなんですか?」

その人物の名を口にすれば、日番谷の眉間の皺はより深まった。
自分でもそれに気が付いたのか、指でそこを揉みながら嘆息する。

「相変わらずだ。まだ、情緒が不安定なままだな」

「そうですか……」

つられるように眉間に皺を寄せた松本は視線を上げた。
その先に見える障子の奥には、信頼していた人間に裏切られ、傷ついた少女がいる。
心にも、身体にも深く傷を負った雛森は、外見からはもうすっかり健康体と言っても過言ではない。
しかし、全ての戦いが終わっても、残された傷跡はいまだ彼女を苛んでいた。

「まぁ、たまには俺以外と会話するのもいいだろ。あんま気は遣わなくていいから、普段どおり話しかけてやってくれ」

黙り込んだ松本に、日番谷が肩をすくめながら言う。
雛森自身、自分の不安定な感情に振り回されているのか、誰をも近くには置こうとせず、唯一日番谷だけに心を許していた。
それは、当然のことであると思うのに、どうしようもなく痛む胸に松本は目を眇めた。
全く以って自分らしくない。
こんな風に思うのは、自分勝手な感情なのにそれに振り回されてどうする、とその感情から目を逸らすように口角を強いて引き上げた。

「あたしは元々気を遣うタイプじゃありませんって。たいちょだってよく知ってるでしょ?」

「知ってるよ。お前が相手に気を遣わせないタイプだってことは」

「……」

思わず足を止めて、松本は日番谷の背中を見つめた。
そんな風に言ってもらえるとは思いもしなかった。
日番谷がいきなり足を止めた松本を振り返る。
どうした、と問いかけるその顔に、何でもありません、と首を振って松本はほんの少し顔を俯けた。
日番谷のひと言に、思わず感情が高ぶりそうになって唇を噛む。
日番谷はいつもそうだ。
普段はぶっきらぼうなくせに、不意打ちで心に響く言葉をくれる。
どんなにあの戦いで心に傷を負っても、立ち止まらずに歩いてこられたのは彼のその言葉に救われたからだ。

「もう、あたしは離さなくちゃね……」

日番谷の手を。
彼には、もっと手を差し伸ばすべき、その手を必要としている人がいる。

「松本?」

言葉にしたわけではないが、何か気が付いたのか日番谷が松本を見上げる。
その翡翠のように深い色を湛えた瞳を見つめて、今度は柔らかな笑みをちゃんと向けられたと思う。
その顔に日番谷がさっと頬を紅潮させ、視線を逸らした。
変な奴、と呟く声に声を立てて笑いながら、松本はさぁさ、と日番谷の背を目の前の障子の方へ押し出した。

「雛森、早く元気になってくれるといいですね」

その言葉は心からのものだったけれど。
どうしようもなく湧き上がる寂しさを押し隠した松本に、日番谷が何か言いたげにもう一度視線を上げる。
しかし、何も口にせず、ただ微笑む松本に何と言えばいいのか分からなかったのか気を取り直したように首を振った。
そうして障子へと手を伸ばしながら小さく頷いた。

「……ああ」





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